第410話 訓練された女


「お前を始めて見たのは、俺が入隊して大佐の下に配属されてから1年が過ぎた頃だ。大佐は写真を渡し『この女を探し出して、ここに連れて来い』と、命令した。俺は、写真の裏の名前と年齢だけでは、探し出すのは不可能だと思った。ヒントをもらう為に大佐との関係を問いただしたが、大佐は恐らくアヘン街に潜伏しているとしか情報はないと言った」


 代表は、ふと、トラブルを見た。


「俺も聞きたい事がある。お前と大佐の関係は? 除隊した後、パク・ユンホの事務所でお前を見た時、心臓が止まるかと思ったぞ。パク・ユンホはチェ・ジオン事件の生き残りを拾ったと言っていたが、本当の所はどうなんだ? 大佐がお前を探した理由は? お前が大佐をパク・ユンホに教えたのか? それとも、2人は以前からの知り合いだったのか?」


 代表の矢継ぎ早な質問に、トラブルは答えない。ジッと代表の目を見て考えていた。


 その様子に、代表は呆れた顔をする。


「パク・ユンホが死んで、大佐が引退していても言えない事があるのか? ま、無理に聞き出すつもりはないが……」


 目をらす代表に、トラブルは手話をした。


「あ? パク・ユンホが何だって?」


パク・ユンホと大佐は、旧知の仲でした。


「何⁈ やはり、知り合いだったのか……で?」


……精神科を退院してパク・ユンホに引き取られてから、私の生活は変わりました。少しずつ外に出られる様になった私は、家に帰らなくなりました。パクは、そんな私を探して欲しいと大佐に頼んだ様です。


「なぜ、アヘン街にいると大佐は踏んだんだ?」


……分かりません。


「お前、まさか、薬物を……パク・ユンホは気付いて……そうか。誰かを雇ったとしても当時のアヘン街に足を踏み入れるリスクを負う奴はいない。警察もあてにならないと大佐に頼んだんだな? 恐らくアヘン街にいると……ハッ!」


 代表は顔を覆って笑い出した。


「俺は、まず1人で歩いてみたんだよ。お前の写真を待って『この女を知らないか』とな。まあ、警戒されるとは思っていたが、そこの住人の口の硬い事! それでいて、あっと言う間に俺の噂は広がって、何度も襲われそうになったぞ。で、任務を遂行する為に、警察と合同でアヘン街の一掃いっそう作戦を立てたんだ。韓国の恥部ちぶと言われ、拡大するアヘン街にお手上げ状態だった警察は、この作戦に飛び付いて来た。俺の息の掛かった者だけに、お前の写真を見せて、警察より先に見つけろと命令してな。俺はてっきり写真の女が機密を持って逃げている、スパイか何かだと思っていたが……まさか、大佐の私用で、お前を探し出すだけの為に多額の税金が投入された歴史に残る作戦が行われたとはな……」


代表が首謀者でしたか。


「ふん。軍部の協力者として大佐の名前しか残されていないが……で、大佐の元でヤクを抜いたのか?」


 トラブルは答えなかった。


「まぁ、いい。お前が大佐の愛人だなんて、はなから信じていなかったからな。お前、知っていたか? 当時の大統領は、この一掃作戦を評価された事に味をしめて、任期延長を訴え、弾劾だんがいされそうになったんだよ」


 代表は、さも面白そうに笑う。


「パク・ユンホにとって、お前は特別な存在だった……大佐とパク・ユンホの関係が今ひとつ分からんが、国家予算を使ってまでの恩があるって事なんだろうな。小娘1人にキャリアを棒にふる危険を犯すとは……大佐は義理堅い人だ……」


あなたもです。


「俺は、ただの兵役へいえき義務中の下っ端だった。万が一の事があっても不名誉除隊になるだけだ。親父の会社を継ぐと決めていたしな」

(第2章第307話参照)


 代表は白衣のポケットに手を入れて立つトラブルを、足先から頭まで、まじまじと見た。


(パク・ユンホと大佐が守った女……大佐は内部で愛人を囲っていると噂が立っても、こいつを手放さなかった。薬を抜き、社会生活が出来る様になるまで面倒を見て……なぜだ……)


 トラブルは探るような視線をよこす代表を真っ直ぐに見据みすえた。代表は目をらす。


「あ、いや……今回のお前の働きは見事だった。スマホ1台を犠牲にして、もう1台で確実に証拠を持ち帰る。まるで……」


(まるで、訓練を受けた者の様に……)


「……さあ、仕事に戻れ。会社名義のスマホだから、裁判には俺が出廷する。お前の名前は出さない……まさか、お前、そこまで想定済みか⁈」


 トラブルは肩をすくめて見せた。


「ハッ! 恐れ入ったよ……さあ、これでしばらくは平和な日常に戻るぞ」


 トラブルは一礼して執務室を出た。





 医務室に戻ると、ユミちゃんが飛び付いて来た。


「トラブルー! 今ね、チョ・ガンジンが警察の車に乗せられて行ったのー!」


 トラブルはユミちゃんの頭を撫でる。


「逮捕されたの⁈ 本当に⁈ もう終わったって事?」


 トラブルは笑顔でうなずく。


「そう、終わったのね。良かったー! 私、明日からアメリカなの。ソヨンと交代するから気がかりだったのよー」


 トラブルはユミちゃんをギュッと抱きしめる。


「トラブルも頑張ったわね。代表にコキ使われて、ケガまでさせられて……でも、良かった。これで安心ね……ところで、ねぇ、トラブル?」


 ユミちゃんはトラブルから体を離す。


「2、3日、見なかったけど、どこに行っていたの?」


(う、テオの所なんて言えない……えっと……)


 スマホのメモで説明をする。


『家で寝ていました。貧血で』


「え! そうだったの⁈ 何よ、言ってくれれば栄養のある物を作ってあげたのに。今は大丈夫なの?」

『はい、もう大丈夫です』

「もー、少しは甘えてよね。チョ・ガンジン逮捕劇をハン・チホに話してあげなくっちゃ。じゃね」


 ユミちゃんは手を振って医務室を出て行った。


 トラブルは、ため息をきながら、ソファーに座る。


(ユミちゃん、メンバー達に大袈裟に言わなければいいけど……また、心配させてしまう)

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