第231話 彼って言うな


「あの、写真はー…… お前がいい女に見える。チェ・ジオンは天才だな。特に顔が写っていない所が最高だ」


 トラブルはセスに拳を振り下ろす。


 セスは、手首をつかんで、その拳を止めた。


「寝ろよ。ほら、テオの所に戻れ」


 セスはトラブルの手首を投げ返す。


セス、はぐらかさないで下さい。彼を見たのですか? 彼は何と言っていましたか?


「いや、見ていない……ただ、感じただけだ。チェ・ジオンは……お前の笑顔を見ていたい。お前の笑い声を聞いていたい。お前の背中を見ていたい……」


彼がそう思っている?


「『思っていた』だ……」


(これは、俺の願望がんぼうか……?)


思っていた、とは過去形です。


「ああ、今は、幸せを感じていてほしい。幸せだったと胸を張っていてほしい。俺は今も幸せだ……」


(これは、俺の言葉だ……あいつの感情はもっと複雑……怒りと哀しみ、戸惑いと確信、いきどおりながらも、愛さずにはいられない……)


彼は今、幸せだと?


「ああ……たぶん」


私には幸せが何か分かりません。


「いや、分からなくても知っているはずだ。自分の座る場所があって、寝る相手がいて、ここに帰ってくると、お互い信じている。分からなくても、失っても、確実に、お前は幸せの中にいた。今も幸せの中にいる。あとは……声だけだ」


それは、彼が言ったのですか。彼が、あなたに感じさせたのですか。彼はいつも、ここにいるのですか。


「さあな、俺は感じる事しか出来ない。それが、正しいかなんて、俺にも分からない」


(彼、彼って、言うなよ……)


彼は……


「もう、寝かしてくれよ。俺は霊媒師じゃないんだ。疲れた。寝る」


 セスは背を向ける。


 トラブルはテオの横に戻り、微笑みながら寝ているテオの顔を見て、頬を撫でた。


 ふと、視線を感じ顔を上げると、セスが見ていた。しかし、またくるりと背中を向けてしまう。


 トラブルは、ため息をきながら横になる。


 すぐに、睡魔が襲って来た。


 逆らえず、深い眠りにつく。






 翌朝、テオはトラブルの体温を感じながら、意識だけ目覚めた。


 目はまだ、開かない。


(ん、トラブル、もっとこっちにおいで。もう少し寝よう。よしよし……)


 ゼノは頭を撫でられる感覚で目が覚めた。


 目の前にテオの顔がある。


 テオは、ん〜、と唇を突き出して迫って来ていた。


「テオ!」


 ゼノのとがった声に、テオが目を開けた。ピントが合わないくらい、ゼノの顔が近い。


 腕枕をしている相手はゼノだった。


「うわぁ! ゼノ! 何するんだよー!」

「それは、こっちのセリフですよ!」

「あれ?トラブルは?」


 テオは体を起こし、部屋を見回す。

 

 ゼノの向こうでセスが寝息を立てている。


 トラブルはいない。


 テオは、バスルームをのぞく。しかし、ここにもトラブルはいなかった。


 ふと、ベッドを見るとジョンの姿もない。


「ゼノ、ジョンもいないよ」


 テオはそう言いながら階段を下り、1階を見に行く。


 窓の外は、良い天気だ。


 テオは玄関から外に出て、深呼吸をする。


(トラブルとジョン、どこに行っちゃったんだろ……)


「テオー、おはよー!」


 ジョンが息を切らせながら、砂利道を走って下って来た。


 玄関のドアにタッチをして、やったー!と、ガッツポーズをする。


「トラブルに勝ったー!」

「ええ⁈」


 トラブルが砂利道を下って来た。


 ドアにタッチして、肩で息をしながら悔しそうにジョンを見る。


「始めて、トラブルに勝ったー!」

「2人で走って来たの⁈」

「うん。僕、トラブルを追い抜いたんだよ! すごいでしょー!」


 ジョンは、ヒャッホー!と、奇声をあげ、興奮冷めやらぬ様子で玄関を開け、階段を駆け上がって行った。


 トラブルはまだ、息が整わない。


「トラブル、ジョンと走って来たの? 負けちゃったの?」


はい。負けました。昨夜のアルコールが、まだ分解・排泄されていないようです。


「アルコールが何?」


日本酒が残っています。体が重いです。


「調子に乗って飲むからだよ。大丈夫?」


はい……たぶん。


「たぶんって何なの。本当に弱いんだねー。さ、セスを起こして朝ごはんにしよう」


 テオが手を差し出す。


 トラブルは、その手を取り微笑んだ。


「おはよ、トラブル」


 トラブルも口パクで、おはよーと言う。 


 テオはトラブルを引き寄せ、チュッと頰にキスをした。


 トラブルは照れたように笑う。


 テオがもう一度キスをしようとした時、2階からジョンの叫び声がした。


「トラブルー! セスが大変!」

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