第425話 キュープラー・ロス

「テオー、昨日、トラブルと話せたんでしょ?」

「ううん、話せなかった。忙しかったみたいで」

「そうなんだー。それで落ち込んでいるの?」

「うん……あ、ううん。ノエルの病院に付き添うって。だから、会えるのは夜かな……それで充分だし。でも、朝早くにフランスに出発だし……会えないかも」


 ノエルは、テオがやはりスケジュールを把握していなかったと呆れた顔を向ける。


「テオー、スケジュールを確認してごらんよ。帰ったら、スケジュールをこなして、翌日がフリーなんだよ。僕の受診は午前中だから、翌日のフランス行きまで、1日はデート出来るよ」

「え! 本当⁈ 」

「トラブルの家に行く時に、フランス行きの荷物を持って行けば、空港に行く時間まで目一杯、一緒にいられるよ。洗濯もトラブルんちで、すればイイでしょ?」

「ノエル! 神様! 昨日はバスルームに置いてけぼりにして、ごめんなさい!」

「分かりやすいなぁ」


「ねぇ。私のトラブルの家に行くって何の事?」


 突然、ユミちゃんが後ろから話しかけて来た。


「ユミちゃん!」

「なによ、テオ。私がいたらマズイ事でもあるの?」

「ありません! 何も、一切いっさい、がったい、ございません!」

「がったいって何よ」

一切合切いっさいがっさいの事かな?」

「そう、ノエル! それです!」


 ノエルがテオをフォローする。


「ユミちゃんは、トラブルの家に行った事ある?」

「ないわよ。なんでよ」

「仲良しだからさー。トラブルってミステリアスだから、どんな所に住んでいるのかなぁって思って」

「そうよね……自宅の話をした事がないわ」

「ふーん、そうなんだー」

「よし。今度、トラブルの家でランチしよう!」

「いってらっしゃーい」

「ノエル、何よ」

「別にー。しつこくしてトラブルに嫌われないようにね」

「トラブルが私の事、嫌うはずがないわよ!」

「ふ〜ん」

「何よ。まあ、家に人を入れるのを嫌う人もいるわよね……気をつけるわ」

「そうだねー」


 ユミちゃんは、テオの顔を見もせずに立ち去った。ノエルはそれを見てクスクスと笑う。


「ユミちゃんは、本当にテオをノーマークなんだね」

「複雑な気持ち……」

「そうだよねー。ユミちゃんが知った時の反応を、見たくなって来ちゃったよ」

「やめてよー」

「でもさ、あまり時間が経つと言いにくくなるし、ユミちゃんの怒りも大きくなると思うよ」

「うん、そうだけど……トラブルから話した方がいいかもって……」

「そうかなー? テオが男気を……あー、でも……うーん、難しいなぁ」

「ノエルにも、どうすればイイか、分からない?」

「まあ、ユミちゃんは分かりやすいから『キュープラー・ロス』の5段階を、そのまま行くんじゃん?」

「きゅー?」

「まずは否認ひにん。『嘘、信じられない!』 次に怒り。『私のトラブルに何をするのよ!』 そして取引。『私じゃ、ダメ?』 で、よくうつ。『もうダメだわ』 最後が受容じゅよう。『2人を応援するわ』」

「それを、きゅー何とかって言うの?」

「そうだよ。そう、なりそうでしょ?」

「うん。怒りが1番強そうだけど」

「あはっ! そうだねー」

「ノエル、なんで、笑えるんだよー」


 脱力するテオに、メンバー達が笑っていると、マネージャーが時間を知らせに来た。


「昨日と会場が違うので、リハの時間を長く取ってありますから、早めに出ますよ」

「はーい」


 ジョンだけが、力のない返事をする。


「皆さん! アメリカ最後の公演です! 気合が足りませんよ!」

「なんで、マネージャーが気合を入れているのですか」

「最後だからですよ。今日、始めて観に来るファンもいると思いますが、今日、会うのが最後の方もいます。最後に、いい思い出を作ってあげて下さい」

「最後の人もいる……」


 思わぬマネージャーの言葉に、ゼノは感動した。しかし、セスが鼻で笑う。


「どこで、仕入れたんだ? マネージャーの言葉じゃないだろ」

「いや、実は、新聞広告で」


 マネージャーは頭をく。


「はぁー。私の感動を返して下さいよ」

「いやぁ、いい言葉ですよね?」

「まあ、そうですが……最後の、いい思い出ですか……」


 セスは「あ」と、顔を上げた。


 スマホを取り出し、録音ボタンを押す。人目もはばからずハミングで歌い出した。


 少しずつ違う音程に変えながら何度か録音する。録音を終わらせたセスは、無言で席を立った。


 メンバー達は、こうなったセスには何も聞こえない事を、よく理解していた。誰も「どうしたの?」とは、聞かない。


 セスの中に音楽が降りて来て、セスはそれを形にする作業に入ったのだった。


「次の新曲が楽しみだね」


 ノエルは、ゼノに言う。


「そうですね。バラードっぽいですかね?」

「『最後の思い出』がテーマかなぁ」

「切ないメロディーに聴こえましたが」

「難しいのは嫌だー!」


 ジョンが口角を下げて訴えた。


「ジョン。ジョンは、よくやっていますよ」

「必死だもん! 必死で覚えるのは大変だよー」

「まあ、変更に変更を重ねられると大変ですけどね」

「今度は、僕の腕が折れちゃうよ!」

「縁起でもない事を言わないで下さい。さあ、出発の準備をしますよ」


 ゼノを先頭に朝食会場を出て、それぞれの部屋に戻る。


 マネージャーは皆に集合時間を伝え、セスには遅れて会場入りをしても構わないと、メールで知らせた。


 マネージャーもまた、セスが作業に入ると寝食を忘れて没頭すると知っていた。なので、次の仕事のタイミングで、セスがこうなってしまうと、声の掛け方や時間の調整に大変な労力を必要とした。


 しかし、マネージャーはセスの楽曲作りに最大限の協力をした。偉大なアーティスト達が、そうであった様に、セスもまた、かみがかり的な仕事の仕方をする。そして、そうして完成した曲が実際にヒットする光景を目の当たりにするのだから、作業を止めさせる理由はない。


 マネージャーはゼノ達を駐車場で見送り、時計を見る。


(30分……いや、40分したらノックをしよう)






【あとがき】


“キュープラー・ロス”

精神科医。『死の受容』についての第一人者。


キュープラロスの死の受容の5段階より、仏教の3段階の方が、より死に近い様な気がします。

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