第288話 え?トラブルがなんだって?


「あいつは、今、入国審査室の机の上に足を乗せ、腕を組んで、ふてくされている」

「うわっ、トラブルっぽい。ね、想像出来るよね、テオ」

「うん、それで?」

「あー、何度も同じ事を聞かれ、うんざりしながら、机の上に散らばったメモを投げ付けて質問に答えている」

「で? で?」


 ゼノも聞き入った。


「ダテ・ジン登場。入国管理官に刀を突き付けて、背中の桜吹雪を見せ、颯爽さっそうと女を助け出し、馬に乗って……」

「セス! 日本の時代劇じゃん!」


 ノエルが大笑いしながら、ツッコミを入れる。


「待て。まだ、続きがある」

「まさかの長編!」

「女は桜吹雪に一目惚れ。助けてくれたお礼にと着物を脱ぎ……」

「セス! やめてよー! トラブルはそんな事しないよー!」


 ノエルとジョンはゲラゲラと笑いながら「おなかがいた〜い!」と、涙を流している。


「何だよ、テオ、分かんないだろ。やっと入国しても、再会した彼氏が落ち込んだままで使い物にならなければ、助けてくれた桜吹雪を頼もしく感じるかもだ」

「う、それは、そうだけど……」


 セスは鼻で笑う。


「どうせ、確認作業と事務手続きに2、3時間掛かるだけだろ」

「始めから、そう、言ってくれればイイのに……」

「セスー、着物を脱いだ後が知りたい!」


 不貞腐れるテオを尻目に、ジョンが涙を拭きながら、セスに頼む。


「自分で考えろ」

「えっとー、助けたお礼に着物を脱いで……」

「助けた事になった!」


 ノエルがツッコミを入れる。


「でー、白い乳房ちぶさをー……」

「ちぶさって!」

「いいの! 時代劇風に言ってんの! えっとー、乳房ちぶさをー……」

「ジョン、声が大きいですよ」


 ゼノは自分の注意が遅かったと反省した。控え室のドアが開き、ソヨンが立っていたのだ。


乳房ちぶさ?」


 ソヨンの声に一同が固まる。 


 ソヨンは口に手を当て、大きな目をさらに大きくしてジョンを見る。


「あ、あー、ソヨンさん。おはようございます。何か?」


 ゼノはソヨンの前に立ち、視線をさえぎった。


「あの、リハーサルの前に軽くメイクを……すっぴんでは、マズいですよね?」

「そうですね。全員で行っても大丈夫ですか?」

「はい」

「では、少ししたら行きます」

「はいー……」


 ソヨンは大きな目をしたままドアを閉めた。


 ジョンが頭を抱える。


「うがー! ソヨンさんに聞かれたー!」

「まったく、大声でバカな事を言っているからですよ」

「セスのせいだー!」

「何で俺なんだよ」

「もう、ソヨンさんとは終わりだー!」

「始めから、始まる気配もなかったけどな」

「ノエルに負けたー!」

「勝つ気でいた事に驚きだ」

「セスのバカー!」

「自業自得だろ」

「テオのバカー!」

「お、矛先ほこさきを変えたぞ」

「テオが落ち込んでるから、こんな話になったんじゃん! テオのバカッ」

「え、ごめん、ジョン」

「しっかりしろー!」

「うん、ごめん」

「ごめんじゃなーい! しっかり仕事しろー!」

「は、はい!」


 テオの背筋がピンと伸びる。


「おお、末っ子に叱られるのもアリなんですね。さ、メイクに行きますよ」


 ゼノにうながされ、メイク室に移動する。


 ジョンは神妙しんみょうな面持ちでメイクを受けた。


 メンバー達が控え室に戻る時、ノエルは1人、メイク室にとどまった。


「ソヨンさん、ちょっといい?」

「は、はい……あの、何でしょう?」


 ノエルはソヨンに近づき、小声で聞いた。


「おなかの調子どう?」

「え、あ、はい、良いです」

「痛み止めは?」

「いえ、もう必要ない感じです」

「ふーん、3日目って、そんなに楽になるんだ」

「なっ!」


 ソヨンは、首まで赤くなってノエルを見た。


 ノエルは笑いながらソヨンの顔をのぞき込む。


「うん、ソヨンさんは赤いファンデーションが似合うね」


 ノエルはソヨンの頭にポンと手を置いて、出て行った。


「ちょっと! ソヨン! 何なの今のー!」

「いつの間にノエルさんとー!」

「違っ! 違いますよー!」

「きゃー!」


 メイク女子達の悲鳴を背中で聞きながら、ノエルは笑顔で控え室に戻って行った。


 



 ノエルが控え室に入ると、スマホを握りしめたア・ユミがテオをにらんでいた。


「知らないよ……知らなかったんだよ。僕、本当に……」


 動揺して尻込みをするテオにア・ユミは叫ぶ様に言った。


「トラブルさんが陸軍大佐の奥様だなんて! そんな大事な情報は知らせておいて下さいよ!」

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