第69話 初出勤
翌朝、トラブルはいつものオートバイで出勤した。
特殊な雇用形態ではあるが正社員にはかわりない。少し緊張しながら医務室に出向いた。
狭い部屋の壁に小さな薬品棚と鍵の付いた大きな書類棚がある。机の上の血圧計がかろうじて、ここが倉庫ではないと物語っていた。
薬品棚を覗く。
キチンと整理されているが家庭の救急箱とさほど変わらない内容だ。
書類棚は開かない。社員の診療録が入っているのだろう。
机の引き出しを開けると薬品管理表と書かれたノートが入っていた。見覚えのある文字で、購入年月日と使用期限が書かれている。
必要最低限の在庫と個人情報の保護。それと、整理整頓。
大学で学んだ当時のイ・ヘギョンの姿がここにはあった。
(この感じ、懐かしい)
自分のフィールドに帰って来たと
相変わらずの、のんびりとした口調で狭い医務室を案内する。
「ロッカーはー、ここを使ってー。白衣はないのよー。ここねー、パソコンもないのよー。そこの鍵はここねー。紙カルテは全職員分あるわけじゃないのー」
トラブルはメモと鉛筆を構える。
「健康診断の時にー、人事部から職員名簿をもらってー、退職者のカルテはこっちにしまってー、入職者はカルテ作りをするのよー。用紙のコピーは総務に行ってやってねー。あと、薬は市販薬だけよー。自分で買って補充したら経理に領収書を出してー、お金を受け取ってちょうだいー」
トラブルはメモを取るほどの事もないと鉛筆をしまった。鍵を使って書類棚を開ける。
そこはカナダラ順(あいうえお順)に整理されていた。
目に付いたカルテを取り出して読むと、健康診断で要再検査となったスタッフの、その後が記入されていない。
イ・ヘギョンに見せると「そうなのよー。結果が再検査になった事は伝えているんだけどー、その後が追えていないのー」と、気にもしていない。
トラブルは血圧計を指差す。かなりの年代物でしかも水銀計だ。
「まだ、使えるのよー。もったいないじゃないー」
(これは、かなり仕事のしがいがありそうだ…… )
目を細めていると、イ・ヘギョンは世間話を始めた。
「ジウちゃん。チョン・ヒョンスくん覚えてる? ほら、同級生の。彼ねー、アメリカで頑張っているのよー。あとねー……」
トラブルの同級生の近況を話すが、名前と顔が一致しない。正確に思い出せる人は2人位だ。
イ・ヘギョンの話を耳半分に聞きながら、トラブルは今後やるべき事を考えていた。
代表からは医務室の充実を指示されている。
(存分にやらせて
「で? パク先生の体調はどうなのー?」
1番に聞きたい事を後回しにするクセのある、かつての恩師にトラブルは手話で答える。
痛み止めのモルヒネの量は増えて来ていますが、家の中は歩けています。気分の良い日はカメラを持ち、車椅子で散歩に出ています。今のところ、癌の転移は見つかっていません。わがままは相変わらずですが、私の仕事が決まってからは、自分の事は自分でやろうと意欲を見せるようになりました。
「そう。もう、10ヵ月になるのねー。あなた、よくここまで
いえ、パク・ユンホの生命力のおかげです。彼は病気を楽しんで受け入れています。こんな患者は始めてです。
「そうよねー。パク先生は人生を楽しむ天才ですものねー。あなたの変化を1番喜んでいるでしょうねー」
トラブルは、そうですねと、愛想笑いをして、わがままな性格がさらに、ひねくれましたけど……とは言わない。
社内を回って来ますと、頭を下げて医務室を出た。
倉庫でソン・シムを探す。
「おー! トラブル!」
向こうが見つけてくれた。
「お前、本当に社員になったんだなぁ」
ソンの大声で他のスタッフも集まって来た。
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