第396話 BBクリーム


 トラブルはバスルームの灯りを落とし、薄暗い鏡の前で上着を脱いでいた。差し出された上着をテオは腕を伸ばして受け取り、洗面台の椅子に掛ける。


 トラブルはテオに近づき、テオのパジャマのボタンをゆっくりと外していく。テオはボタンを外すトラブルの手を、ドキドキしながら見下ろした。


 トラブルはボタンをすべて外し終わると、パジャマの前を開き、テオの素肌に抱き付ついた。


 テオも腕を回して抱きしめ返す。


(これは、OKって事だよね? いきなり⁈ 昼間だけど……)


 テオはトラブルの顔を両手で包み、顔を上げさせて長いキスをした。


「ねぇ、貧血は治ったの?」


 下半身は、余計な事を聞くな、そんな場合ではないと準備を整えつつあったが、上半身はそれよりも違う準備を整えたいと理性でおさえつける。


 トラブルの額と頬を撫でながら心配そうな顔を向ける。


 治ってはいないが大丈夫だと、トラブルはうなずいてみせた。


「本当? 階段から落ちたケガは大丈夫なの?」


 テオはトラブルの前髪を上げた。しかし、トラブルは頭を振って前髪を下ろし、背伸びをしてキスをねだる。


「待って、どこをケガしたの?」


 テオはトラブルの唇を避けながら、再び前髪をあげようと額に手をやる。


 その瞬間、トラブルの左の眉に痛みが走った。ビクッとして顔をしかめる。


「ごめん、痛かった? 指が当たっちゃった……」


 テオは自分の指を見て驚いた。黒い眉墨まゆずみが付いている。


「トラブル、お化粧しているの? 眉毛を書いてる……?」


 テオはトラブルの顔を持ち、明かりに向ける。


 トラブルは顔を横に向けて明かりを避けた。


「キズを見せて。お化粧でキズを隠しているの? そんなに、ひどいの? 見せてってば」


 トラブルは観念してテオに顔を預ける。


 テオは、洗面台の明かりではハッキリ見えず、トラブルの手を引いて、部屋のカーテンを開けた。


 日の光の中で、トラブルの眼瞼まぶたが不自然に波打っているのが分かる。左のこめかみから目の横に掛けて、薄っすらと黄色く変色していた。


「信じられない……信じられない……」


 テオは、そう言いながらタオルを濡らしてトラブルの顔を拭く。


 トラブルは顔をしかめながらも、テオに大人しく従った。


 消えかかったあざは、まだ、薄い青と黄色のまだら模様だった。


「……階段でぶつけたって、てっきり、鼻にり傷とか、おでこにタンコブとかを想像していたよ……さっき、ベッドに横になった時、眼瞼まぶたが変だなぁって思ったけど……目の上を切ったの⁈ 顔の半分をぶつけたの⁈」


 トラブルは少し考え、派手に転んだだけですと、返事をした。


(嘘だ。隠す理由は……僕が心配するから……僕を思って……)


 テオは笑顔を取りつくろう。


「そっか。お酒でも飲んでいたの? そのメイクはユミちゃんに教えてもらったの?」


はい。こんなに早くバレてしまうとは思いませんでした。


「バカだなー、隠さなくてもイイのに」


(チョ・ガンジンさん、がらみだよね……)


 テオは不安を隠して、笑ってみせる。


 トラブルはテオを真っ直ぐに見た。


テオ。


「なぁに?」


会いたかったです。


「ありがとう。僕も会いたくてたまらなかったよ」


時間がありません。


「え? 何の時間?」


続き。


「続きって……」


急ぎましょう。


「え! 待って、トラブル!」


 トラブルはテオの手を引いてバスルームに行く。灯りを落とし、シャワーを出して浴室を暖めた。


 Tシャツを脱ぎ捨て、前が開いたままのテオのパジャマに手を掛ける。


「待ってよ! ちょっと、落ち着いて!」


 テオはトラブルの手首をつかんだ。トラブルは、首を傾げてテオを見る。


「トラブル……シたいの?」


 トラブルは、コクリとうなずいた。


「マジか……」


嫌ですか?


「いや、嫌じゃないけど……あの、僕も同じ気持ちだよ? すごく……嬉しいけど、でも、昼間だし、時間もないし、ムードもヘッタクレもないなぁって……」


(チェリーめ〜)


 トラブルは心の中で舌打ちをする。


「今、舌打ちしたでしょうー。ひどいなー。こういうのって女の子の方が気にするものじゃないの?」


もう……いいです。


「いいって、怒ったの?」


はい、帰ります。


「え! 帰るって、家に帰るの⁈」


いえ。下の階の部屋に。


「下? このホテルに部屋を取ったの?」


はい。


「じゃあ……今夜、ゆっくり。ね? 待っていてくれる?」


……セントラルパークでマッチョなアメリカンにナンパされたら、ついて行ってしまうかも。


「ダメ! それ、本当にダメだから。危ないし。いい子で待っていてよ」


努力します。


「努力じゃなくて、待っていて。もう少し、女の子らしく出来ないかなぁ」


……。


「あ、怒ったの?」


男性に断られるのは……恥ずかしいです。


「ごめっ! 拒否ったんじゃないよ! あの、僕、その……どれくらい時間が掛かるかとか……何も分かってないんだよ。だから、心の準備だとか……いろいろ、ちゃんと特別な時間にしたいし……バスルームは……映画みたいで素敵だけど、もう少し慣れてからというか……」


分かりました。


「本当? 待っていてくれる? コンサートが終わったらダッシュで帰って来るから……見に来る? あ、ノエル達にバレちゃうか」


待っています。


「本当に?」


いい子で待っています。


「良かったー」


 テオはトラブルを抱きしめた。


 ノックの音と、ドアの外でマネージャーが呼ぶ大声が聞こえる。


「ほら、2人を引き裂く悪い奴が来た」


 テオとトラブルは額を付けて笑い合う。


「じゃあ、ここで隠れていて。僕は行くね……って、僕、着替えてないじゃん! ヤバイ!」


 テオはバスルームにトラブルを残し、走って部屋のドアを開けた。


「テオ、時間ですよ。あー! まだ、パジャマ! 準備もしていないのですか⁈ 早く、早く!」

「はい! ごめんなさーい! すぐに行きます!」


 テオはドアを閉め、ベッドの上にパジャマを脱ぎ捨ててスウェットの上下を着る。


 トラブルは呆れながらテオに、そんな軽装でいいのかと、聞いた。


「大丈夫。帽子を被って上着を着て、このスニーカーなら……よし、こんなもんでしょ。じゃあ、行って来るね」


 テオはトラブルにチュッとキスをした。


「行って来るねって、新婚さんみたいだね〜」


 トラブルは目尻が下がるテオのお尻をポンと叩く。

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