第212話 ソヨンの奪い合い⁈


 監督は壁を見るなり「いいね。この辺りに英語も」と、言い出す。


 トラブルは、その単なる思いつきの提案にうんざりとしながらも、脚立に座ったままメモに英語訳を書き始めた。


「あー、ここでしたか」


 ソヨンがメンバー達を探してやって来た。


「あの、涼しい場所にいないとメイクが溶けてしまいます」


 そう言うソヨンの顔も汗で光っている。


「ごめん。探させちゃった?」


 ノエルは、そう言いながらソヨンの頰の汗を指で拭き取った。


 ソヨンは、顔を真っ赤にさせながら「控え室に来て下さいね」と、逃げて行った。


「ちょっと、何、今の」


 ジョンが眉間にシワを寄せながらノエルに言う。


「何って、何が?」

「ソヨンさんに。何あれ」


 ジョンはノエルがした様に、おでこを指でなぞる。


「汗を拭いてあげただけでしょ。すぐに赤くなるから面白いんだよねー」


 ノエルは、目を細めて髪をかき上げる。


「ゼノー! ノエルが最近、ソヨンさんをからかって意地悪してるんだよー!」


 ジョンはゼノに言いつけるが、ゼノはトラブルと英訳に集中してジョンの言葉が聞こえていない。


 ゼノの代わりにセスが答えた。


「ジョンが『ソヨン可愛い』を連発するから、からかわれるんだろ」

「え、そうなの⁈」


 テオが驚いて聞き返す。


「ジョンって、ソヨンさんの事、好きなの?」

「可愛いって言っただけだよー。なのに、ノエルが意地悪するんだ」

「だって、ソヨンさんは、すぐに赤くなるし、ジョンはプンプンするし、面白いんだもん」


「ノエル、調子に乗ってると刺されるぞ」

「えー?」

「僕にね! 僕に刺されるから!」


 ジョンの必死な様子に大笑いするノエル。


「ほら、また、顔が溶けるって言われちまうぞ」


 セスにうながされ、4人はゼノとトラブルを置いて控え室に向かう。


 脚立の上から、パチンと、トラブルの指の音が聞こえた。


 4人は振り向いてトラブルの手話を見る。


ノエルの腕を冷やして下さい。


「OK。冷やしておくよ」


 テオが答え、4人は控え室に消えた。


 スタジオ横の控え室は、冷房でしっかりと冷やされていた。


「あー、生き返るね」


 ソファーに座るノエルの腕に、テオが保冷剤を当てる。


「手首でいいんだよね……」


 テオの不安な様子にノエルが「肘と肩も冷やして」と催促さいそくをした。


「違和感があるのか?」


 セスが眉をひそめる。


「ううん。まだ、ダンスシーンがあるから、備えておこうと思って」


 テオはノエルに言われるまま保冷剤を支え持つ。


「あの、ゼノさんは?」


 ソヨンはジョンの汗を拭き取りながら見回した。


「壁に歌詞の英語を書けって言われて、あいつと苦戦してるぞ」

「メイク直しをしないといけないのに……」


 ソヨンのため息を聞いてジョンが立ち上がった。


「僕が連れてくるよ!」


 ソヨンはタレントにそんな事はさせられないとジョンを止め「私が行きます」と、ドアに向かう。


「じゃあ、僕と一緒に行こう。トラブルに手を見てもらいたいし」

「あ、はい……」


 ノエルは、テオごと肩の保冷剤を振り落とし、手首に保冷剤を当てたまま立ち上がる。


 ドアを押さえてソヨンを先に行かせ、振り向きざまに、べーと、ジョンに舌を見せて出て行った。


「見た? 今の、見た?」


 ジョンは、閉まったドアを指差して言う。


「あ? 何を見たって?」


 セスは水を飲みながら首を傾げる。


「僕に、あっかんべーした! 何でノエルと行くの⁈ 何でソヨンさんと行くのさ!」


 保冷剤と置いてけぼりを喰らったテオも、ノエルの態度に驚きを隠せない。


「ノエルはソヨンさんが好きなの⁈ ジョンとソヨンさんを取り合っているの⁈」

「ノエルに取られちゃうよ!」


 ジョンが叫ぶ。


「え、本当に取り合っているの? 好きなの?」

「う、いや、可愛いとは思うけど、好きかどうか……分かんない」


「何だそりゃ」


 セスが鼻で笑いながら言う。


「お前ら、ソヨンで遊んでいると本当に刺されるぞ。あいつに」


 テオは思う。


(ノエルがジョンをからかう為だけに、ソヨンさんを利用したりするかなー……)





 一方。


 壁の前ではトラブルとゼノが、まだ英訳出来ずにいた。


この形容詞の活用は間違っていませんか? 接続詞のas ifは仮定的状況を表すものでは?


「あー、教科書的にはそうですが、実際の言葉にすると、この一文は……間違っている訳ではないのですが、歌詞としてのいんも踏んでいませんしー、直訳なら正しいのですが……」


言葉としては、間違っていると?


「そうですね。英訳と言うより翻訳の方がしっくり来ますね」


 トラブルは顎に手を置いた。


 暑いスタジオの脚立の上で、トラブルは悩み続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る