第203話 難解


 トラブルはノエルの右手の指を1本1本触ってる。


 小指側の手背しゅはいれは、かなり減って来ていた。


 触ってもノエルは痛がらない。


 しかし、シーネが当たっていた部分と手首の包帯が厚く巻かれていた部分が赤くなっている。


きむしりましたね。


「本当に耐え難かったんだよ。今もきたい」


 ノエルは、爪で引っ掻く動作をする。


 トラブルは、ダメと、首を振りながら、ステロイド含有の軟膏を赤い部分に薄く塗り、その他の部分には保湿剤を擦り込んで行く。


「あー、気持ちいい」


 ノエルがえつに浸っていると、トラブルはテオに手話で聞いた。


明日、仕事前に医務室に寄れますか?


「明日はー、うん、新曲のレコーディングとダンスレッスンだから、1日会社にいるよ」


では、朝一番に来て下さい。薬を塗り直します。

もし、またかゆみが我慢できなくなったら、先程のように冷やすのがいいです。絶対にきむしらないように。


 新しい包帯をシーネとノエルに巻く。


「はーい、努力しまーす」


 ノエルは包帯の上から、右手をさすりながら言った。


 トラブルは外した包帯と軟膏を片付け、リュックを肩に掛けた。


「帰るの? 泊まって行きなよ」


 テオが驚いて引き止める。


いえ、帰ります。着替えも持って来ていないので。


「そう…… 気を付けてね」


 トラブルは、ではと、玄関に向かう。


 テオはリビングでその姿を見送った。


 バタン。


 玄関が閉まる音にセスが、はぁーと、天井を仰ぐ。


「まったく、相変わらず面倒くせー……テオ、追いかけろ。あいつ、また何かにハマって考え込んでるぞ」

「え、そうなの? うん、分かった。話しを聞いてくる」


 追いかけたいと思っていたテオはセスの言葉に素直に走り出す。


 エレベーターを待つトラブルに追い付いた。


「トラブル、どうしたの? また、何か考えているね」


 まさかテオに心のざわつきを気取られるとは思ってもいなかった。とっさに返答に困る。


いえ…… あの、ゼノは……考えがまとまらないので、もう少し、考えてみます。


「ゼノ? ゼノがどうしたの?」


いえ、ゼノの話ではありません。あの、何て言えばいいのか。カン・ジ……


 トラブルの言葉を遮るように、エレベーターの扉が開いた。


「カン・ジフンさん? 何かあったの?」


いえ、何でもありません。もう、行きます。部屋に戻って下さい。


 トラブルはエレベーターに乗り『閉』を押す。すると、テオは閉まる扉に体を滑り込ませ、エレベーターに乗り込んだ。


 トラブルは、ため息をいて1階のボタンを押そうと手を伸ばす。が、テオはその手を止めた。


 テオはトラブルをエレベーターの壁に押し付ける。


「トラブル、1人で考えていても答えなんて出て来ないよ。僕に分からない事は、セス達が知恵を貸してくれるから。だから、何かヒントをちょうだい」


 トラブルはテオの顔を見上げた。


答えは分かっています。ただ、再認識して、ショックだったというか……忘れていた自分に腹が立っているだけで、なぜ忘れていたのだろうと考え込んでしまいました。


「難解なヒントだな」


 トラブルはテオに微笑みかけ、ハグして下さいと、両手を広げる。


 テオはトラブルの望み通り、抱きしめた。


「難解な僕のお姫様。そのまま難解でいて。誰にも理解されなくていい。僕がそれを知っているから、それでいい」


(ありがとう、テオ……)


 突然、エレベーターが動き出した。


「ヤバ、誰かがボタンを押したんだ」


 2人は離れて立ち、何階で止まるか息を飲んで見守る。


 エレベーターは1階に到着した。


 扉が開き、テオは「こんばんは」と、素知らぬ顔でマンションの住人と挨拶を交わし、エレベーターを降りた。


 正面玄関に向かう。


 トラブルも下を向いて反対側の駐車場出入り口に向かう。


 背後でエレベーターの扉が閉まった。


「あー、緊張したー!」


 テオがトラブルに駆け寄る。


名演技でしたよ。


「本当? 気付かれなかったかなー? まだ、ドキドキしてるよ」


 ここも、危険です。早く、部屋に……


 テオはトラブルにキスをした。強く、抱きしめる。


「帰したくないよ。このまま僕が泊まりに行っちゃダメ?」


 トラブルは手話をしようとするが、テオが離さない。


「答えは分かっているから……今は、聞きたくないだけ。もう、少しこのままでいさせて」


 トラブルはテオに身を任せる。


 駐車場に車が入って来る音がした。


 ライトが一瞬、2人を照らす。トラブルとテオは、慌てて体を離した。


もう、行って下さい。


「うん、気を付けてね。また、明日」


 テオは笑顔で手を振る。


 トラブルも微笑みながら手を振り、小走りで駐車場に消えて行った。


 テオは背中で遠去かるバイクのエンジン音を聞きながら、階段を上って部屋に戻る。

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