第324話 もう1人いた!


 トラブルは手話を続ける。


例えば……机の上にボールペンがあります。『ボールペンがあるよ』と、言われれば何も感じないけれど『ボールペンがよ』と、言われると、ボールペンは『ある』のに『あった』と、嘘を言われたと感じる。事実なのに事実でないと感じてしまうのです。それが、あなたの違和感の正体です。


「……それだけ? だって、そんな言い方は普通にあるでしょ?」


 テオはゼノとノエルに伝えながら同意を求める。


 ゼノは、何も言えないでいるセスを見ながら聞いた。


「セス。そんな些細ささいな動詞が過去形になっただけで、嘘だと感じているのですか?それは嘘ではありませんよ。距離や時間の経過で変わる言い回しです」


 テオはうなずきながら、それでもセスを理解しようと質問をする。


「ねぇ、セス? 僕がさっき平気って言ったのは嘘だって分かったの?」

「……ああ、だから引き止めた。テオは、いつも平気じゃない」

「うん、当たってる。僕はいつも平気じゃないよ。でも、平気じゃないって分かってて、僕を1人にしてくれたりしてくれてたんだよね? あれ? あってる?」

「大丈夫だよ、テオ。あってる」


 幼馴染はうなずいてみせる。


「ノエル、ありがとう。セス、平気じゃない僕を、いつも1人にしたのは、なぜ?」

「それはテオが、俺やノエルからヒントをもらって、自分で乗り越えると知っているからだ」

「信じてくれたって事でしょ?」

「信じたんじゃない、知っているんだ。だから嘘をかれても、気にならない」

「知っているから、信じれたんでしょ?」

「……そうかもな」

「じゃあ、他の人の事も、もっと知ればいいんじゃない? ね? そうすれば嘘が気にならない」


 テオは声に自信を込めて言う。しかし、セスは首を横に振った。


「……違う。俺のは、そんな事じゃない」


 セスはソファーにドサっと座った。


 床であぐらをかくトラブルは、ジッとセスを見ながら手話を聞かせた。


過去の話を聞いた時、あなたはその日時に意識が飛ぶのでしょう。だから、過去の事として話す相手と、現在の事として聞くあなたに時間差が生じる。それが、あなたに違和感を感じさせている原因だと思います。


「時間差?」


はい。相手に同調シンクロし過ぎて、意識がタイムスリップするのだと思います。今、起きている出来事を、なぜ過去形で話すのかと感じている。


「タイムスリップ……」


時間だけではありません。もしかしたら、無意識に物にもシンクロして、先程のボールペンを例にすると、ボールペンに入ったセスは、自分は『いる』のに『ある』と、言われたと不愉快に感じる。違いますか?


「いや、俺は……無意識に入ると出られなくなる。ノエルの時がそうだっただろ。だから、コントロールしている」

(第2章第220話参照)


もっと深く、深層心理レベルでは? コントロール出来ていると言えますか?


「いや……」


コントロール出来ていないと自覚していた時期はありましたか?


「……ある。子供の頃……俺をだました奴らや、その家族にも入ってしまった」

(第1章第12話参照)


(子供の頃から……この症状は……)


 トラブルは頭の中で、以前、学んだ精神心理学の教科書をめくる。


「俺の違和感の原因が、俺にある? 俺はいったい何なんだ……」


 トラブルは、青ざめるセスを観察した。


(疲れやすく、人混みが苦手。常に睡眠不足で風邪を引きやすい……身体的特徴も合致がっちしている。本人はそれを調べてもいない⁈)


 ノエルは後ろに隠れているジョンに、通訳を頼む。


「ジョン、トラブルは何て言っているの?」

「あの。セスは相手が過去の話をすると過去に行っちゃうんだって。だから、セスには『今』の話なのに過去形で言われると、嘘って思っちゃうんだって」

「さっきのボールペンの話?」

「ボールペンにも入っちゃうから『いる』のに『ある』って言われて、変に感じるんだって」


 テオはジョンの通訳を聞いて驚いた。


「ジョン、完璧だよ! 僕より上手に説明出来てる!」

「イェ〜イ! あ、ごめんなさい!」


 ピースサインをして見せたジョンは、ゼノににらまれて、慌ててノエルの後ろに引っ込んだ。


「トラブル、教えて下さい。セスの苦しみの理由は何なのですか? 私は何年もセスを見ていて、セスの力はアーティスト特有の感受性の強さなのだと思っていました。頭が良くて勘が鋭いから、ジョンの事も見つけ出せたし、心にキズを負った事があるから、相手の気持ちが分かるのだと…… それが常に、日常的に苦しんでいたと言うのですか⁈ なぜ、そんな事が起きているのですか⁈」


 トラブルは、必死にすがる様に見るゼノから視線をらした。


(私の口から、皆んなのいる前で言っていいのか判断が出来ない……専門機関にセスを連れて行かなくては……)


「トラブル。トラブルが言えないなら、僕が言ってあげようか?」


 トラブルは、ハッとノエルの顔を見た。


(もう1人いた……!)


「ノエル?ノエルは知っているのですか?」

「うん、僕もそうだから。セスは……」


 トラブルは立ち上がり、ノエルに飛び掛かる。


 両肩をつかみ、首を横に振った。


(言ってはいけません!)


「なんで? 僕は自分で調べて対処しているよ? セスの方が重症だけど、知った方が気持ちが楽になるよ」


いけません。素人が安易あんいげてはいけない。専門知識を持つ人から、正確な情報と対処法を学ばなくては。


「何を言っているか分からないよ。……でも、何を言いたいかは分かるけど」


 顎を引き、目に力を入れるノエルを見て、トラブルの背筋にゾクッと悪寒おかんが走る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る