第366話 死んだら救急車を呼んであげる


 代表はピザをむさぼるように食べ続ける。


 ユミちゃんとトラブルは頬杖を付きながら、諦めて、ただ見ていた。


 ハン・チホは困って口を開いた。


「あの……」

「気にしないで。代表ったら胃カメラの時間を間違えて、昨日の夜から何も食べていないんですって。本当は4時から検査だったから、昼からの絶食で良かったんですってよ。バカよねー」

「11時からと聞いていたんだよ! で、あの医者が今から食べるなと俺を軟禁したんだ!」

「ええ!」


 ユミちゃんは顔の前で手を振って、ハン・チホに言った。


「間に受けちゃダメよ。『お待ち下さい』って言われただけなんでしょう?」

「『お待ち下さい』が、3時間だぞ!」

「それでも、早くしてくれたんじゃない。イイお医者さんよね?」


 ユミちゃんの言葉に、トラブルは強くうなずく。


「ざけんなっ! 俺は忙しいから検査日を変えろ……変えて下さいと頼んでも、1ヶ月後になるから手遅れになると脅して来たんだぞ! なんちゅう医者だ」

「実際に胃潰瘍があったんでしよ? 早く見つかって良かったじゃない」

「うるせー。ユミ、ビール買って来いよ」

「もー。早く死んで欲しいから買って来てあげるわー」

「何だ!その言い草は!」

「出血しているから本当はダメなんでしょ? なら、死ぬ気で飲んで頂戴ちょうだい。救急車は自分で呼んでね」

「お前! 助けないつもりか⁈ 」

「血を吐いて、息が止まったのを確認してから救急車を呼んであげる。『えっと〜、酔って寝ていると思ってました〜』……どう? 名演技?」


 トラブルは親指を立ててみせる。


「お前らー、呪ってやるからな!」

「お墓にピザソースとビールをかけてあげるわよ。あ『命がけでビールを飲んだ男ここに眠る』なんて墓標はどう? お線香を折ってバカって文字を作って、いてあげる。バカの煙が、“バカ〜” って上がって行くの。どう?」


 トラブルは笑いながら両手の親指を立てる。


 口の悪さでユミちゃんにかなう人間は現世にはいない。


 代表は悪態をきつつ、17才の少年に逃げ道を見つけた。


「クソ女共めっ! ハン・チホ、女は顔で選ぶなよ。こいつらみたいな女に引っかかったら人生台無しにされるぞ!」

「そろそろ、食べるの止めなさいよ。本当に血を吐く事になるわよ? ほら、ハン・チホが困ってるじゃない」

「うるせー。やっと、腹が落ち着いて来た。よし、では、報告を受けるぞ」


 ハン・チホは、会社の代表と自分達のヘアメイクがこれほど親しいとは思ってもいなかった。


 いや、むしろヘアメイクのユミちゃんの方が偉いのかと錯覚しそうになる。


 2人の顔を見比べながら、チョ・ガンジンに、ダンスよりもボイストレーニングに力を入れろと言われた事と、ソロに興味はあるかと聞かれた事を話した。


「なんなの、それ」


 ユミちゃんは、わけが分からないと肩をすくめて言う。


 トラブルも首をかしげて、代表を見た。


 代表は真面目な顔をして「ふーん……」と、言ったまま黙り込んだ。


「何よ。もったいぶってないで言いなさいよ」


 ユミちゃんに催促さいそくされても代表は口を開かない。


 その代わり、トラブルに命令した。


「今夜も奴をつけろ。逐一ちくいち、報告しろ」


 代表は立ち上がり、医務室を出ようとする。


「ちょっと、代表は何をするのよ」


 ユミちゃんが声を掛けた。


「俺は、さらに奴を揺さぶって来る」


 代表は、そう言い残して医務室を出て行った。


「何よ、あれ。汚い顔してカッコつけちゃって」


 ユミちゃんの言葉を聞き流して、トラブルは考えた。


(代表の揺さぶりは、いったい……金、女、不動産会社、ソロ。分からん……)


「トラブル、今夜も尾行ってチョ・ガンジンの居所を知っているの?」


 ユミちゃんに聞かれ、トラブルは、そういえばと、首を横に振る。


「あ、あの、まだ、社内にいると思います。他のマネージャーさんとテストの打ち合わせをしていたので」

「会議室で?」

「いえ、レッスン室です。マネージャーさん達は、よくレッスン室で打ち合わせをしています」

「ハン・チホ、でかした!」


 ユミちゃんに褒められて、ハン・チホは照れた笑顔を見せた。


「あら。可愛い〜。もっと練習して、もっと上手になったらセンター張れる顔なんだから、頑張んなさいよ」

「はい! ありがとうございます」

「よし! 解散!」


(解散?)


 トラブルは眉間にシワを寄せて、ユミちゃんを見る。


「チョ・ガンジンの口グセよ。ねー、ハン・チホ?」

「はい。いつも、終わりに言います」

「威張ってて嫌な感じなのよねー」

「はぁ」

「『はぁ』じゃないわよ。相手が年上でも『礼儀がなってないな、こいつ』ぐらい思わなくちゃダメよ。反面教師にするのよ」

「はい! 分かりました!」


 ハン・チホの元気な返事を聞いて、トラブルとユミちゃんは笑顔になる。


「あんた、雰囲気変わったわねー。前は、自分は不幸です〜。誰かどうにかして下さい〜って感じだったのにねー」

「あ、ありがとうございます……? あの、チョ・ガンジンさんが帰ってしまうかも……」


(おっと、そうでした)


 トラブルは立ち上がり、リュックを肩に掛ける。


「トラブル、気を付けてねー。応援が欲しくなったら、いつでも連絡してねー。私の車も貸せるからねー」


 トラブルはユミちゃんに見送られ、レッスン室に向かう。


「さて、私達は戸締りして帰るわよ。あんた、課題曲は決まったの?」

「はい、決まりました」

「明日、コンセプトとか教えてくれる? テスト当日は最高にカッコよくしてあげるわ」

「はい! ありがとうございます!」


 古参こさん姉御あねごはだのチーフメイクを味方に付けて、喜ばない練習生はいない。


 ハン・チホはますますレッスンを頑張ろうと心に決めた。


 その頃、トラブルはレッスン室のドアの隙間から、チョ・ガンジンの姿を確認していた。


 マネージャー達と車座になり、何やら熱心に話し合っている。


(打ち合わせ中か……)


 トラブルは会社正面のロビーが見渡せる2階で、チョ・ガンジンを待ち伏せした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る