第564話 誤解は正解


 翌朝、テオは物音で目が覚めた。


 いつもの天井を見上げる。しかし、室内にはいつもと違う、いい匂いが充満していた。


 抱きしめて寝ていたはずのトラブルはキッチンに立っていた。お玉で片手鍋をかき回している。


「トラブル? ご飯作ってくれてるの?」

 

 テオは後ろから抱き付いて首筋にチュッとキスをする。


 トラブルはくすぐったいと振り向いて自分の喉に手を当て「おはよう」と、空気と共にささやいた。


 テオはその小さな声を聞き取り「おはよ」と、耳にキスをする。


「それってお味噌汁? 日本式の?」


ナスと油揚げの味噌汁です。


 トラブルの手話を後ろから読み、テオは「いい匂いだね」と、もう一度首にキスをする。


 トラブルは味噌汁をテーブルに置いたお碗によそう為、鍋とお玉を持って振り返る。しかし、ぎこちない歩みで鍋の中の味噌汁が波を立てた。


「おっと、危ない。僕がやるよ」


 トラブルはテオに鍋を任せ、ご飯をよそった。 


 すでにテーブルにスタンバイ済みのキムチや海苔をおかずに、2人は向き合って手を合わせる。


「いただきまーす」


 テオは炊き立てのご飯と味噌汁に「ん〜!」と、舌鼓を打つ。


いつも、セスの美味しい手料理を食べているのですよね?


「うん。でも、セスのは少し塩辛いんだよ。メシを食えって言うんだけどさ、自分がお酒を飲む為に濃い味付けにしてると思う」


なるほど。


「あ、今日の僕は何時にどこに行くんだったっけ……」


 車の免許を取得したテオは、行き先さえ伝えておけばメンバー達と別行動を許されていた。


 その代わり、1度でも遅刻すれば外出禁止にするとマネージャーに脅されている。


 そんなテオをフォローする為、リーダーのゼノは分かりやすくスケジュール表を書き直してくれていた。


「えっと、僕のスマホ……」


 トラブルは自分の白いスマホを出して、今日のスケジュールを見せる。


「え!もう僕達の仕事を把握しているの⁈」


当然です。今日はあなた達の番組の3本撮りです。


「3本⁈ うわ、1日中、会社か……」


夜はラジオ出演です。


「じゃあ、帰りは夜中になっちゃうね。今夜は来れないかも……」


明日はロサンゼルスですよ。


「え! そうなの⁈ 」


アルバムの宣伝とトーク番組、歌番組と雑誌の取材が何件か入っています。


「そうだったんだー」


帰国は5日後です。


「ええー! 5日も会えなくなるの⁈ 寂し〜」


頑張って下さい。


(ロスの2日半ですべてをこなす殺人スケジュールだって事は黙っていよう)


「頑張るよー。頑張るけどさー」


 口を尖らせながらテオは食事を終わらせた。


 自分が座っていた椅子をバスルームに運び、バスタブの横に置く。


「ほら、これなら座って片足ずつバスタブに入れるでしょ? 僕がいない間に転ばない様にね。今のうちに買って来て欲しいものある?」


 トラブルは首を横に振る。


「そう? じゃあ困ったらユミちゃんを呼ぶんだよ。いろいろ手伝ってもらう事。いいね?」

「はー……い」

「はいって言ったの? ねぇ、もう一度、僕を呼んで」


 テオはトラブルの腰を引き寄せる。


 トラブルは喉に手を当て、息を吐く様に耳元にささやいた。


「テオ」

「んふふふー、もう一回」

「テ、オ」

「くすぐったい。もう一回」

「テ……ゴホッゴホッ!」


 むせ込み、トラブルは眉間にシワを寄せて喉に当てる手に力を入れる。


「トラブル! 痛いの⁈ 」


すみません。あまり話すと声帯が痙攣けいれんを起こしそうに……。


「ごめん。調子に乗っちゃった……ごめんね」


いえ、大丈夫です。もっと練習します。


 テオはトラブルを引き寄せる。


「あー! 5日かー! ……やっぱり、シとけば良かった。ベッド、行っとく?」


バカ。


「何でだよー! 昨日はお互い疲れてたしさー。トラブルはアザ作ってるしーって、遠慮しちゃったんだよー!」


明るい場所では嫌です。


「う、ごめんなさい」


それに……


「それに?」


そろそろ、出る時間ですよ。


「げ! ヤバッ!」


 テオは慌てて着替え、スマホをコートのポケットに差し込む。


「車のキーが……あった! これも置き場所を決めなくちゃねー。じゃあ、連絡するから。イイ子で待ってるんだよー。ん〜」


 テオはトラブルにキスの雨を降らして、走って青い家を出て行った。


 車が走り去るのを2階の窓から見送る。


 朝食の洗い物をしながらトラブルは、昨夜テオが触れて来なかったのは遠慮していたからだと知り、ホッとしていた。


 トラブルもまた、イム・ユンジュと同じ事を考えていた。


 乳癌の手術後の妻の体を見て、愛せなくなったと悩む夫と愛されなくなったと悩む妻は、よくある話だ。


 テオもまた、自分の醜い足を見て愛せなくなったのかと疑ったが、それは受け入れてくれたテオに対し、失礼な誤解だったと反省する。


(テオ、だーい好き……)


 トラブルは鼻歌まじりに洗い物を続けた。






 トラブルの誤解は半分正解だった。

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