第2章 月

第67話 イ・ヘギョンの退職


 季節は夏も秋も忙しく過ぎ、冬へと変化していた。


 あれから約10ヵ月。


 パク・ユンホが救急搬送されて1週間後、病名が公表された。世間はしばらく騒いだが、その後、報道でパク・ユンホの名前は聞かなくなった。


 セスは、事あるごとに代表にたずねるが、代表はキムからの連絡はなく、病状は分からないと言う。 もちろん、トラブルのその後も。


 ゼノの提案で、会社は発展途上国の子供達を支援する活動を始めた。


 メンバー達はそれぞれ誕生日を迎え、ゼノ26才、セス24才、ノエル21才、テオ21才、ジョン19才になっていた。


 あの撮影以来、テオの持ち前の無邪気さがなくなった。


 以前のように撮影中は元気そうに見えても、ノエルによじ登ったり、スタッフにいたずらを仕掛けたりする事はなくなった。


 セスは、そんなテオにソロ曲を作った。


《血を吐くほどの努力をしても絶対に君に逢えない。この身が引き裂かれるほど逢いたいのに。始まる前に終わった、この恋。愛を知る前に終わった、この恋。哀しくて、切なくて、苦しい恋の歌…… 》


 テオのハスキーボイスを最大限に活かしたその曲は、ヒットチャート1位となった。


 SNSでは、テオがライブで涙を流した事もあり、セスとテオのどちらの実体験なのか? と、ファンが騒然となり、さらに知名度が上がった。


 そして、今年もまた会社の忘年会のお知らせが回覧される。今年はソウル市内のホテルで行われるようだ。


 あまりの忙しさで、ゼノですらスケジュールが全く頭に入ってない状況で「今夜、忘年会です」と、言われて、やっと、あれから1年たったのだと我に返る。


「スペシャルゲスト来るかな?」


 ジョンの何気ない一言で、全員が同じ期待をするが、会場に入り落胆した。


 舞台はあるが、表彰用の小さいものでダンスが出来るスペースはなかった。カメラも見当たらない。


 会場中央の円卓に案内された。


 前方のテーブルに代表、事務局長、作曲家の先生、イ・ヘギョンさんが座る。 


 飲み物が配られ、事務局長が今年の黒字報告を行う。職員とメンバー達をねぎらい乾杯の音頭をとった。


 コース料理が運ばれ食事が始まる。


 司会が、今年、会社が表彰された内容や、メンバー達の受賞内容を発表していく。その度に拍手がおこり、メンバー達は立って拍手に応えた。


 次に司会がイ・ヘギョンさんの退職を伝えた。


 イ・ヘギョンは前へ出て、挨拶をする。


「来年から看護大学に戻り後輩の育成に尽力しますー。代表、わがままを許して頂き本当に感謝していますー。ありがとうございましたー」


 いつもの、のんびりとした口調で短く終わらせた。


「それだけで、いいんですか?」と、司会。

「あまり、長く話すと泣いちゃうからー」と、すでに涙声で席へ戻って行った。


 メンバー達は拍手をしながら同じ事を感じた。


 トラブルを知る人がいなくなる。トラブルとの繋がりが代表だけになる。


 セスはユミちゃんを見る。


 ユミちゃんも同じ事を考えたようだった。上の空で拍手をしている。


 ユミちゃんもまた、あの日以来苦しんでいた。


 トラブルとテオの撮影。誰にも言ってはいけない秘密は、とても重かった。





 代表が最後の挨拶に立つ。


「今年は、初の台湾コンサートを成功させ、また、慈善事業部を立ち上げ、本当にご苦労様でした。メンバー・スタッフが一丸となり、来年は、もっともっと飛躍の年にしたいと思っております。ひとつ具体的に申しますと、クリスマスに向けてベストアルバムをリリースします。ファンへの感謝を込めたクリスマスプレゼントです。ゼノ、聞いてなかっただろ? 言うの忘れていたから」

「もー、またですかー?」


 ゼノの声に会場から笑いが起こる。


 代表は続ける。


「もっともっと飛躍する為には、心身ともに健康である事が不可欠です。私はイ・ヘギョンさんに日常的にスタッフのストレスを早期発見するにはどうすればいいか相談に行きました。そこで、退職の意思を聞いたわけですが、後任について私達は長く話し合いました」


 代表は一呼吸おいた。


「何度も話し合った結果、後任を決めました。私は旧友に連絡を取り、その方に会いに行って来ました。その方は現在、介護に専念されており一度は断られましたが、契約内容を詰め、何とか同意を得ることが出来ました。今日、この場で契約書にサインをする為、彼女に来て頂いて……あ、彼女って言っちゃった」


 会場内が、ざわつき出す。


 ユミちゃんとソヨンは手をつなぎ、口を押さえている。ソン・シムら大道具、照明スタッフも、目を合わせて驚きを隠せない。


 メンバー達は、ただただ、呆然としていた。


「最後まで話を聞いて下さーい」


 代表は呼び掛けるが、ざわつきは止まらない。


 すると、事務スタッフが代表に走り寄り、何かを耳打ちをした。


「は? いない?」


 代表はマイクを押さえているがマイクは音声を拾っていた。


「いないってどういう事だ? 20分前に握手したんだぞ」


 違うスタッフが、やはり首を振りながら、いませんと、報告している。


「バイクは?」


 代表のこの一言で、メンバー達は驚きを持って立ち上がった。


(うそでしょ……?)


 テオはノエルの肩につかまり、やっとの思いで立っていた。


 会場のあちらこちらから、本当に? マジで? と、聞こえてくる。


 舞台上の代表はマイクに「少々お待ち下さい」と言い、早く探して来い! まったく、どこ行ったんだあいつはと、悪態あくたいいている。


 バイクはあります。ホテルには居るはずですと、報告は入るが「だから、本人を連れて来いよ!」と、代表は苛立ちを隠さない。


 メンバー達は、舞台上の代表とスタッフのやりとりに、呆然と立ったまま注目していた。


 ……と、セスの席に誰かが座った。

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