第109話 もう一つの尻を蹴る


 トラブルはセスを診察台に座らせる。


「息苦しくもないし、俺は大丈夫だ」


 繰り返すセスにトラブルは、肺の音だけは聞かせてもらいますと、イム・ユンジュに聴診器を渡す。


 イム・ユンジュがセスの胸に聴診器をあてた瞬間、セスは派手なクシャミをした。


「!」


 イム・ユンジュの耳にクシャミの大音量が響き、聴診器を外して痛そうに耳を押さえた。


 トラブルはセスの襟を掴み、吊るし上げる。


「わざとじゃないって! 本当だって!」


 いつもは冷静なセスの慌てぶりに、メンバー達は手を叩いて大笑いをする。


「こら、ミン・ジウ! 離しなさい! その暴力的な所、いい加減に直しなさい!」


 トラブルはセスをドサッと診察台に落とす。


「今ので息苦しくなった」


 首をさするセス。


 ジョンが腹を抱えて笑っている。


「大丈夫ですか? すみませんねー」


 イム・ユンジュがセスに言う。


「何で、あんたが謝るんだ?」

「ん? そうですね。私が謝る必要はないですね」


 笑顔を向けるイム・ユンジュにセスは「答えになってない」と、食い下がる。


「セス、やめなさいよ」


 ゼノに言われ、セスは渋々引いた。


 セスの肺の音は異常なしだった。続いてゼノとノエルとテオが呼ばれる。


 3人とも異常なし。


 イム・ユンジュはもう一度、ジョンを診察する。


「口の中にベビーパウダーの味はしますか?」

「うん、する」

「水を飲んで下さい」


 トラブルは冷蔵庫からペットボトルの水を出し、ジョンに渡す。


 イム・ユンジュは「今は? 味は消えました?」と、聞く。


 うなずくジョン。


「では、深呼吸をしてみて下さい」


 ジョンは言われた通り深呼吸をした。


「どうですか? ベビーパウダーの味を感じますか?」

「うん、する」

「…… ミン・ジウ、鼻鏡はある? 」


ありません。


「うーん、うがいをしましょうか。口の中のベビーパウダーの味を消して下さい」


 ジョンは素直にミニキッチンでうがいをした。


「すみませんが鼻をつまみますよ。はい、深呼吸して下さい」


 イム・ユンジュに鼻を塞がれたままジョンは口で深呼吸をする。


「どうですか? 味はしますか?」

「うん、する」

「そうか…… どうしようかな」


 トラブルが悩むイム・ユンジュに手話をした。


「うーん、いや、そこまでは…… あなたは一人暮らしですか? 家に誰かいますか?」

「皆んなと住んでる」


 ジョンはメンバー達を指差す。


「寝る時は? 1人部屋?」

「うん」

「誰かと一緒に寝る事は出来ますか?」


「あの、自分と一緒に寝る事は可能ですが……」と、ゼノが手を上げ、そして「そんなに悪い状態なのですか?」と、不安を口にした。


「いえ、いえ。万が一、喘息の様な症状が出るかもしれません。そうなった時に体を起こしてあげたり、最悪、救急車を呼んでくれる人がいた方が安心だと思います」


「あ、マネージャーの方がいいのかなぁ」と、ゼノ。


 トラブルが再び手話をする。


「トラブルが泊まりに来てくれるって」


 テオが通訳した。


「やったー!」


 喜ぶジョンを下げさせたのは医師の言葉だった。


「いや、看護師の付き添いが必要なほどではありませんよ」


 トラブルは、彼らでは緊急時の対応が出来ないと、訴えるが「あなたがいたって同じでしょう。Satもない。ガスも測れない。せいぜい聴診器しかない状況では看護師の出番はありませんよ」と、医師は言い放つ。


 ユミちゃんはヤン・ムンセに小声で耳打ちした。


「サットって何?」

「酸素飽和度…… えーと、血液中の酸素を測定する器械の事です。ガスは、この場合は血液ガスの事でこれは更に詳しく血液中の酸素や二酸化炭素を調べる事が出来ます」


 イム・ユンジュとトラブルのやり取りが険しくなって来た。


「だから、医務室の設備をなぜ私に相談しなかったのですか!」 


 トラブルの手話が再び早くなる。


「さっきも言いましたが、今日はヤン先生を紹介する目的であって、往診カバンを忘れて来たわけではないと何度も言ってるでしょう!」


 ヤンが「あなた方が来た時も、こんな話で揉めていたんですよ」と、顔をしかめる。


 そうだったのですねと、ゼノはうなずいた。


 トラブルは手話で反論を続ける。


 イム・ユンジュの声が大きくなった。


「職員全員の専属看護師になったつもりですか。職務を超越ちょうえつしすぎです! 患者とは一線を引かなくてはなりません! あなたは、そこまで体が丈夫ではないでしょう!」


 トラブルの高速手話をイム・ユンジュは聞き漏らさない。


「大丈夫の根拠がない! パク・ユンホの介護過労で倒れた事を忘れたとは言わせませんよ!」


「え! トラブル倒れたの?」


 テオが叫んだ。


 トラブルは、しまったと、顔をしかめ、寝不足が続いただけですと、言い訳をした。


「本当に? 先生、本当ですか?」

「いや、丸一日、気を失って点滴をしました」

「トラブル! 何で言ってくれなかったの!」


 テオの泣きそうな顔を見て、トラブルはイム・ユンジュの尻を思いっきり蹴り上げた。




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