第155話 1人では泣かせない


 バスルームで鏡を見ながらトラブルは思い出していた。


 テオを送った帰り道、心が凍ってしまったように感じた。テオの言葉を思い起こしても、分からない。


(彼の話を聞かせてと言ったのに……。また、私が何か、空気の読めない事をやらかしたんだろうな……でも本当に私には分からない。分からないのテオ……)


 バイクを停め、一旦は家に入るが明かりがまぶしくて電気を消す。すると、心細くなる。


 川向こうの明かりにかれるように家を出た。


 風は冷たいが刺すほどではない。


 川原に座り、小石を投げ入れる。水の音すら話しかけてはくれない。


(なぜ、私には分からない事が多いのだろう。私は欠陥品…… 教科書は幾らでも頭に入るのに。テストは100点なのに。人生はいつも落第点…… 修正しようと思っても、謝る事以外の方法が分からない。だから、母達にも父達にも許してもらえなかった。テオにも許してもらえない。誰か私を跡形もなくバラバラに切り裂いて。私の痕跡を残さないで……)


 トラブルの涙は止まらない。



 突然、足音がした。 


 近づいて来る。


 トラブルは涙をぬぐい、息を殺して警戒した。


 その足音は立ち止まり、川を見ている。


(男の人…… テオ? まさか、テオが戻って来た⁈)


 シルエットの男性は荷物を置き、ため息をいた。


(テオだ!)


 トラブルは小石を投げる。


(私に気付いて……)


 小石はポチャンと水音を立てる。が、テオは振り向かない。テオは石を拾い、遠くへ投げた。


 トラブルは小石を投げ続ける。


(戻って来てくれた。私に気が付いて。お願い……)


 テオが近づいて来た。




 トラブルの意識はバスルームに戻った。


 鏡の中のひどい顔を見る。顔を洗い、タオルで隠しながらドアを開ける。


 ドアの前ではテオが、らしくない沈痛な面持ちで待っていた。 


 階段から1階の灯りがかろうじて2階を照らす。


「トラブル、僕はトラブルが抱き付いて来た時、すごく違和感があって、それで、いつもみたいに嬉しい気分にならなかったんだ。考えてみても、なぜだか分からなくて。目の前にいるトラブルに言うべきだったのに、ごめんなさい」


 トラブルはベッドに腰をかけて手話をする。テオは隣に座り、聞き漏らさない様に手話を聞いた。


私は、あなたが写真を見ながら彼……チェ・ジオンと……


「彼でいいよ。それは嫌じゃない」


……彼と同じ事を言ったので、あなたの中に彼を見ました。でも、すぐに、あなたに戻って良かったと思って思わず抱き付いてしまいました。彼ではなくて、あなたに抱き付いたのです。


「ありがとう……僕、何を言ったかな?」


後ろ姿がいいと。


「あー、そうだ。チェ・ジオンさんにも言われた事があるの?」


はい、いつも言われていました。


「僕達、気が合うかも」


そうですね。生きていれば、あなたの写真を撮りたがったかもしれませんね……なぜ、戻って来たのですか?


「僕ね、自分の事を自分で解決した事がない気がする。今日もノエルが話を聞き出してくれて、セスが謎を解いて、ゼノが指示をくれた」


セスが謎を解く?


「謎というか、何でこうなったかとか。えーと、分析! 分析して解説してくれます。僕の中にチェ・ジオンさんを見たんじゃないかって、今、トラブルは1人で泣いているって」


すごい分析力ですね…… バカと言われました?


「5分間に100回くらい言われました。で、その、あの……」


なんですか?


「僕がノエルと話したくなったみたいに、トラブルがカン・ジフンさんに連絡をしたら、カン・ジフンさんにトラブルを取られちゃうって……」


はぁ⁈


「今、トラブルは誰かに抱き付いて泣きたいはずだから、俺でも余裕でトラブルを奪って見せるって……」


だから、戻って来たのですか?


「ううん、違う。1人で泣いているかもって思ったら、居ても立っても居られなくて。でも、もしカン・ジフンさんが居たら、どうしようと思いながら来ました」 


 テオは頭をかく。


 トラブルは呆れた顔で鼻で笑った。


 カン・ジフンの顔なんて1ミリも思い出さなかった。セスはテオを動かす為に、そんな言い方をしたのだろう。


(セスがその気になれば世界征服も夢じゃないかもー……)


「ねぇトラブル、僕はトラブルが “トラブル” になってから出会ったから “ミン・ジウ” の事、何も知らないんだ。でもね “ミン・ジウ” と出会っていても、こんなに好きにはならなかったと思う。それよりも “トラブル” を作った人達を知りたい。チェ・ジオンさんを知りたい。だから、遠慮しないで何でも話して欲しい。もう、逃げないから」


 トラブルは目頭が熱くなるのを感じ、タオルで顔を隠す。


 テオはタオルごとトラブルを抱き寄せた。


(もう、絶対に1人では泣かせない……)


 そう決心する。

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