第153話 涙の跡


 テオは、途方に暮れて川辺に向かう。


 トラブルに会えないなど想定していなかった。寝てしまったのか、コンビニにでも行っているだけなのか。待てば良いのかすらテオには判断が付かなかった。


 対岸の灯りが真っ黒な水面みなもに写り、幻想的な世界が広がっている。


 ポチャン


 近くで魚がねた音がした。


 テオは小石を一つ拾い、思いっきり投げる。


 パッシャーン……


 遠くで水音が響く。


 もう一つ、小石を拾う。すると、テオの目の前で水がねた。


 黒い水面に目をらしても魚は見えない。


 大きく振りかぶって小石を投げようとすると、テオの靴に何かが当たった。


 足元を見る。暗くてよく見えないが何もない。


 また、近くで水がねた。次にズボンに何かが当たる。


(なんだ?)


 テオの足元で小石の当たる音が、いくつも聞こえた。


 やっと気付く。自分目掛けて小石が飛んで来ているのだ。


 その方向を見る。が、暗闇しか見えない。


 テオは暗闇に目をらしながら近づく。


 すると、服のこすれる音が聞こえた。その音に合わせて小石が飛んで来る。


 暗闇をスマホのライトで照らした。


「トラブル!」


 トラブルは川原に座り、ライトのまぶしさを手で避けている。その手には石が握られていた。


 テオはライトをトラブルの顔から外し、近づいた。見上げるトラブルは寒いのか泣いていたのか鼻をすする。


「ずっと、ここにいたの?」


 トラブルは膝に顔をうずめ、答えない。


 テオはかたわらに膝をつき、下を向く頭を撫でる。その髪は冷えていた。


 トラブルは膝を抱えたまま前後に体を揺らす。


「トラブル、僕の中にチェ・ジオンさんを見たの?」


 トラブルの動きが止まった。


「僕、そう感じたんだ。で、逃げてしまった。ごめんね。1人にして本当に、ごめん」


 トラブルは顔を上げる。しかし、お互いの輪郭りんかくしか見えず、表情は分からない。


「僕、チェ・ジオンさんの事、もっと知りたい。トラブルの事も、もっと知りたい。この家で幸せになるトラブルを見たい。だから、僕が隣にいてもいいかな」


 トラブルは答えない。


「あの写真のように幸せなトラブルを見るのが、僕の幸せで、だから……僕を幸せにしてくれる?」


 やはり、トラブルは答えなかった。テオはかまわず話し掛ける。


「あれ? これって女の子のセリフかなぁ」


 トラブルは、プッと吹き出した。


「僕ね、分からない事があったら1人で考え込まないで何でもトラブルに言うようにするね。気持ちを言葉にするのは苦手だけど、でも、2人の間で起きた問題は2人で解決しないと、今日みたいに2人ぼっちが1人ぼっちになると、石、投げたくなるし、投げられちゃうし…… あれ? 何で僕に石、投げたの?」


 トラブルの肩が揺れる。


 川原に落ちているテオの鞄を指差して手話をした。


「あ、あれ? ああ、お泊りセット。あと、ゼノがお寿司を待たせてくれました」


 トラブルは手話をするが暗くて読みにくい。


「トラブル、家に帰ろう」


 テオはトラブルの手を取って立ち上がる。手も冷たくなっていた。


 テオはトラブルの手を暖めながら「ずっと、ここにいたんだね。もう1人にしないからね」と、トラブルを抱き寄せる。


 トラブルもテオの背中に手を回し、力を込めて抱き付いた。


「大好きだよ、トラブル。世界中が反対しても絶対に離さないから」


 抱きしめ合うと、自然とテオの腕に力が入った。


 トラブルがテオの背中を、トントンと打つ。


 テオもトラブルの背中を、トントンとした。


 トラブルのトントンが早くなって、トラブルはもだえ出した。


 トントントントン! トントントントン!


「え、何?」


 テオが腕を緩めるとトラブルは、プハーッと息を吸った。


「ごめん、苦しかった?」


 トラブルは自分の胸を押さえながら深呼吸する。


「ごめん、大丈夫?」


 辺りは真っ暗で輪郭りんかくさえ、分からなくてなっていた。


 トラブルは家に向かって歩き出す。


 テオは慌てて追い掛け、途中で「おっと」と、鞄を拾いに戻りながらトラブルに追い付いた。


 玄関前も暗くて鍵穴が見えない。


 テオはスマホで鍵穴を照らそうとするが、トラブルはドア横のスイッチを入れ、玄関ポーチのオレンジのライトをともらせた。


 宝箱のような鍵は2人を家に入れる。


 トラブルは1階の明かりを点けた。


「もう一度、写真を見てもいい?」


 テオはトラブルの顔を見て話しかけ、驚いた。


 その目はれ、頰には涙の乾いた線が何本も付いていた。


「それ……」


 トラブルは、ハッと頰を手でこすりながら階段を駆け上がる。


「待って! トラブル!」


 トラブルは靴を脱ぎ捨ててバスルームのドアを閉めてしまった。


 中から水の音が聞こえる。


 テオは閉められたドアにこぶしを当てて後悔する。


(セスの言う通りだ。僕は大バカだ。1人で泣かせてしまうなんて……)





 トラブルは顔を洗い、ゴシゴシと涙の跡を消していた。

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