第487話 捨てられた日は拾われた日


 墓標もなければ、手入れされた様子もない。


 周囲の墓達も風雨にさらされ、同じ様に雑草に隠された一角になっていた。

 

あの人は……私を責めておいて墓参りもしていないのですね……。


「母親の事か? まあ……そうだな。経済的にも法事が出来るとは思えなかったが……」


(ああ、そうか。代表はパスポートの件で会ったんだった……)

(第2章第292話参照)


あの人は、自分に起こった不幸は……不幸でなくても、自分の意に沿わない事が起こると、すべて他人のせいにしていました。私を引き取った事を親戚に褒められても、嫌味で言われたと思う人でした。まるで自分から不幸を呼んでいる様な……。


「そうか。こいつは? こいつはどんな男だった?」


 代表は顎で墓を指す。


 トラブルは思わず苦笑いをした。


死者をこいつ呼ばわりする、代表が怖いです。


「あ? 罪はつぐなっても、お前を風呂に沈めた事実が消えるわけじゃないだろ」


そうですね……この人は体が弱くて、気の小さい人でした。最初は、母が私にキツく当たるのをとがめてくれた事も……そのうち母と一緒に……。


「そうか……」


不思議ですね。何も感じません。もっと、こう……フラッシュバックでも来るかと思っていました。


「お前が大人になったからだろ」


これが時間が解決するという事なのですね。


「解決かどうかは知らんが……昔の人は上手い事を言ったものだな」


(私とテオの問題も時間が解決するのだろうか……)

 

「なあ。何も感じないという事は、もう怒りは消えたのか? 許せるとは思えんが……?」


許せ……ませんが、この人だけではないので。


「お前を虐待した奴がか?」


この人は、近所の人に通報されて露見しただけです。

 

「悪事と自覚しないままの奴もいるか……罪を罪と気付かない人間の方が多いだろうな」  


 ふいにトラブルの脳裏に幼い自分が思い出された。トラブルは頭を下げて両手で目を押さえる。


『お誕生日、おめでとう』

『おめでとう!』


(誰の? 私⁈ ケーキ……ロウソクの数はー……9本……日本語……日本で最後の記憶……⁈)


「おい! 目を開けろ!」


 代表はトラブルがフラッシュバックに襲われたと思い、慌てて肩をつかんだ。


 トラブルは顔を上げて、その手を退かす。


大丈夫です。日本での記憶が蘇って来ました。


「日本? 日本でも……」


いえ、日本では虐待されていません。最後の誕生会の記憶です。ケーキが美味しくて……たしか、オルゴールをプレゼントしてもらいました。


「最後の誕生会?」


あ、チェ・ジオンには誕生日を祝ってもらっていました。正確には拾われた日ですが。


「そうか……お前、誕生日を拾われた日と言える様になったか……」


(捨てられた日ではなく……)


なぜ、この人の墓の前で楽しい記憶が蘇ったのでしょう……?


「こいつと、楽しい思い出でもあるのか?」


いえ。……ないと思います。


「お前の楽しい記憶は、フラッシュバックとしてしか思い出せないのか?」


……当時を語り合える人がいれば、違うのかもしれません……。


「そうか。そうだな、悪かった」


いえ……もう、帰りましょう。お腹が空きました。


「何か食って行くか? 」


 代表は、元来た道を歩き出したトラブルに話し掛ける。


「付き合わせた礼に、何でもおごってやるぞ。ラーメンか? ピザか?」


 トラブルは後ろを振り返り、手話を見せた。


安っ!


「安いとは何だ! お前に合わせたんだろが!」


 トラブルは後ろ向きに歩きながら、笑う。


私は安くありませんよ。これでも看護大学時代は毎日の様にドクター達にみつがれていましたよーだ。 


「プレゼントと言え! “みつぐ” と言うな! 下品な奴め」


 ベーと舌を出すトラブルは、ふと、思い出した様に立ち止まった。


「どうした?」


懐石料理が食べたいです。


「は? 何、料理?」


懐石料理。か・い・せ・き、料理です。


「何だそりゃ。どんな料理だ?」


日本食です。和食のコース料理で……食べたことがないので分かりません。


「ソウルにあるのか?」


 トラブルは、うーんと考えながら歩き出す。


 スマホで日本食を検索するが、ラーメンか寿司、蕎麦、天ぷらしか出て来ない。


 代表も同じ様にスマホを眺め「居酒屋とは違うのか?」と、聞く。


「そんな料理は存在しないぞ。日本式の焼肉にするか?」


(存在してるってば……うーん、ないなー……)


 トラブルはスマホを眺めたまま、大股で歩きながらパク・ユンホの墓を通り過ぎた。


「おいっ! お前!……バチ当たりな……」


 代表はパク・ユンホの墓に頭を下げてトラブルを追い掛ける。


 ズンズンと歩き続け、山道を抜け、駐車場に辿り着いた。


 トラブルは残念そうに肩を落とし首を振る。


「ソウルになかったか?」


ソウルどころが、この国にありません。


「なに⁈ ゲテモノ料理か⁈」


失礼な! 日本の高級料理です!


「高級……美味いのか?」


もちろん!


(食べた事ありませんが……)


「そうか。では、行くぞ」


へ?

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