第141話 明日の約束


 ほこりにまみれていた2階は綺麗に掃除され、新品のブラインドが掛かっている。冷蔵庫内は冷え、ベッドは新しいマットレスに買い替えられて洗濯したてのシーツが張ってある。


 まず、洋服を引き出しとクローゼットにしまう。


 看護学校時代の古い教科書はすべて捨てた。空いた本棚にダンボールの本たちを並べて行く。で、終了した。


 我ながら荷物は少ないと思うが充分だ。服と靴は洗い替えがあればいい。食器は一食分。テレビは見ない。


 ふと、テオの部屋を思い浮かべる。


(あの極彩色のぬいぐるみ達がここへ来たいと言っても、ご遠慮頂こう……)


 トラブルは2階のトイレと1階に増設したトイレをチェックする。それぞれ水を流して水量を見る。


(これならトイレットペーパーを流しても大丈夫そうだ)


 この国に来た時、拭いた後のトイレットペーパーを流し詰まらせては叱られた。横のゴミ箱に入れろと注意されてもトイレに流す習慣は中々直らず、何度も詰まらせては掃除をさせられた。


 実は今でもトイレットペーパーを流さないのは抵抗がある。だから、水道を開通させた際、水圧を増やす工事と浄化槽を設置した。


 水に溶けやすいトイレットペーパーを使用しなくてはならないが、これで、全ての生活排水が河川を汚す事はない。


 日が傾いてきた。


 トラブルは河川敷へ出る。川向こうの灯りがチラつき始め、赤い空と澄んだ空気がトラブルの体と心を解放する。


(今日から私は誰のモノでもない。誰かの支配下でも保護下でもない)


 まっさらに生まれ変われるはずはないが、それでも始めて自分の足で立っていた。


(パク・ユンホが立たせてくれたこの足を、誰にも折らせない。絶対に……)


 トラブルは家に戻りシャワーを浴びる。


 お湯の出も申し分ない。かなりの金額を使ってしまったが快適さには変えられない。


 チェ・ジオンが生きていたら、こんな贅沢は反対しただろう。この深い浴槽にお湯をいっぱい溜めて日本式の入浴をするだけで、勿体ないと言っていた。


 浴槽の排水もスムーズだ。


 バスタオルを体に巻き、冷蔵庫を開ける。冷凍のピラフを炒め、ケチャップで味付けして薄焼き玉子で包む。フライパンのまま2人掛けのテーブルに運んだ。


(そうか、バスタオルを巻く必要もない。1人なんだから)


 バスタオルをバッと開く。ダメだ肌寒いと、結局、スウェットを着て立ったままフライパンの中身を平らげた。


 一人暮らしは久しぶりだ。


 食事や風呂、洗濯の順番も気にしなくていい。誰かが部屋の前を通る音に警戒する必要もない。


 すべての時間が自分のものだった。


(自由だ! )


 早々にベッドに入る。真新しい布団とシーツは実に気持ちが良い。


 スマホで今日のニュースを見ていると、テオからラインが入った。


『明日は』

『何時に』

『どこで』

『待ち合わせ?』


『起床後、連絡を下さい。合わせます』


『絶対』

『お昼まで』

『寝ちゃうから!』

『時間』

『決めてー』


『では、明日の12時に。私が宿舎に迎えに行くか、会社駐車場で待ち合わせるか、どちらが良いですか』


『もっと』

『はやく』

『会いたい』


『では、11時に。迎えに行くか、駐車場で待ち合わせるか、どちらが良いですか』


『OK』

『ゼノが』

『会社は』

『やめた方が』

『いいって』


『明日、11時にバイクで迎えに行きます』


『りょ!』


 スタンプ

 スタンプ

 スタンプ



 テオのふざけたスタンプで『りょ』の意味を理解した。

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