第368話 モーテル

 チョ・ガンジンを先頭に、3人は明洞みょんどんで地下鉄を降りた。


 ショッピングストリートを抜け、昨日のバーのある通りに入る。


 チョ・ガンジンが行く先を指差しながら笑顔で事務局長に話し掛けている。


 バーの前に、ホステスらしき派手な女が客を見送りに出ていた。女は、手を振る客に頭を下げながら、チョ・ガンジンの姿を見つけた。


「いらっしゃ〜い」


 女は鼻に掛かる甘えた声で、チョ・ガンジンらを店に招き入れた。


 トラブルは写真を代表に送りながら、このバーのホステスがチョ・ガンジンの女だと確信した。そして、まだ、信じられない気持ちでいた。


(事務局長って代表のお父さんの代から会社にいた人じゃ……ハン・チホに10倍の生活費を渡している理由も知っているのに……金に目がくらむ人には見えなかったけど、なぜ……)


 トラブルは見張りに使える場所を探す。


 しかし、店の前にはコンビニもカフェもなかった。


 諦めて、電柱の影に立つ。


(寝返ったのなら許さない……さっき、振り向いたのは私の尾行を警戒してか? 裏切りの証拠をつかんでやる……)


 トラブルは長丁場を覚悟した。リュックから本を取り出し、街明かりで読もうとするが、さすがに暗くて読む事が出来ない。


 トラブルはスマホのライトで本を照らしながら、読む事にした。


 少しづつ、英訳を読み進める。


 しかし、神経はバーのドアに集中していた。


 2時間ほど経った頃、本を持つ手と立ちっぱなしの足がしびれて来た。


 本をリュックにしまい、屈伸運動をする。うーんと、背伸びをして首を回した。


 チョ・ガンジン達は、まだ出て来ない。


 トラブルは、しゃがんで電柱に寄り掛かり、空を仰ぎ見た。


 明洞みょんどんの街の明かりは、薄く張った雲を照らし、トラブルを過去に引き戻す。


(こんな風に、夜に1人で星を数えた事があったな……いつも、星を100個数えた頃に、家に入るのを許してもらえた。泣いても叫んでも許してもらえないから星を数えたんだ。いつからかなぁ……100個目って気付いたのは。あれは何番目の家だったっけ? 私が何歳の頃の記憶だろう……?)


 トラブルは、見えない星を数える幼い自分を思い浮かべる。


(寒くて、ひもじくて、何も感じなかった……悪いのは自分で、大人が悪い事をしているなんて思ってもみなかった。子供は自分を守る為に思考を止める。今度は私が子供を守る……)


 にぎやかな声がして、バーのドアが開いた。


 トラブルは、しゃがんだまま出てくる客を確認するが、チョ・ガンジン達ではなかった。


 電柱の下の縁石に腰を下ろし、膝に顎を乗せて辛抱強く、ひたすらに待つ。


 店の前は人通りがなくなり、ショッピングストリートから、店じまいの音が聞こえ始める。


 夏とはいえ肌寒くなって来た頃、再びバーのドアが開いた。


 事務局長と、もう1人のマネージャーが店の中に挨拶をしながら、足早に地下鉄に向かう。


(終電か……チョ・ガンジンは何をしているんだ?)


 その後、1時間ほどして、やっとチョ・ガンジンと女が出て来た。


 女が店の鍵を掛ける。


店主ママだったのか……)


 2人は、ほろ酔いで腕を組みながら大通りに向かう。


(タクシーを拾……わないのか……?)


 トラブルは、大通りには出ずモーテル街に入った2人を追う。千鳥足の2人はモーテルを物色し始めた。


(おいおい、入らないでよ〜。家に帰って、ね? 家でしようよー)


 トラブルの願いは虚しく、2人はモーテルに消えた。


(……これは、帰っていいのか? 困ったな……)


 トラブルは代表にメールを打つ。送信したところでバッテリーが切れた。


(嘘でしょ⁈ うわ、完全に落ちた。本を読むのにライトを付けっぱなしだったから……モバイルバッテリーってどこで売ってるんだろう……?)






 日本の埼玉のホテルで、テオはノエルとベッドにいた。


「もー、泣かないでよ。テオー」

「無理。ノエルが電話してみろって言ったんじゃん。それが、電源が入っていませんだなんて……」

「だって、テオがグズグズと気にしてたからさー。待ってないで掛けてみれば? って言っただけじゃん」

「こんな事なら掛けなければ良かったよー。どうなってんのー?」

「僕に分かるわけないじゃん。セスじゃあるまいし」

「セス! そうだよ! セスに聞いてみる!」

「もう、寝ているよー。明日、名古屋に移動なんだから迷惑だよー」

「う、そうか……」

「僕にも迷惑だけどねー。もう、眠いよ」

「うん。今日は2曲ね」

「もー」


 ノエルはベッドの中で寝返りを打ち、後ろを振り返る。


「で? 君は何をしているの?」

「ゲーム〜」

「ジョン。ゲームするなら自分の部屋に帰りなよ」

「だって、テオだけ子守唄ずるいよー。僕にも歌って」


 ジョンはスマホを下ろし、ノエルの肩に甘えて見せる。


「3人は狭いよー」

「引っ付けば、大丈夫」

「ジョン、頭イイ〜」

「へへ〜」

「へへー、じゃない。ダブルベッドでも男3人はキツいよ。それに、ジョンにギプスを踏まれたら粉砕しちゃう」

「ふんさいって?」

「粉々に割れちゃうって事。どっちか帰って。ね、どっちか」

「ノエル、ひどい! どっちかって言いながら僕を見るー!」


 ジョンは泣いたフリをする。


「ノエル。ジョンも久しぶりにノエルと寝たいんだよ。我慢して。さ、歌って」

「なんで、ベッドの所有者が我慢するのさ!」

「じゃあ、ノエルが帰って」

「わぁ、ジョン。やっぱり頭イイ〜」

「へへへ〜」

「だから! なんで!」


 テオはノエルに抱き付く。


「怒らないで。ね? 久しぶりに3人で寝ようよ」

「ノエル、お願〜い」

「……怒ってはいないけど」

「よし! では、今夜はベストアルバムから日本語バージョンのメドレーを披露して頂きます!」

「ヤッター!」

「……」

「あれ? ノエル、本当に怒っちゃった?」

「怒ってないよ。呆れてんの。もう、寝る。歌うなら2人で勝手にやって」

「ノエルお兄様〜」

「甘えてもダメ。寝る」

「うう〜、子守唄……」

「しょうがないなぁ。ジョン、僕が歌ってあげるよ」

「うん! テオ、ありがとう! メドレーね!」

「それは、嫌だ」

「ひどっ!」


 テオの歌声を聴きながら、ノエルとジョンは眠りに付いた。


 2人の寝息が聞こえると、テオは起き上がり窓の外を見る。


 テーブルに残ったワインを飲み干し、鼻をすすった。


(トラブル、大丈夫かな……)

 






【あとがき】

 韓国ではラブホテルをモーテルと言います。

 日本との違いを調べてみてねー。

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