第516話 そうは問屋が卸さない


 翌朝、トラブルが医務室で仕事をしているとユミちゃんが顔を出した。


「トラブル〜、おはよ〜。んふ、今日もカッコいいわね〜」


 トラブルは苦笑いで挨拶を返す。


「あ、そうそう。テオって具合が悪いの? 今日は体調不良で休みだってソヨンが言ってたのよ」


 トラブルは、え?と、ユミちゃんを見る。


「あら、トラブルも知らなかったの? 風邪でも引いたのかしらねー?」


 トラブルはユミちゃんが言い終わる前に医務室を飛び出した。


 メンバー達の控え室に走る。


 メンバー達はテレビ番組の収録に出発する所だった。


 トラブルはセスに手話で聞く。


テオは? 体調不良って?


「あ? 腹が痛いとか言っていたぞ」

「僕には頭が痛いってさ」

「え、私には喉が痛くて微熱があると言っていましたが?」

「僕は歯が痛いって聞いたー」

「要するにサボりって事だね」


 ノエルが髪をかき上げながら笑う。


サボり⁈ 仕事をサボったのですか⁈


「まあ、そういう事だね。半分はトラブルのせいだよー」


 ノエルは目を細めて、わざと口角を下げて見せる。


信じられない! 昨夜は握手して分かれたんですよ⁈


「握手したの? ふーん。でも、今朝、ベッドから出て来なかったよ」


なんで⁈ 仕事の鬼になるって言っていたのに!こうならない様に言葉を選んで……それが!まったく、何かにつけ “普通は” って言うクセに!このサボりは普通ですか⁈ シャンプーを変えても “普通は” 掃除してても “普通は” !


 高速の手話をノエルは理解出来ない。


「セスー。トラブルは、なんて言ってるの?」

「テオの『普通』にキレている」


普通、普通って “普通” の意味を分かってて使っているの⁈ 分からない私よりも、お前が普通じゃない!


「ノエル、訂正する。ブチ切れている」


もー! 知らない! 仕事に穴を開けるなんて! 信じられない! もー、嫌!


 トラブルはバンッとドアを閉めて出て行った。


 ゼノはセスの顔を見る。


「トラブルは、どうしたのですか?」

「テオとの終焉しゅうえんだ」

「え! 別れたのですか⁈」

「そういう事だ」

「それで、テオが起きて来られなかったのですか……しばらく長引きますかね?」

「さあな」

「ねぇねぇ、僕のせい? だよね?」


 ジョンが神妙な顔をして言う。


「ジョンー、トラブルがキレてんのはジョンのせいじゃないよ。トラブルは、こうならない様にテオに伝えたのに、察しないテオが悪いんだよー」

「テオが察するなんて無理だろ」


 セスが鼻で笑う。


 兄弟の様に育ち、テオの性格を熟知するノエルは、それでもと、続けた。


「これ以上トラブルに嫌われない為には、今日は頑張んないといけなかったよねー」

「今朝、そう言ってやれば良かっただろ」

「なんか、最近テオの悪いところが見えて来ちゃってさー。いい薬かなぁって」

「……そうやって人で遊んでいると、今に痛い目に合うぞ」

「そんなドジは踏まないもんねー」


 ノエルはケラケラと笑いながらリュックを背負った。


「ノエル? まだマネージャーは迎えに来ていませんよ?」


 ゼノは不思議そうにノエルを見て言うが、ノエルはドアを指差す。


「3、2、1 」


 ノエルの合図に合わせた様にドアが開き、マネージャーが顔を出した。


「皆さん、行きますよ」

「はーい」


 同じく支度を終わらせていたセスがノエルに続いて部屋を出る。


「ちょっと……」


 ゼノは慌ててペットボトルの蓋を閉め、荷物と上着をつかむ。ジョンも「待ってよ〜」と、靴を探して履き、皆を追い掛けて出て行った。






 宿舎のベッドの上で、テオは目をらして考えていた。


(時間が欲しいって、僕よりもトラブルの方が時間はあるじゃん。これって別れたいって事だよね。急に、どうして……順調に行っていたと思っていたのに……いつも、1人で決めちゃってさ、トラブルは勝手だよ。格好をつけたけど、1ヶ月後に元に戻れるなんて思えないよ……わけが分からない……)






 トラブルは医務室で、まだ怒りが収まらなかった。


(なんなの。いつも誰かがどうにかしてくれて、それに気付いてもいないの⁈ 感謝の言葉は上辺だけで、純粋そうに目をキラキラさせたって、所詮、お坊ちゃんアイドルだった! 苦労知らずで、顔も知らない誰かからの “イイネ” で自分に価値があると思い込んで、自己肯定感だけ強くて、まるで……まるで “普通” の男の子)


 トラブルは頭を振る。


(テオは普通の男の子……テオに疲れた私の方が普通じゃない……)


 トラブルは落ち込みながらも仕事をした。


 ストレスチェックで産業医との面談を希望したスタッフから都合の良い日を聞き、ネットで空き状況を確認して予約する。


 その予約票を医務室に取りに来てもらい、産業医との会話は会社には漏れる事はないと安心させた。


 会社の初期の職員と正社員に希望者はいなかった。


 トラブルは比較的、最近に契約した派遣社員にストレスが多いと感じた。しかし、チェック内容を見たわけではないので、本人達から申し出がない限り、それ以上は知るすべがなかった。

 

(給料も悪くないし、なぜだろう……?)


 しかし、今の自分は分析に集中できる精神状態ではないと冷静に判断をし、ストレスチェック用紙の備考欄に、その旨を書き捨てておくにとどめた。






 翌日、テオは「もう大丈夫」と、ファンの前に姿を現した。公式のSNSで体調不良と発表した時は、精神不安か? と、一時トレンドになるほど噂が広まったが、1日だけだったので、それもすぐにおさまった。


 いつも通りスケジュールをこなし、ゼノとマネージャーは胸を撫で下ろす。


 テオとトラブルは、社内で顔を合わせた時は視線で挨拶をするが、それ以上の会話はしなかった。


 ある日、いつもの様に勉強に訪れていたユミちゃんは医務室の机に肘を付き、トラブルをジッと見つめた。


 トラブルは「疲れた〜」と、始まるかと思ったが、その日のユミちゃんは違っていた。


「ねぇ、テオと別れたの?」


 トラブルは、いつかはソヨンから知るだろうと思っていたので、落ち着いてメモで答えた。


『いいえ。少し冷却期間をおいています』

「冷却期間って?」

『お互いの頭を冷やす為に会わない様にしています』

「ふーん。だからテオが平気そうでいるんだ。冷却期間ねぇー」

『テオは平気そうですか?』

「まあ、元気はないけどカメラの前では頑張っているわよ」


 トラブルは、それを聞いて少し嬉しくなった。


(テオ、頑張ってくれている……)


 自然と頬が上がるトラブルの顔をユミちゃんは見逃さなかった。


「なによ。テオの話題が嬉しいの? だったら元に戻ればイイじゃない。あのツルンツルンで、モチモチの肌が、今は、ガッサガサのガビガビってソヨンが嘆いていたわよ。トラブルもガッサガサじゃない」


(肌⁈)


「欲求不満はお肌に出るのよ。2人してガッサガサになってんだから、そろそろ……なに? え! 地震⁈ 」


 窓ガラスがカタカタと音を鳴らし、机のマグカップの中でコーヒーが波を立てた。

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