第429話 お酒のせい


 コース料理最後のデザートとコーヒーが運ばれて来た。


 セスは、アイスにロゼワインをかけて、ユミちゃんに食べさせる。


「ん〜! 始めての食感! ワインがシャリって、不思議な感じー!」

「甘くてアイスワインみたいだろ」

「何それ⁈」

「この店には置いてないな。ニューヨークのゼノの店にはあったぞ。凍ったブドウから作られているんだ」

「へー。甘いモノなら、いくらでも入っていくわー!」

「ハッ! 豚になる……豚は?」


 セスに言われ、ゼノ達は、そういえばとジョンを探す。すると、テオがテーブルの下に声を掛けた。 


「ジョン? そこで何をしているの?」


 ノエルとゼノもテーブルの下をのぞき見る。


 ジョンはテーブルクロスの下に潜り込み、大の字で寝てしまっていた。


「ジョン! あー! そんな所でー!」


 すっかり宴会場のノリで皆、飲んでいるが、一応、ホテルのレストランなのにと、ゼノが悲鳴を上げる。


 ノエルは「ほらー」と、髪をかき上げた。


「セスー。何が『日本酒じゃないから大丈夫だ』だよー」

「『大丈夫だろ?』って聞いたんだよ!」

「もー。セスが責任を取って背負って帰ってよねー」

「何の責任だ」

「飲ませた……」


 ノエルが言いかけた時、セスの横でゴトンッと大きな音がした。


 見ると、ユミちゃんがテーブルに頭を落として、これまた見事に寝てしまっている。


「わ! ユミちゃんまで! これは、完全にセスの責任だね」

「しょーがねーなー」


 セスはそう言いながら、テーブルで眠り込むユミちゃんの元に腰を下ろし、背中にユミちゃんを背負おうとした。メイクスタッフがそれを手伝う。


「先に戻ってるぞ。豚はお前らで何とかしろ」


 セスは、ユミちゃんの荷物を持って立ち上がるスタッフからバッグを奪うように引き受け、泥酔したユミちゃんを背負ったまま、人目もはばからずレストランを出て行った。


「ねぇ! 本当に信じられないんだけど! セスが、ユミちゃんと⁈」


 ノエルは腰を曲げて笑いながら、2人が消えたドアを指差す。


「今日まで、そんな素振りは見受けられませんでしたけどねー」


 ゼノは顎に手を当てて考える。


「ねぇ? もしも、ユミちゃんに恋人が出来たら、僕、殴られなくて済むのかなぁ……?」


 テオは淡い期待を込めて言うが、ノエルは「それと、これは別じゃん?」と、言い切った。


「もー、ノエルの意地悪」


 テオは頬を膨らまして、ジョンを抱えるスタッフを手伝う。






 ユミちゃんはエレベーターを待つセスの背中で目が覚めた。


 じゅるっとヨダレを手で拭き、「んー?」と、セスの後頭部を見る。そして、大好きな人の背中にいると勘違いをした。


「トラブル〜」


 ユミちゃんはセスの首に回した腕に力を入れる。


 セスは「ぐえっ!」と、バランスを崩し、後ろに倒れそうになるが何とかこらえて、ユミちゃんの腕を緩めた。


「おい、起きたのか? なら、歩け」


 セスはユミちゃんを降ろそうとするが、ユミちゃんはイヤイヤと、足を下さず、さらに腕に力を込めた。


 セスは倒れまいと腰を曲げ、前に重心を持って行くが背中のユミちゃんが、しがみ付いたままなのでバランスを崩し、そのままエレベーターの扉にぶつかりそうになる。


 タイミング良く扉が開き、2人は倒れ込む様にエレベーターに乗り込んだ。


 セスはユミちゃんを床にずり降ろし、部屋の階のボタンを押す。うーんと、腰を伸ばして床を見ると、ユミちゃんはニヤけ顔のまま、また眠りに付いていた。


「はぁー……面倒くせ。俺も酔ってるな……」


 セスは、そうつぶやいてエレベーターの光る階数表示を見上げた。


 目的の階に到着する前に、ユミちゃんの体を揺さぶる。しかし、ユミちゃんはピクリともしない。


 セスはユミちゃんの腕を取り、抱き起こそうとした。すると、ユミちゃんが目をパチリと開き、セスの顔を見て「いや〜ん、トラブル。嬉し〜」と、再び首にしがみ付いて来る。


「危ね!おい、起きろよ」

「いや〜ん。んふふ、連れてって〜」


 セスが、ため息をくのと同時にエレベーターは到着した。


 仕方がなく、ユミちゃんを抱きかかえる。廊下を進む間も、ユミちゃんはセスをトラブルと勘違いしたまま肩にしだれかかり、髪や耳を触った。


「やめろって!」


 その手を振り払おうと頭を傾けると、ユミちゃんは、まるで自分の足で歩いているかの様にセスの体をよじ登り「ん〜」と、唇を差し出す。


「バカっ! ほら、着いたぞ。キーはどこだ?」


 セスはユミちゃんを降ろしてバッグを探ろうとするが、ユミちゃんはセスの体に巻き付いたまま、降りようとしない。


 ユミちゃんに自力でつかまれたまま、バッグの中からカードキーを見つけた。


 子供を抱く様に片手でユミちゃんを支え、ドアを開ける。


「ほら。ベッドで寝ろ」


 セスにベッドに放り出される瞬間、決して運動神経が良いとは言えないユミちゃんが素晴らしい反応を示した。


 愛する者を離すまいとする強い意志によって、ユミちゃんはセスを引き寄せ、そして、胸に抱いたまま背中からベッドにダイブした。


「バカッ!」


 セスは起き上がろうとするが、ユミちゃんは離さない。


 セスの頭を強く抱いたまま、ユミちゃんは話し出した。


「トラブル〜、1人が楽なんて言わないでー。カッコイイんだからー。もっと、自信を持ってよー。優しすぎるのよー。誰かに合わせる必要なんてないの。あなたはね、世界の中心にいるのよー。もっと笑っていいの。もっと怒っていいのよー……いい子、いい子ねー……」


 セスはユミちゃんに頭を撫でられ、髪をグシャグシャにされながら目の奥が熱くなる。


(くそっ、何だよ……)


 自分に向けられた言葉ではないと知っていても、このまま、この胸の上で眠りたいと心から思った。


 ユミちゃんの寝息が聞こえ始める。


 小さくてゆっくりとした寝息と胸の動き、それに合わせた心臓の鼓動。柔らかくて温かい体温がセスを夢の中へと誘惑する。

 

 セスは、すべてをワインのせいにして、ユミちゃんにトラブルに間違われたまま、その胸に抱きしめられて眠りに付いた……。






「せーの! どっこいしょ!」


 男スタッフ5人がかりでジョンをベッドに寝かせ、ゼノは「お疲れ様でした」と、スタッフに頭を下げた。


「本当に重くなりましたね」


 マネージャーは腰をさすりながら出て行った。


 テオがジョンの靴を脱がせ、ゼノが布団を掛ける。


 ノエルはベッドに腰を下ろし、口を開けて寝る顔を見下ろした。


「寝顔は赤ちゃんなんだけどねー」

「大人っぽくなりましたよ」

「始めて会った時は中学生だったもんね」

「早いものですね」

「ねぇ、ゼノ? 考えた事ある? 僕達の、その後」

「……ありますよ。いつでも考えています」

「そうだよね。いつも考えていなくちゃだよね」

「どうなっていても、『こんなはずじゃなかった』とだけは、思いたくないですね」

「うん。僕も、そう思う。最善の道を選んで来たと胸を張っていたいね。誰かのせいじゃなくて、誰かのお陰って思っていたいよ」

「そうですね……難しいでしょうが、我々なら可能な気がしますよ」

「うん。そうだね」


 テオはノエルとゼノの会話を聞いて、始めて自分の『その後』を考えた。しかし、今は明後日の事までしか考える事が出来ず、少なからず落ち込む。


 ノエルは、そんなテオの気持ちに答えた。


「テオー、『その後』は毎日来るんだよ。だから、今日を後悔しない様に言い訳をしない様にしていればイイんだよ」

「でも、本当は10年後とかを考えてなくちゃダメなんだよね?」

「うーん、不安を感じたら明日の事までにして、目標が出来たら10年後を考えればイイよ。それに、そういう事は僕とゼノに任せて。ね」

「うん。後悔しない様にする」

「よーし。さ、明日も忙しいから、もう寝よう」


 爆睡するジョンを置いて、3人は部屋に戻る。ふと、ノエルはセスの部屋からセスの気配がしないと感じた。


(まさか……まさかね……)

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