第233話 忍び込め


 テオは、少しドアを持ち上げながら青い家の鍵をかける。トラブルに鍵を返し、ハグをしてゼノの車に乗り込んだ。


「トラブル、バイバーイ! 会社でねー!」


 ジョンが車の窓から身を乗り出して手を振る。


 トラブルも手を振り返し、バイクにまたがった。


 ゼノは車を会社に向かって走らせる。


 素敵な家でしたねーなどと雑談しながら、マネージャーに内緒の外泊もたまには良いものだとリーダーらしからな事を口にして、はたと真顔になる。


「誰か、迎えは要らないとマネージャーに連絡しています?」

「俺はしてないぞ」

「僕も」

「僕がするわけなーい!」

「ま、まずいですよ。誰か、早く連絡して下さい」

「何て言えばいいの?」

「え、セス、考えて下さい」

「ゼノの車で出たからって、言えばいいだろ」

「理由は?」

「ゼノの気まぐれ」

「私ですか⁈」

「分かった」


 テオがマネージャーに電話する。


 マネージャーはすでに、誰もいない宿舎で怒り心頭していた。


『ゼノの気まぐれって何ですか! 本気で心配したのですよ! ノエルの事で、皆で飲んだくれて路上で寝てしまっているとかー! 旅に出てしまったとかー! ハードスケジュールにストライキを起こしたとかー! 捜索願いを出す所でしたよ!』


 テオのスマホからマネージャーの怒号がキンキンと鳴り響く。


「お、ストライキするかもの認識はあったんだな」


『今の声はセスですね! それだけ心配したって事ですよー! まったく、あなた達はー……』


「ごめんなさーい。会社でねー」


 ジョンはテオの手のスマホをポチッと切った。


「ジョン! 切っちゃったの⁈」

「うん。だって、せっかくの楽しい気分がなくなっちゃうんだもん」

「やるなジョン! ハハハー! 痛っ」


 セスが唇を押さえる。


「その、傷も怒られそうですね」

「ゼノがねー」

「全部、私のせいになっていませんか?」

「ゼノのせいじゃーん」

「う、その通りなのですがー……」


 セスは窓の外を見ながら、心の中で詫びる。


(ゼノ、すまん。テオの為に加害者でいてくれ)






 トラブルはバイクを走らせながら、セスが、殴られた事実を伏せた理由を考えていた。


(セスは、いつものシンクロをしていただけ。戻れなくなっていると私が勘違いして……どこに隠す必要が? セスの思考は、いつも分からない。テオなら手に取るように分かるのに)


 会社駐車場にバイクを乗り入れると、ゼノ達の車はすでに到着していた。   


 隣に普段はマネージャーが運転するメンバー達の移動車が停まっている。


 マネージャーから小言を浴びているだろうなぁと、想像しながら階段で仕事場に向かう。


 医務室のドアを開けると、床に封筒が落ちていた。


 表紙に『診断書』と、書いてある。


(ノエルの! 代表がドアに差し込んでおいたのか……)


 トラブルは、すでに開封されている封筒を開け、中身を確認する。


 診断書には『中手骨骨折・全治1〜3ヶ月』と書いてあった。


(これだけ⁈)


 トラブルは怒りを込めて診断書を握る。


(そんな事は分かっている。骨折部位は? 何骨折? 全治1〜3ヶ月って、何て大雑把な! 画像のコピーも同封していないし)


 代表にメールを送る。


 すると、待っていたかの様に、すぐに返信があった。


 そこには、診断書以上の説明は無く、ノエルは代表が迎えに行き、明日、退院すると書かれていた。


(本当、クソ病院……)


 トラブルの脳裏に昨日のセスの言葉が思い出される。


『イム・ユンジュを送り込めないからって、自分が忍び込むつもりか?』

(第2章第223話参照)


 トラブルは時計を見る。


(そろそろ、昼休憩が終わり午後の手術の時間か……)


 医務室をウロウロと歩き回る。


(何を考えている私……そんな事は不可能だ。いや、でも、可能か? やるなら……今しかない)


 トラブルは、リュックに白衣と幾つかの医療品を詰め込んだ。


 バイクにまたがり、会社を後にする。






 ソウル中央病院の裏口、職員駐車場にバイクを停める。


 リュックを肩に掛け、正面入口から院内に入った。


 午後の外来受付が始まり、大勢の人が忙しそうに動いている。


 トラブルは外来のトイレの中で白衣を羽織り、マスクを着ける。そして、足早に手術棟に向かった。


 5ヶ所ある手術室は、やはり、全ての手術が始まっていた。


 ナースステーションをのぞく。


 電話番の事務員と看護師が1人いるだけだった。


 白衣のトラブルは堂々とナースステーションを通り過ぎ、医師の更衣室に入る。


 名前の書かれていないロッカーに手を掛ける。が、鍵が掛けられていた。


 チッと、舌打ちをして周りを見回す。


 椅子に無造作に掛けられた白衣を見つけた。


 名札を見る。


『脳外科 医師 キム・ヒョンスン』


(脳外科医か……よし)


 トラブルは、その白衣から名札を取り外し、自分の胸に付けた。


 ナースステーションに入り、今日の手術予定が書かれたホワイトボードを見る。


(脳外科のオペは……これだ、脳腫瘍のクリッピング。開頭術だから時間はあるな)


 事務員はチラリとトラブルを一瞥いちべつしただけで視線を書類に戻した。


 看護師は電子カルテから顔すら上げない。


 廊下に出て、エレベーターを待つフリをして、考える。


(この医師の顔見知りがいなくて、脳外科医がいても不自然でなく、電子カルテがあり、人気ひとけのない場所……)


 トラブルは救急外来受付に向かう。

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