第505話 よだれ鶏


「心理学って、あの心理学?」

「児童発達心理学って言うの。子供の心理学の先生」

「うわ、難しそうだね」


(だから、シンイーに理解があるのか……普通の親だったら育てにくいだろうな)


「パパは子供が好き」


 シンイーは頬を赤らめて言う。


「……そうなんだ。シンイーはお父さんが好きなんだね」


 頭の中に、色とりどりのクリスマスツリーの飾りが踊り出す。


「あはっ! そんなに好きなんだー」

「パパは、私が世界で1番幸せな子供だって」

「あー、それ、すごく分かるよ。シンイーを見ていると笑顔になるから」


 無表情で横を向くシンイーの頭の上に、花火が上がる。


(頭の中に見える時と上に見える時がある……違いはなんだ?)


 ノエルのお腹が大きな音を立てた。


「ごめん。聞こえた? 出前とかって……」


 シンイーはノエルの言葉をさえぎる様に、しゃがんで布の袋に手を突っ込んだ。


 引っ張り出したそれは、プラスチックの皿だった。


「お皿? 持って来たの?」


 シンイーは皿を数枚とフォークを取り出し、床に置く。


「ちょっと待って。床に置かないの」


 ノエルは腰を曲げて皿とフォークを拾う。


 シンイーは床にしゃがんだまま、大きなタッパーを取り出し蓋を開ける。


 そこには茹でられた鶏肉がレタスに囲まれていた。


「シンイー、持って来たの?」

「……作って来た」

「え! シンイーが作ったの⁈ 嘘⁈ 」


 ノエルは思わず口走った事を後悔した。


 頭の中に青い滴がねっとりと垂れる。


「あ、ごめん。傷付かないで。以外な展開が続いて……ごめんね」


 シンイーは床にタッパーを置いたまま、ノエルを見上げる。


「ごめんってば。そんなにショックを受けないで。机はないの?」


 ノエルはアトリエを見回す。しかし、机は画材が乱雑に置かれ、絵具で汚れていた。


 ノエルは椅子をみつけ、その上に鶏肉の入ったタッパーを置く。


 シンイーは、もう一つ椅子を並べ、さらに大きなタッパーを置いた。


「開けてイイ?」


 そのタッパーの中身は玉子スープだった。


「これも作ったの⁈ お母さんじゃなくて?」


 シンイーの頬がぷーと、膨らむ。


「あはっ! 冗談だよー。このアトリエも、ご飯もすごく助かる」

「隠さないと……」

「え?」

「私は隠さないといけません」

「あー……そうだね。覚えていてくれたんだ」

(第2章第461話参照)


「ここは隠れ家」

「うん、そうだね。僕とシンイーの隠れ家だ」

「ノ……さんは、嬉しい?……ですか?」

「ノエルでイイよ。敬語も使わないで」

「……嬉しい?」

「うん、すごく嬉しい。僕の事、考えながら準備してくれていたんでしょ? 想ってくれただけで嬉しいよ」


 シンイーは無表情のままで顔を真っ赤にした。頭の上にたくさんのハートと花が飛び交い、シンイーの顔が見えないほどになった。


(そうか、彼女が強く思い、僕がそれを見たいと願った時に、頭の上に見えるんだ。頭の中の映像はシンイーの力で、外に見えるのは僕が見たいから……)


 ノエルは床にあぐらをかいて座る。


「これ、なんていう料理?」

「よだれ鶏」

「え?」

「よだれ鶏」

「よだれ⁈ 本当に⁈ 」

「ママに教わった……四川料理」

「へー……まさか、よだれは入ってないよね⁈」

「たぶん……」

「たぶん⁈ シンイーが作ったんでしょ⁈ 」

「冗談だよー」

「な! こいつ! 仕返しのつもりー⁈」


 ノエルはシンイーの脇をくすぐる。シンイーは小さな女の子の様にキャキャッと笑い、床に転がった。


(本当に大学生? 幼いなぁ)


「これ、どうやって食べるの?」


 シンイーは皿にレタスを敷き、茹でた鶏肉にタレを掛けてノエルに渡した。


「いただきます」


 ノエルは鶏肉にフォークを突き立て、ひと口たべる。


 ピリ辛のタレが淡白な鶏肉と合い、とても美味しい。しかし、塩茹でされた肉が塩辛かった。


「タレは最高。でも、肉がしょっぱい」


 ノエルは正直に言った。


 シンイーは慌てて食べてみる。


「本当だ。しょっぱい……」

「でしょー」

「しょっぱくなった……」

「あー、温かい時に味見したんでしょ。温度が変わると味も変化するんだよー。冷えてから、こんなに塩辛く感じるって事は、温かい時はもっと塩辛かったはずなんだけどなー?」

「パパが……」

「ん?」

「パパがちょうど良いって」


(なるほど。娘が作ったモノは何でも良いよねー。でも、僕は彼氏なので厳しく行きますよー)


「自分で味見しなかったの? ダメじゃん」


 黒い雨雲が湧き立ち、今にも雨が降りそうになる。


(あ、泣く? それはズルいなー……)


「パパは……ちょうど良いと言った。パパは嘘、付かない」


(あ、そっち?)

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