第125話 胸騒ぎ


 テオは頰に手を当てながらリビングに戻った。


「顔がニヤけてるよ」


 ノエルが片方の眉を上げて言う。


「チューされたんでしょー!」


 ジョンが叫び「いってきますのキスなんて、結婚したくなりますねー」と、ゼノが遠い目をする。


「ええ⁈ 」


 テオはゼノをにらんだ。


「違いますよ!トラブルとではなく、ただ結婚したくなったという事です」

「僕も彼女欲し〜い!」

「僕もー」

「切実な問題だな」


 4人はため息をく。






 会社に到着したトラブルは医務室でレントゲンのチェックリストを確認した。


 採血台に駆血帯やアルコール綿、非アルコール消毒綿を用意し、リスト順にスピッツを並べておく。

 心電図の電源を入れ、ゼリーとティッシュを取りやすい位置に置く。

 採尿カップを置くオーバーテーブルを用意してトレーを各部署別に分けておく。


(よし、さてと…… )


 ジョンのゲームをミニキッチンの棚に隠す。箸やフォークを引き出しに、出しっぱなしのフライパンと鍋をゲーム機の隙間に入れた。


 クッションを整え、観葉植物に水をやり、マッサージチェアーの電源を入れて『ご自由にどうぞ』と、札を下げる。


 白衣を羽織っているとノックの音が聞こえ、ヤン・ムンセ医師が現れた。


「おはようございます。よろしくお願いします」


 笑顔で丁寧に頭を下げる。


 トラブルも手話で挨拶をした。


よろしくお願いします。早いですね。


「はい。準備をしようと思ったのですが、終わっていますね。あ、白衣を持参しました。あと、イム・ユンジュ先生からパルスオキシメーター(血中酸素測定器)を預かって来ました」


私も持って来ました。ジョンの呼吸状態は一晩安定していたので問題ないと思います。


「やはり、泊まったのですか?」


はい。


「当直明けって事ですよね?」


寝たので大丈夫です。


「イム・ユンジュ先生にミン・ジウさんの『大丈夫』は大丈夫でない事が多いので気をつけるように言われました」


あの人が心配性なだけで、大丈夫なものは大丈夫です。ここのロッカーを使って下さい。


「あ、はい。でも、もし仮眠が必要な時は言って下さい」


大丈夫です。


「……はい」




 トラブルの白いスマホに受付からレントゲン車の到着を知らせるメールが届いた。


 トラブルはヤン・ムンセと駐車場に向かう。


 倉庫側出入口から駐車場に出ると、車のクラクションが鳴り響いていた。


 駐車場入口でレントゲン車とメンバー達を乗せたSUVが鉢合わせし、身動きが取れなくなっていた。


 トラブルはレントゲン車の運転手の元へ走り、ジェスチャーでバック出来るかと聞く。しかし、運転手はバックするにしてもSUVが退かないと無理だと言う。


 トラブルはSUVを運転しているマネージャーの元へ行こうとするが、車は左右を外壁沿いの花壇とレントゲン車に挟まれ窓に近寄る事も出来ない。SUVの後ろにはファンの人だかりが出来ていた。


 車内のメンバー達は不安そうにトラブルを見ている。


 フロントガラス越しにセスに手話をする。


 セスが後部座席から身を乗り出し、状況を手話で説明した。


俺達が到着した時にはレントゲン車は、すでにここで立ち往生していた。マネージャーは停止して待ったがファンに気付かれて囲まれた為、前進させたらレントゲン車がバックして来て、お互い動けなくなった。


 トラブルは、分かりましたと、返事を返して両車の位置関係を確認する。


 マネージャーに手で指示を与える。が、マネージャーは「はい?」と、意味が分からないと肩をすくめる。


 ゼノが「窓を開けて下さい」と言い、ノエルが「助手席に移って」と、トラブルの指示通りにマネージャーを押しやる。


 トラブルは花壇の上に乗り、窓枠に手を掛け、ひょいっと足から運転席に飛び乗った。


「トラブル運転出来るの⁈ 」


 テオの声にうなずいてトラブルはバックミラーの位置を直しサイドミラーを畳んだ。


 前に立っているヤン・ムンセに、レントゲン車のサイドミラーも畳むよう手話をする。


 ヤン・ムンセがレントゲン車の運転手に伝え、サイドミラーが畳まれた。


 トラブルは車をゆっくり前進させる。


「見えないのに、危ない!」


 マネージャーはサイドミラーを指差すがトラブルは返事をしない。


 ハンドルを微妙に動かしながら数ミリ単位でレントゲン車と花壇の間を進めて行く。


 ギリギリの所ですれ違う事が出来た。


 後ろから見ていたファン達から拍手が起こる。


 トラブルはそのまま、いつもの停車位置にSUVを駐車させエンジンを止めた。


「トラブル、すごーい」


 ジョンが車内の全員を代弁する。


「ありがとうございます」


 目を丸くしたまま礼を言うマネージャーに車の鍵を投げ返し、トラブルはSUVを降りて今度はレントゲン車の運転手を助手席に追いやり、乗り込んだ。


「大型も運転出来るの⁈ 」


 メンバー達は車を降りず、固唾かたずを飲んでレントゲン車を見守る。


 トラブルはサイドミラーを戻し、ヤン・ムンセに後ろの人だかりを下げるように言う。


 ヤン・ムンセは指示通りにファン達を退しりぞけた。


 レントゲン車はゆっくりと動き、一度切り返して、スムーズに駐車場の停車位置に入った。


 ヤン・ムンセが「やった! 」と、トラブルに駆け寄る。


 トラブルはヤン・ムンセに放射線技師に準備を始めるよう伝えてもらい、メンバー達の元へ行く。


 メンバー達が車から降りるとファンの黄色い歓声が上がる。5人はファンに応えながら無事に社内に入って行った。


 トラブルは、その人数の多さに嫌な胸騒ぎを覚える……。


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