第518話 スマトラ島へ


 トラブルが立ち去ったあと、控え室にマネージャーが駆け込んで来た。


「ソン・シムさんとトラブルが出発するみたいですよ!」


 メンバー達が駐車場を見下ろせる窓に集まり眼下をのぞくと、人員輸送のトラックが停まっている。


 駐車場がにわかに騒がしくなり、スタッフ達が見送りに出て来た。


 ソン・シムとトラブルは両肩に荷物を掛け、代表に背中を叩かれている。


 車両後方から作業着姿の男が降り、ソンとトラブルの荷物を荷台に投げ入れた。


 ソンはその荷台に足を掛けて飛び乗る。続いてトラブルも荷台に足を掛けた時、テオはたまらず叫んだ。


「トラブルー! 絶対、帰って来てねー! 約束だからねー!」


 トラブルは驚いて声のする方角を見上げる。


 それがテオだと分かると、満面の笑みを見せて手を振り、そして、荷台に乗り込んだ。


「ソン! 頑張れよー!」

「気を付けてねー!」


 2人を乗せたトラックはスタッフ達の拍手に見送られ、会社を後にした。


 テオは窓から離れられないでいた。なぜだか分からないが悪い予感しかしない。


 テオがそんな不安を隠さないでいると、隣から鼻をすする音が聞こえて来た。


(え、ノエル? 泣いて……)


 見ると、そこには顔面いっぱいの涙を拭きもせず、ユミちゃんが鼻水を垂らして泣いていた。


「うわ、ユミちゃん。泣きすぎだよー」


 ノエルが汚いモノを見る目でユミちゃんから離れる。


「だって、だって〜」


 ユミちゃんの顔はますます汚くなり、ゼノが背中を押して控え室に入れた。


「ユミちゃん、そんなに泣かないで下さい。永遠の別れではないのですから」


 ゼノはユミちゃんを座らせ、ティッシュの箱を渡した。


「永遠かもしれないのよ〜」

「え、どういう意味ですか⁈」

「あのね……」


 ユミちゃんは大道具スタッフから聞いた、代表がソン・シムに言っていた言葉を話した。


「代表はトラブルが帰りたがらないかもと言っていたのですか?」

「そうなのよ。絶対に連れて帰れってソン・シムに念を押していたんですって。だから〜」


 ユミちゃんは音を立てて鼻をかむ。


「これ、捨てて」


 ジョンの手に、重く濡れたティッシュを置き、新しいティッシュで目をぬぐう。


(イヤ〜……!)


 ジョンは心で叫びながらティッシュをゴミ箱に捨て、手を洗いに行った。


「だ、大丈夫だよ。約束したんだから。必ず帰って来るって、僕達、約束したんだから……」


 テオは手の中の、青い家の鍵をギュッと握った。






 翌日、代表からトラブル達はスマトラ島最大の都市、メダンに派遣されたと聞かされる。


「メダン⁈ 被害の大きい地区じゃないか。そういう場所は軍隊が入る場所じゃないのか⁈ 」


 セスは、なぜNGO(非政府組織)のスタッフが、明らかに危険な場所に派遣されたのか知りたがった。


「メダンには、島で唯一の聾唖ろうあ学校があるんだ。いまだにたくさんの子供が瓦礫がれきの下敷きになっている」

「そこに……」

「適任だと判断された。医師団の中でも手話が出来る奴は少ないからな」

「ソン・シムは?」

「ソン・シムも一緒だ。あいつが信頼出来る人間を1人くらいはそばに置いておかないとな」


(何をしでかすか分からん……)


 セスはそれ以上、質問しなかった。


 韓国国内だけでなく世界が死者数に嘆き、そして生存者の救助に歓喜の声をあげた。


 メンバー達のスケジュールは再開され、しかし、ふざけてばかりいる彼等の冠番組は自粛された。


 ソン・シムは指示通り代表にメールで状況報告を入れた。代表はそれをスタッフ達に伝える。


「まだジャカルタで、メダンには入れていないそうだ。恐らくジャカルタで1泊する事になるとさ」

「ジャカルタって、被害はどうなの?」


 テオはセスに聞いた。


「被害はほとんどない。ほら、この地図を見ろ。震源地の反対側に位置しているから、津波の被害もない」

「そうか。まだ、安全な場所にいるんだね」


(あと、13日……)







 トラブルはジャカルタのスカルノ・ハッタ空港で押し問答をしていた。


(だからー!)


『チャーター便を出して下さい』


 空港の職員は、メダンの空港から着陸困難にて待つ様に言われているとトラブルに説明する。


『では、ヘリを』

「すべて出払っていますし、簡単に手配出来るモノではありません。お客様、お気持ちは分かりますが、少し落ち着いて下さい」

『空路がダメなら水路では?』

「津波で港はすべて閉鎖されています」

『スマトラ島に渡るすべは、ないのですか⁈』

「現在の所、御座いません」

『では、スイスチームはなぜ、活動をしているのですか?』

「ミャンマー側から入ったのだと思います。詳細は分かりかねますが」


(その手があった! ここから、ヤンゴンまでは約6時間か……空港が再開されるのとどちらが早いか……)


 考えを巡らすトラブルと困り顔の空港職員を助けるべく、ソン・シムは声を掛けた。


「おい、トラブル、仕方がないだろ。どこかの政府の受け入れが優先なんだ。こうやって足止めを食らうのも、よくある事なんだろ?」


 ソン・シムは同じNGOの仲間の1人に聞いた。


「はい。追い出されないで空港で待機出来るだけ、まだ、マシなほうです」


 トラブルはメモを書いた。その仲間の男性は「あー、聾唖ろうあの……いえ、すみません。ろうではないんですね」と、頭をかく。


『72時間の壁』

「そうですね、もちろん意識しますし気持ちが焦る事もあります。しかし、それは72時間以内に無理をしてでも助けろという意味ではないです。同じく被災した住民や地元の警察、消防団などが手の届く人から助け出した結果、72時間以内の生存率が高かっただけで、助けられた人々の治療やインフラの整備など、72時間後の仕事も山ほど待っていますよ。さあ、飯を食いに行きませんか? 最後のまともな食事かもしれませんからねー」


 災害派遣の経験者の言葉にうなずくしかない。


 ソン・シムとトラブルは、その仲間についてレストランに行く事にした。

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