第259話 鉄欠乏性貧血


「トラブル、大丈夫⁈ いったい……」


 トラブルは大丈夫と手で言うが、テオに支えられても立ち上がれないでいた。


「テオさん、ちょうど良かった。貧血を起こしています。医務室に運びます。荷物をお願いします」


 イム・ユンジュはそう言うと、トラブルをかかえて持ち上げた。


 テオは、慌ててトラブルのリュックを持ち、出入口のドアを押さえる。


 ノエル達も駆け付け、トラブルを抱いたイム・ユンジュを医務室に誘導した。


 イム・ユンジュはトラブルを診察台に寝かせると、眼瞼がんけんを下げて脈を測る。


 トラブルはその手を払い退けて、もう大丈夫ですと、手話をした。


 蛍光灯の下のトラブルは、真っ白な顔をしている。


「ふらふらな状態で私の診療所に来て…… 自宅に送ろうとしたのですが、どうしても薬を届けると言って聞きませんでした」


 そして、仕方がなく、座っていれば血圧が保てていた為、自分の車を運転させて帰って来たと説明をした。


 イム・ユンジュはテオの持つ、トラブルのリュックを指差す。


 テオがリュックを開けるとノエルの痛み止めが入っていた。


「これの為に…… 先生、トラブルはどこが悪いのですか?」

「鉄欠乏性貧血です。血圧計はどこですか?」


 トラブルは心電図の下を指す。


 イム・ユンジュはトラブルの血圧を測定した。


 自動血圧計の表示は上が80台を示した。


「相変わらず低いですね。端座位たんざいで100以上なければ立ってはいけませんよ。駆血帯くけつたいと、アルコール綿は?」


 イム・ユンジュ医師はトラブルの指差しに従い必要物品を揃える。


「ちょっと、すみません」と、テオの手からリュックを受け取り、アンプルと注射器の入ったビニール袋を取り出した。


「テオさん、これは鉄剤の注射薬です。今日の分は、すでに打ちました。明日から毎日、静注じょうちゅうするように見張っていて下さい。ミン・ジウは少しでも体調が戻ると、すぐにサボりますからね。一緒に入れておきます」


 イム・ユンジュは、駆血帯くけつたいとアルコール綿をビニール袋に入れた。


「自分で注射するのですか? 飲み薬とか……」

「彼女は内服では胃部症状が出て、続けられなくなるのですよ。注射でも症状は出ますが効果が早いので。あと、テオさん、彼女は本当に妊娠の可能性はありませんか?」


 トラブルは、バンッと診察台を叩く。


 テオの顔が見る見るうちに赤くなった。


「いえ、ないです……」

「……そうですか。体重が減っているようです。しっかりと食事をさせて下さい」

「は、はい、分かりました」


 イム・ユンジュは「まだ、診察があるので」と、ノエル達に会釈えしゃくをして、医務室を出た。


 テオが後を追う。


「あの、先生。トラブルは以前も、この、えーと貧血になった事があるのですか? 3日後に僕達と日本ツアーに行くのですが……」


 医師は低い声で言う。


「テオさん、ミン・ジウが瀕死の状態で発見された時、ほとんどの血液を失っていました。血液を入れ替えたと言っても過言でないほどの輸血を行い、一命を取り留めたのです。彼女の造血幹細胞ぞうけつかんさいぼうは、なかなか正常に働かなかった。心機能も腎機能じんきのうも低下し、エリスロポエチンが不足して、さらに貧血を進行させました。この意味が分かりますか?」


 テオは、イム・ユンジュの言葉を聴き逃すまいとしたが、それでも医師の説明は理解出来なかった。


 悲しそうに首を横に振る。


 イム・ユンジュは、ため息をいた。


「すみません、分かりにくいですね。ミン・ジウは今でも多臓器不全たぞうきふぜん…… 内臓の機能が悪くなる危険と隣り合わせでいます」

「そんな……ケガが治って元気になったと思っていました……」

「彼女は知識がある分、ギリギリまで無理をします。今回は数日前から眩暈めまいがしていたそうです。何か気が付きませんでしたか?」


 イム・ユンジュは責める口調にならない様に努めて穏やかに言う。


「数日前……そうだ、仕事を休んだ時がありました」

(第2章第246・247話参照)


「本人は何と言っていましたか?」

「えっと、寝坊したって……」

眩暈めまいで起き上がる事が出来なかったのでしょう。いいですか、ミン・ジウは体調で数値を予測して “まだイケる ” と、限界まで体を痛めつけます。自然に治れば良いのですが、今日の様に限界を超えてしまう事もあります。彼女を頑張らせてはいけない。特に……」

「特に?」

「不用意な妊娠は絶対に避けて下さい」


 青かったテオの顔は、再び赤くなる。


「あ、僕は……僕達は、まだ、その……」

「避妊はもちろん、排卵日も把握してのぞんで下さい。いいですね」

「は、はい……」




 トラブルは診察台の上で、けわしい顔をして目をつぶっていた。


 ノエルとア・ユミ、ダテ・ジンはソファーに座り、廊下で話すテオとイム・ユンジュを見ていた。


 ア・ユミが沈黙を破る。


「あの、ノエルさん。あの方は、お医者様なのですか?」

「うん、イム・ユンジュ先生といってトラブルの主治医だよ」

「主治医?トラブルさんは、どこか悪いのですか?」

「あ、えーと、話すと長い……いや、僕も詳しくは知らないんだけど、言葉が話せなくなった事件…… じゃなくて、事故の時から付き合いのある先生だそうだよ」

「そうですか」

「あ、あの……」


 ノエルは誤魔化せたか不安を隠す為に、口を開くダテにあえて微笑みで先をうながす。


「あの、トラブルさん、妊娠、ないか、セスさん、聞くの、必要、じゃん?」

「セスに聞くの? なんで?」

「トラブルさん、セスさん、恋人、です」

「えー! ダテくん、それ、本当なの⁈」

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