第115話(2-69)恋慕
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)一一日。
クロードたちがベナクレー丘撤退戦で奮闘していた頃、レーベンヒェルム領軍総司令官セイもまた戦支度に奔走していた。
偵察中のイヌヴェ隊から、五万人ものソーン領の軍隊が侵攻中との急報が入ったからだ。そして間を置かず、マラヤ半島のクロード率いる義勇軍との連絡が途絶する。
セイは急きょ援軍を送ろうとしたが、大人数を乗船させて渡航可能な船が無かったため、ヴァリン領に援軍を依頼した。
彼女は領軍司令部会議室に戻り、サムエルやロロンといった幹部たちと共に防衛線の構築とソーン領の進軍途上にある町村住民の疎開計画を練り始めた。
正午を過ぎた頃、新式農園”セミラミスの庭園”から急報が届いた。監督官代理の侍女レアが突如として意識を失い、昏倒したというのだ。
仰天したセイは慌てて見舞いに駆け付けようとしたが、不意に通信用の魔法水晶玉が光り、マラヤ半島にいるヨアヒムたちと連絡が繋がった。
「ヨアヒムっ、無事だったか!?」
「セイ司令、どうにか生き延びました。アンセルはビズヒルに先行しています。キジーも重傷ですが生きています。今、リーダーを見たって仲間が戻ってきて、通信を試みたらバッチリでした。おい、どうだ? リーダーはどんな感じだったって?」
「リ、リーダーは、敵の捕虜となったアリス様と、ソフィ様を助けようと勇敢に、それはもうゆうかんにたたかって、さいごは、じゅうだんをあびて、名誉の戦死を遂げられましたぁっ」
涙と鼻汁で顔を歪ませ、途中つっかえつっかえ
セイは、いつの間にか床に座りこんでいた。サムエルやロロンが必死で声をかけるも、彼女の耳には届いていなかった。
「馬鹿だなあ、棟梁殿。私、愛してるってまだ伝えてない……」
それっきり、セイはまるで精巧な人形のように、身じろぎもしなくなった。
「司令、司令。セイっ。おい、お前、レア嬢ちゃんを呼んで来いっ」
「サムエル隊長。落ち着いてください。今さっき倒れたって連絡が入ったじゃないですか!?」
「いったいどうなってんだ……。ちくしょうっ」
「医務室に運ぼう。今の一件、他言は無用だ。我らは司令の作戦を果たすだけだ」
つまるところ、レーベンヒェルム領軍は、セイというカリスマと、彼女を万全にバックアップするクロードという両輪によって成り立っていた。ゆえに、この二輪を失った瞬間、組織に激震がはしったのだ。
それでも立案中の作戦計画にのっとって領民の疎開を実行し、ゲリラ戦じみた防衛策に打って出たのは、サムエルたち元傭兵やロロンら元海賊たちの意地だったのかもしれない。
緋色革命軍がその夜、クローディアス・レーベンヒェルムの死を発表するや、領内は大混乱に陥った。
歓喜に叫ぶものがいた。お祭り騒ぎにはしゃぐものがいた。だが、そういった輩の大半は、海外の国からなんらかの権益を得たものだった。
レーベンヒェルム領で生まれ育った町や村の住人の大多数は、あれほど憎んでいたはずの辺境伯の死に涙した。
「……情報の拡散が早すぎる。見事に煽られてますね。とはいえ、この反応は想定外でした。辺境伯様は、アレで意外に愛されていたのですね」
刑務所長、ハサネ・イスマイールは、混乱に乗じて一斉に蠢き始めた緋色革命軍や共和国の工作員を自ら先頭に立って捕縛しつつ、同じように領警察の部下を連れて巡回中のエリックにささやいた。
「割り切れてなかっただけさ。不器用なんだよ、この領の住民は」
工作員たちの目的は、クロードの死を流布して、放火や略奪によって人心と治安を悪化させることだった。
エリックは、クロードから領警察特別警備隊長を拝命し、町の安全を託されたのだ。そのような悪行を許すはずもなく、目星をつけていたアジトに踏み込んで、片端からテロリストたちをふん縛っていった。
「そう言えば、エリックさんとブリギッタさんは動じていませんね。意外です」
「だってよ、アイツが銃弾浴びて死んだとか、ギャグか見間違いに決まってる。どうせ懐に忍ばせていたエロ本に当たって無事でした、とか、そんなオチだろ」
「なん、ですって……!?」
ハサネは、衝撃のあまり葉巻を口からこぼして燕尾服のズボンを汚し、グレーのシルクハットを脱いで、エリックの顔をまじまじと見つめた。
「貴方は、辺境伯様の死を信じていない、と」
「違う。クロードを信じているんだ。俺はあいつならソフィを、ソフィ姉を託していいと思ったんだ」
エリックの野趣あふれる顔の真ん中で輝く黒い瞳は、夜闇にも、そして、レーベンヒェルム領に忍び寄る脅威にも負けず、強い意志の光に満ちていた。
「ふふ。ならば私も信じましょう。彼にア……、我が神の加護がありますように」
エリックたち領警察は、悲報に揺れるレーベンヒェルム領の治安を維持し続けた。この夜、領全土で、放火未遂が三二件、強盗未遂が五九件発生。しかし、暴動は、一件たりとも起こっていない。
またブリギッタ・カーンは、父であるパウルと連絡を密にとり、財界が動揺するのを防いだ。共和国の息がかかった地方代官の中に不穏な動きを見せた者がいたものの、彼らの暴発は政治工作によって事前に阻止されている。
木枯の月(一一月)一一日の夜に緋色革命軍によって発表された、クローディアス・レーベンヒェルムの死は、後日、完全な誤報と確認された。
しかしながら宣伝工作の影響は大きく、レーベンヒェルム領は一見平静を保ったものの、民衆はかつてないほどに動揺した。晩年、この日の騒動についてインタビューを受けたブリギッタは、次のように回想している。
「あの日、本当に彼が死んでいたら、レーベンヒェルム領は潰れていたでしょう。当時仲が悪かった派閥間の対立が表面化して、きっと領軍も役所も真っ二つになっていたはず。あの日、皆が気付いたのよ。彼が背負っていたものに――。嫌われていたし、今も嫌われているけど、案外、愛されてもいたのね」
緋色革命軍が投じた、死の誤報という一石。
引き起こされたさざ波は、小さくとも、確実な変化を映し出していた。
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