第210話(2-163)悪徳貴族と楽園使徒の終焉

210


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 霜雪の月(二月)二八日。

 レーベンヒェルム領、ルクレ領、ソーン領を中心とする三領軍は、マラヤディヴァ国ヴォルノー島を震撼しんかんさせた怪物災害をついに鎮めることに成功する。

 クロードの熱止剣を受けた血塗れ竜ブラッディドラゴンは沼に膝をつき、炎によって焼け崩れた。

 灰となった遺骸からは無数の淡い光が太陽に導かれるように天へと昇り、この光景を見ヴァン神教の神官は、奪われていた犠牲者の命がようやく解放されたのだと呟いた。

 上半身だけが残されたアルフォンス・ラインマイヤーは、脱色した金髪の下、苦痛に満ちた顔で何かを言おうとした。


「アルフォンス」


 クロードが彼の右手を握ると、わずかに和らいだ顔で、何も告げずに事切れた。

 アルフォンスの死体もまたぐずぐずの赤黒い肉塊へと変化し、やがて灰となって沼地の中へ沈んで消えた。

 クロードの手が掴んだわずかな白い骨の欠片だけが、怪物に成り果てた男が遺したすべてだった。


「お前は、人間に戻ったのか?」


 クロードは骨片を握りしめたまま、青い空を見上げた。

 答えるものはおらず、ただ兵士たちの歓喜の声が響き渡り、ここに戦いは終結した。


 ――しかし、めでたしめでたしでは終わらなかった。


 楽園使徒アパスルは、怪物化したアルフォンスの暴走もあって壊滅状態にあり、ほどなくして制圧された。

 これに泡を喰ったのが、楽園使徒を支援していた西部連邦人民共和国の一部軍閥である。アルフォンスらの黒幕フィクサーであった軍閥は、怪物災害はもっと長引くか、あるいは三領軍に壊滅的被害を与えるまで続くと期待していたのだ。

 が、ふたを開けてみれば大量の負傷者こそ出たものの、怪物災害鎮圧戦による戦死者はゼロ。総司令官である姫将軍セイの名声と三領軍の勇壮は、マラヤデイヴァ国だけではなく近隣諸国にまで鳴り響いた。

 事態を重く見たパラディース教団の指導者アブラハム・ベーレンドルフ主席教主は、オズバルト・ダールマンの報告もあり、マラヤディヴァ国への干渉を続けても益なしと損切りを決める。

 それは、黒幕たちにとって自身の破滅を意味していた。


「座して死を待つ馬鹿がいるものか! 教主の意向など何するものぞ。かくなる上は、我らの手でレーベンヒェルム領を占領し、再び植民地という正しい世界を作り出す。戦端さえ開いてしまえばこちらのものだ!」


 アルフォンスアルフォンスなら、使い手フィクサー使い手フィクサーだったということか。

 彼らは大局的視野を欠いた恐るべき短慮たんりょを起こし、子飼いの私兵団と共に武装漁船団に乗って共和国から一路マラヤディヴァ国を目指した。


「こうなったのもすべて蛮族の小娘のせいだ。我らの慈悲で生かされている備品風情が調子に乗って! 四肢を裂いて、死体をさらせっ」


 更には、楽園使徒の崩壊を招いたのが三領軍に協力する裏切り者ミズキであると決めつけて、ヴォルノー島に残された楽園使徒の残党、懲罰天使アンゲルに彼女の殺害命令を出したのである。


「蛮人どもに目にものをみせてやれ」

「野郎ども、雇い主の許可が出たぞ。濡れ手にアワのかきいれ時だ。略奪を始めろ、ハァッハッハッ!」


 武装漁船団の艦隊は、闇夜に紛れてマラヤディヴァ国領海に入り、ルクレ領の離島に上陸しようとした。

 この時、ロロン提督旗下の巡航艦隊の警備網を突破していることから、武装漁船団の長は優秀な指揮官であったのではないかと後日推察されている。

 

「へえ。誰の許可を得て、ボクのおもちゃ箱に触ろうとしているのかな? せっかくの仕掛けは不発に終わるし、いい加減うざいんだよ。目障りだから消えちゃえ」

「お、お前は、邪竜ファヴニル!?」


 後日――と、過去形である理由は明白だ。

 軍閥重鎮たちを乗せた共和国の漁船団は、運悪く局地的な台風に見舞われ、上陸を前にして全員が海の藻屑もくずと消えたからである。

 またほぼ同時期に、懲罰天使の残存兵力がミズキの滞在している港湾都市ヴィータに向けて街道を進軍したものの、ドレッドロックスヘアとぶ厚い小手が目立つ傭兵の率いる一団に阻まれた。


「貴様は、赤い導家士どうけしのロジオン・ドロフェーエフ。なぜ我らの正義執行を阻もうとする? 反革命分子に魂を売り渡し、貴族どもの犬に堕落したか」

「おいおい、犬も何もオレは傭兵だぜ? 雇われればどこにだって味方するさ」


 傭兵は飄々ひょうひょうとした顔で笑い、片刃の曲刀をすらりと抜いた。

 彼が佩いていた得物は、イシディア法王国の辺境で僅かに生産される異世界由来の刀剣、ニホントウだ。

 ロジオンの抜刀に続くように、同行する兵士たちも小銃を一斉に構えた。

 いかなる理由からか、彼らが装備していたのはマスケットではなく、レーベンヒェルム領でもほとんど配備されていない新型の連発式銃であり、しかも全体的な造形はより洗練されていた。


「まあ、今回は特別だ。意図しようがしまいが、てめえらはオレの逆鱗げきりんに触れた。せいぜい足掻くんだな。死んだ女房風に言っちまうなら、”オレはただぶち殺したいだけで、簡単に死んでほしくはない”んだからよおっ」

「わけのわからないことを。たかが傭兵が、我々の正義にぐひゃああっ」


 この後、懲罰天使構成員の姿を見た者はいない。西部連邦人民共和国にとって、彼らはもはや生かしておいては有害な存在となっていた。

 そして怪物災害鎮圧から一週間を経た、若葉の月(三月)七日。共和国は国際社会に向けてある声明を発表した。


『先にマラヤディヴァ国で怪物災害を引き起こしたアルフォンス・ラインマイヤーを名乗る男は、共和国国籍に非ず――ナラール国からの難民であり、国籍を偽装していた犯罪者である』


 翌日、若葉の月(三月)八日。共和国と国境を接するナラール国はまるで示し合わせていたかのように、声明を発表した。


『アルフォンス・ラインマイヤーを騙るテロリストはナラール人に非ず、堕落だらくした隣国ナロールが派遣した工作員である。我が国はこのような陰謀を決して許さない』


 それから五日後の若葉の月(三月)一三日。隣国に遅れること五日、ナロール国もまた声明を発表した。


『厳正なる聞き取り調査の結果、遠いマラヤディヴァ国で起こった怪物災害は、ガートランド聖王国が派遣した怪人物の手で引き起こされたものであると我が国は確信した。この重大なる犯罪行為に対し、我が国は国際社会へ向けて王国の非を徹底的に訴えてゆく』


 それから二日後の、若葉の月(三月)一五日。王国議会の野党勢力は、ナロール国のまったく具体的な証拠のない声明を根拠に王国与党を糾弾きゅうだんした。


「ふざけてるのか? こんな責任転嫁と言いがかりがあるものか!」


 クロードは楽園使徒と繋がりのあった共和国、ナラール国、ナロール国に対して遺憾の意を表明するとともに、王国がまったく無関係であることを外国人記者たちの前で宣言した。――が。

 王国ではろくに報じられなかった挙げ句、野党勢力は悪徳貴族の言質をとったとばかり狂乱を深めたのである。

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