第145話(2-99)悪徳貴族と彼女たちの真意

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「僕がファヴニルとの決着をつけたその時は、裁きを受けるよ」


 クロードは、いわおのように粛然とした態度でローズマリーの問いに答えた。


「え?」


 侯爵令嬢は、予想もしなかった辺境伯の言葉にまるで魂を抜かれたかのように呆然とした。


「当然だろう。僕は影武者で異なる世界からやってきた人間だ。本来ならば、そんな輩が領を主導することこそおかしい」


 クロードの発言は、断崖に張ったタイトロープからすべり落ちかねないもので、ブリギッタが挙手もせずに割って入った。


「辺境伯様。この世界は古くから多くの異邦人を受け入れてきたわ。このマラヤディヴァ国もまた、そういった国々が結んだ異世界漂流民保護条約に加盟しているの。だから異世界からの来訪者を保護する義務を負っていて、具体的に言うなら、御身が拒否しない限り帰化手続きが行われて、来訪した地の国籍を自動的に取得するのよ」

「僕もレーベンヒェルム領を、この世界の故郷だと考えている。それでも、例えそうだとしても、僕には身分を偽った罪が、本物のクローディアスから引き継いだ業がある」


 ブリギッタだけでは危ういと感じたか、ハサネが援護に入った。


「経緯はどうあれ、貴方は今、法を超越した十賢家当主の一人です。貴方を裁くことが可能な律は、現在のマラヤディヴァ国には存在しません。そもそも貴方がこれまで挙げた功績は、十賢家の一員として認められるに十分なものだ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも功績は功績。罪は罪だ」

「ちょっと待てよ。クロード、お前は先代のクソッタレとは違うんだ。あんなクサレ外道の罪を背負う必要なんてない。名を偽ったことを罪というのなら、俺たちだって……」


 更にはエリックが声を荒らげ、他の参加者たちも口々に意見を述べて、会議室が騒然とした時、きっかけとなったローズマリーが机を叩いた。


「はしたなくて、ごめんなさい。でも待って、そうじゃないの。聞きたいのは、そういったことではなくて――。クロード、貴方には望みはないの? 自分の名前を不朽のものにしたいとか、古今の財宝を集めたいとか、多くの大富豪セレブリティと知り合いたいとか。他には、そう、美姫を集めて取っ替え引っ替えしたいとか」


 ローズマリー・ユーツは、問いかけながら会議室の空気が変化してゆくのを感じていた。

 参加者の目が、『このお嬢さんはいったい何を言っているのだ?』と無言で告げていて、途中で心が折れそうになった。

 ヨアヒムが即座に挙手してフォローを入れたのは、クロードをよく知らない彼女をおもんばかってのことだろう。


「ローズマリー嬢は婚約者に裏切られてるんすよ。だから、この機にリーダーの本意をちゃんと知りたいって、そういうことみたいです」

「ああ、ちゃんと答えるよ。クローディアス・レーベンヒェルムの名は滅ぶべきものだし、余分な金や宝物は領に還すべきものだ。人脈は領の運営上大切だけど、女の子を取っ替え引っ替えなんて不誠実だろう」


 ここで『貴方は取っ替え引っ替えをやっているでしょう』と指摘する無謀さは、さしものローズマリーにもなかった。

 正室はちゃんと決めておくべきだと彼女も思うが、いまだ中世的観念を色濃く残したこの世界で、大貴族の妻が四人というのはそれほど多くはない。事実、亡き父であるユーツ侯爵はそれ以上に抱えていた。


「……さ、裁きの件はひとまずおいて、他に願いはないの? 邪竜ファヴニルと戦うためだけに、辺境伯を続けているわけじゃないのでしょう?」


 もしもそうであるならば、ローズマリーにとっても理解しやすかっただろう。レーベンヒェルム領の大地は彼の資源であり、軍隊は彼の鉾にして盾、民衆は労働力として使い潰せばいい。しかし、クロードの施政は、彼女の知る一般的な貴族の政治からかけ離れたものだった。 


「願い、か。鉄道がちゃんと動くところを見てみたい」

「……」

「計画途上だけど、美術館と博物館も出来ればかたちにしたい。ああ、その前に難民対策だ。衛生状態と失業率をもう少し改善しなきゃ。うん、僕は、静寂な世界に入り口だけでも辿りつきたいんだ」


 クロードが焦がれるように告げた言葉は、ローズマリーにとって馴染みのないものだった。


「その、静寂な世界ってどういったものなのかしら?」

「いざ口にするのは恥ずかしいな。セイ、お願いできる?」

「人々が日々を営み、時に祭りに興じ、その後掃き清めて明日を待つ、戦火なき豊かな世。棟梁殿と私たちが目指す理想のことだ」


 セイが胸を張って告げた夢が、ローズマリーの心を千々に引き裂いた。

 それはなんて平凡で当たり前の、――貴い夢なのか。


「領民が平日は勤勉に働き、週末にはデモに燃えて、後片付けをして翌週を迎える。まさに我らがレーベンヒェルム領そのものです。入り口どころか、半ば達成されたも同然では?」

「ハサネ。そこ、デモの部分だけは絶対に改善するからな」

「それをすてるなんてとんでもない! ですが、その意気です」

「ったく。なぜ辺境伯を続けているか、か。この領が好きだから、だよ。きっと」


 ローズマリーの認識において、貴族が領地と領民を愛でるのは、己が血と共に先達から受け継いだ所有物だからだ。

 その財産を使いこなすことで、自身と一族の更なる栄達を目指し、あるいは快楽に耽溺たんできする。

 クロードは、レーベンヒェルム領が好きだからだと答えた。彼の資質は、生まれついてのものではないだろう。だが、戦いの日々を経て、押しつけられたはずの影武者は、いつしか正しく領主になってしまった。


「今になって、赤い導家士どうけしたちがなぜ貴方を憎んだのか、メーレンブルクのおじさまがなぜ貴方を恐れたのか、楽園使徒アパスルが何を勘違いしているのかわかったわ」

「ローズマリー嬢、どういうことだ?」

「テロリストたちにとって、貴方という存在は彼らが塗り固めた嘘を暴きたてるものだった。公爵閣下は貴方みたいな人が出てくることで、十賢家という統治システムが壊れてしまうのじゃないかと危険視した。そして楽園使徒はたぶん貴方を、自分たちと同様にマラヤディヴァ国を喰い物にするシロアリだと誤認しているわ。たった今まで私自身が疑っていたのだもの」


 ローズマリーの説明は、クロードが得心するものだった。


「ああ。それで楽園使徒は、僕が結婚を望んでるって誤解しているのか……」


 言われてみればなるほど、クロードの立ち位置は野心を疑われて然るべきものだった。

 緋色革命軍がメーレンブルク領とグェンロック領を圧倒している今、拮抗出来る勢力はレーベンヒェルム領とヴァリン領だけだ。本物のクローディアスは、素行がおよそ褒められたものではなく、影武者だったとすれば、正当性を著しく欠くだろう。領内の地盤を固める為に十賢家の血を必要とすると、楽園使徒が判断しても不思議ではない。

 先日の戦死報道の結果、レーベンヒェルム領の領民たちがクロードの必要性を骨身に染みて実感したなんてこと、人民通報は当然ながら一切報じていない。


「辺境伯様も、修行が足りませんね」

「アンセル。誤解の原因は、デモだからなっ!」


 ついでに、デモの件数も減っていないから、クロード自身が領内の変化に気づいていない。

 むしろまったくの他人であるローズマリーの方が空気に敏感だった。デモは単純な非難から、領主を山車だしにしたお祭り騒ぎへと性質が変化しつつあった。


「楽園使徒が誤解しているのなら、むしろ好都合だ。彼らの隙を突いてエステル・ルクレ嬢と、アネッテ・ソーン夫人を救出したい。出来れば、結婚より穏便なやり方で――」


 ブーブー! と会議室の各所からヤジが飛んだが、議長席のクロードは取り合わなかった。

 その後、救出に有効であるということからセイたちが一定の譲歩を見せ、いくらなんでも結婚は無理筋という常識的な観点に基づきブリギッタたちも引いた。結果、結婚ではなく婚約で交渉しようという形で意見は一致し、会議は夕刻までにお開きとなった。

 ブリギッタは、楽園使徒との交渉の為にルクレ領へ赴くことになり、クロードたちは馬車を彼女の為に置いて行った。見かけこそ普通の馬車だが、そこは領主の専用車だ。加速やら矢除け、火除けの加護やらの魔術文字がわんさか刻まれていて、もしもの為に必要だろうという配慮だった。

 領主館へ徒歩で帰るクロードたちが、馬の繋ぎ場で手を振り別れを告げる中、女執事のソフィはエリックとブリギッタに耳元でささやいた。


「エリック、ブリギッタ。わたしはクロードくんを守るよ」

「ソフィ姉」

「うん。わかってた」


 ローズマリーは、強いて聞き耳を立てるつもりはなかった。しかし、護身用のマジックアイテムが聞き取ったわずかな言葉は、彼女の疑問を氷解させた。

 クロードたちが立ち去るのを待って、彼女は馬車の傍らで今後について相談するハサネやブリギッタたちに近づいた。


「辺境伯様もたいへんね。ようやく腑に落ちた。この政略結婚を望んでいるのは、楽園使徒だけじゃなかった。ハサネさん、ブリギッタさん。貴方がたの目的は、婚姻を利用して彼をこの地にくくりつけることね」


 ハサネはシルクハットを脱いで腕に抱え、静かに笑みを浮かべた。

 ブリギッタは口元だけ笑みを浮かべたまま、眉を挑戦的に釣り上げた。

 ローズマリーは、クロードだけが気づかないまま、会議室で繰り広げられたおおよその暗闘を理解した。

 クロードには欲がない。あるいは、財宝や戦争が好きだという執着や、国家や名誉をこの手にという野心があれば別だったかもしれない。彼にあるのはこの地への愛情だけだ。つまり、唯一の志である邪竜ファヴニル打倒さえ果たしてしまえば、他の誰かがレーベンヒェルム領を導いても構わないのだ。


「所属する支持層の意見も、建前ではなく本心なのでしょう。けれど、それとは別にブリギッタさんとハサネさんは辺境伯様の婚姻を望み、エリックさんは不介入を決めた。アンセルさんとヨアヒムさんは反対、……本当に彼の味方だったのね」


 ローズマリーの見立てでは、隠された意図に当初レアは気づいていなかった。だからソフィが勢力に引きこんで、セイが前面に立って反対したというところだろう。アリスは性格上、クロードと同様に蚊帳の外だった可能性が高い。


「否定はしないわ。あたしたちは、彼に居て欲しいと思っているから」

「私の目的は実は達成されているのですけどね。先日までの辺境伯様は今以上に危うかった。明確な所帯を持てば、自壊衝動とでも言うべきものに歯止めがかかるのでは? と、余計な世話を焼こうとしたのですよ。……それで、ローズマリー嬢。貴女はこの後、どうなされるのです?」


 ブリギッタとハサネの問いに、ローズマリーは小さく息を吐いた。父母を失い、兄と慕った婚約者に裏切られて、ずっと被り続けていた仮面が苦笑と共にひび割れて散った。

 クローディアス・レーベンヒェルムを演じる少年は、クロードは決してこのレーベンヒェルム領を裏切るまい。そう信じることを彼女は決めた。


「協力するわ。辺境伯様を失ったらマラヤディヴァ国の損失よ。この領は彼とデモを通じた共同体という、他の領では絶対に出来ない両輪で回っている。今、そのかなえを失うわけにはいきません」


 ブリギッタが表情を緩めて右手を差し出す。ローズマリーが握りしめて固く握手を交わしたまさにその時、ハサネとエリックは異変に気がついた。

 ここは役所の裏手にある馬の繋ぎ場だ。職員も含めて人通りは少ないだろう。しかし、町のざわめきすら全く聞こえてこないなんてことは、いくらなんでも有り得ない。


「ブリギッタさん、ローズマリーさんっ。伏せて――」

「こんなところでお目見えとはなっ。第六位級契約神器ルーンシールド”雲垣”起動!」


 エリックが制服の下に着けた腕輪が輝き、山脈のかなた連なる雲の峰に似た障壁を生み出して仲間たちを守る。

 直後、複数のパイプ爆弾が破裂して金属片を撒き散らし、マスケットの銃弾が雨あられと降り注いだ。


「もうすぐ逢魔が時といえ、白昼堂々テロリストが役所に踏み込むか。この失態、降格だけじゃあすまないな」

「馬鹿な。領都の警戒網がこうも容易く破られる。……そんな真似ができるとすれば、殺戮人形メルダー・マリオネッテミズキか!? アンセルとヨアヒムは、先行して救援部隊を編成してください。辺境伯様が危ないっ」

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