第六部/第三章 師が巫女に遺した謎かけ
第482話(6-19)ネオジェネシス戦争の明暗
482
復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 花咲の月(四月)八日。
クロード達は、エングホルム領領都エンガを奪回した。
レーベンヒェルム辺境伯の影武者となり、ベナクレー丘で手痛い敗戦を経験してからおよそ一年と半年。今や彼は、押しも押されぬ国家の大黒柱として成長を遂げた。
クロードが天下分け目の決戦に勝利したとの知らせは、瞬く間にマラヤディヴァ国中を
「たぬたぬっ、クロード愛しているたぬっ♪」
北方のメーレンブルク領とグエンロック領の境界。ギブネ山脈で戦っていたアリス・ヤツフサは喜びのあまり、猫にもタヌキにも似た黄金色の獣姿で、しっぽをぶんぶん振り回しながら、鞠のように戦場を跳ね回った――。
「あははっ、こいつはたまげた。辺境伯は、たった三ヶ月でハインツ・リンデンベルクが守る無敵要塞線を突破して、あのイザボー・カルネウスが篭もったエングフレート要塞を陥落させたのかい? こいつは、ぼくも気張らないとねっ」
神官騎士オットー・アルテアンは、アリスが小躍りしながら敵を蹴散らす様を見守っていたが、やがて火の消えた紙タバコを携帯灰皿に放り込み、一万余の軍勢を率いて積極攻勢に出た――。
「獅子心中の虫だったハインツ・リンデンベルクはわかる。だけど、あのイザボー・カルネウスが敗北するなんて!?」
一方、守勢に回ったネオジェネシス北面軍は大きく動揺していた。
指揮官であるデルタもまた、エングホルム領陥落の報告を受けた衝撃で、父たる創造者ブロルからの預った大切な眼鏡を取り落とした。
幸いただの眼鏡ではなく、生命力を操る鎌へ変化する第六位級の契約神器だ。壊れることはなかったが、陣中に悲鳴のように甲高い音が響いた。
「デルタ、どうしたの?」
異音に気づいたデルタの姉チャーリーが、二房に分けた長い白髪をたなびかせ、タコとコウモリに似たぬいぐるみを抱きしめながら駆けつけた。
「何でもないよ、姉さん。いますぐにでも逆転してやる。それで、何もかも元通りだ」
デルタが虚勢を張っているのは明らかで、チャーリーはとても見ていられなかった。
「デルタ、もしも領都ユテスに戻りたいなら行っていいよ。少人数なら、確保した転移魔法陣だって使えるもの」
姉は弟の気持ちを察して、気丈にも背を押した。
「心配しないで。アリスちゃん達は、わたしがこの
デルタは、チャーリーの言葉に思わず鼻をすすった。本音を言うならば、すぐにでも父の元へ馳せ参じたかった。だが……。
「姉さん、それは出来ないよ」
デルタは奥歯を噛み締めながら、浅い呼吸を繰り返して、大切な眼鏡を掛け直した。
彼はギブネ山脈周辺の地図を広げて、羽ペンをインク壺にひたす。
「ぼくは、ずっと辺境伯様や姫将軍に憧れていた。ゴルト司令やイザボー隊長のように戦いたかった。でも、それは姉さん達を守りたいからだ」
デルタの周囲には、混乱する二万もの
「すでに戦争の大勢は決した。エングホルム領を失った今のぼくたちネオジェネシスに、メーレンブルク領とグエンロック領を維持する財貨も食料もない。けれどまだ、出来ることがあるはずだ。全力でユーツ領へ後退する」
「ぜったいに、もう一度パパや、みんなと、ご飯を食べようね。その時はきっと、アリスちゃんも一緒に」
デルタとチャーリーは、すぐさま部隊をまとめあげて後退を開始した。
しかし、山岳地帯を大軍で移動するのは、ネオジェネシスの卓抜した身体能力をもってしても困難だった――。
ほぼ同じ頃。
マラヤディヴァ国首都クランに程近い、ユングヴィ領の山岳地帯では、姫将軍セイが伝書鳩の足に結ばれた手紙を読むや、唐突に高笑いをあげた。
「ふふふ。はははは。あーっはっはっは」
「「ああっ、セイ司令がマズ飯の作りすぎでおかしくなったぞ!」」
参謀長ヨアヒムはよれたソフトモヒカンをかきむしり、出納長のアンセルはそばかすの浮いた頬を真っ青に染めて、慌てて奇行に走る上司へと駆け寄った。
「ま、マズ飯って言うなっ。愛情はたっぷりこめているんだぞ!」
「「愛情の有無で、飯の味は決まりません」」
「しくしく……」
セイは日頃の凛とした気配はどこへやら、容赦の無い正論に屈してさめざめと涙を流した。
「それで、総司令。首都から連絡があったようですが、いいニュースですか、悪いニュースですか? 辺境伯様がレアさんと結婚式でも挙げましたか?」
「おい、なんてことを言うんだ。リーダーが結婚するならソフィ姐だろ。ま、まさかアリスさんが抜け駆けしましたか!?」
「……おひ。お前達が私をどう見ているか、よくよくわかったよ」
セイは本気で食事をマズく作ってやろうかと思案しつつ、あまり差がないことに気づいてイラっときた。
深呼吸して気分を換え、たった今届いたばかりの朗報を鈴が鳴るような声で告げる。
「棟梁殿がエングフレート要塞を陥とし、領都エンガとエングホルム領を奪回した」
アンセルとヨアヒムは
「辺境伯様を信じた甲斐があった。勝った、勝ったぞっ」
「それでこそリーダー。我慢比べの日々ともおさらばだっ」
大同盟とネオジェネシスの戦争は、北部戦線が拮抗しているために、〝エングホルム領を制圧するか〟〝首都クランが陥落するか〟の競争となっていた。
クロード達が肥沃なエングホルム領を抑えれば、ネオジェネシスの戦争継続は困難となるが――。
もしもゴルトに首都クランを奪われていたならば、大同盟は国の象徴を奪われた上に、戦線が分断されて窮地に陥っていただろう――。
「薄い勝機だったが、棟梁殿は見事に掴んでくれた。昨年に負傷した兵士たちも続々と復帰して、もはや大同盟の勝利は揺るがない。参謀長、出納長、急いで軍を動かすぞ」
セイが頬を
アンセルとヨアヒムは、いったいぜんたいどういうことかと顔を見合わせた。
「「セイ司令、戦争はもう終わるんじゃないんですか?」」
「いいや、ゴルト・トイフェルは〝戦争を終わらせない〟よ。きっとファヴニルへの協力を続けるだろう。アイツの強さを尊敬するし、憧憬もする。だからこそ、いまここで
セイ率いる首都防衛軍は、昨年末の負傷から回復した将や兵士達を加えて前進を開始――。
大斧を背負って熊にまたがった偉丈夫ゴルト・トイフェルもまた、退路を捨てて応戦する――。
〝
「よい、よい。真っ向勝負と行こうじゃないか。ブロル・ハリアン、お主も悔いのない選択を!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます