第394話(5-32)デート作戦の第一歩

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 暦の上では仕事納めの翌日となる、復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 晩樹の月(一二月)二九日。

 クロードはエリック達の宴会に巻き込まれつつも、夜明けには仕事をやり遂げて、首都クランの大同盟主力部隊に定時連絡を入れた。

 しかし、水晶玉に映った総司令官セイと幹部アリスは、頬を風船みたいに膨らませながらスネていた。


「棟梁殿のいけずっ。私だっていちゃいちゃしたいのに」

「たぬとのデートも、忘れちゃ駄目たぬっ」


 昨夜、あれだけの大騒ぎになったのだ。

 そうなるだろうと覚悟はしていたが、やはり情報は回っていた。


「うん、ちゃんと埋め合わせするよ。セイ、アリス、ソフィ……皆に話したいことがあるんだ」

「やむを得ないか。棟梁殿と一番早く出会ったのは、レア殿だからな」

「たぬぅ。たぬは、いい子だからちゃんと待つたぬ」


 セイとアリスは、後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、水晶玉から離れていった。


「クロードくん、遅くまでお疲れ様」


 最後に水晶玉に映った、赤いおかっぱ髪の女執事は、労わるように微笑んでくれた。

 クロードとソフィは、国主グスタフの帰還などの要件について、しばらくの間打ち合わせを続けた。

 そして通信会議が終わる前に、クロードは告げた。


「ソフィ、ありがとう。僕は……生きるよ。君たちと一緒に」

「うんっ」


 言い切った時の、ソフィの向日葵のような笑顔を見て、背徳感と高揚に胸が痛んだ。

 クロードは、これまでファヴニルとの闘争で生き残るつもりはなかったし、生き残れるとも思っていなかった。

 結果、彼女達の好意に甘えたまま、ここまで答えを引き伸ばしていた。


「クロードくん、ありがとう。貴方がどんな道を選んでも、生きることを決めてくれた事が、わたしには一番嬉しい」


 ソフィの許しは、酩酊を感じるほどに甘く心地良かった。

 クロードは罪深さを自覚する。

 生きると決めた。しかしそれは、自らの意志で、強欲で不道徳な望みへ向かうことに他ならない。


「レアちゃんにも伝えてあげて。きっと、ずっと心配していたから」

「ああ、ちゃんと言葉にするよ。ソフィ、今度は直接会って話そう」

「うん、デート頑張ってね」


 別れの挨拶と共に水晶玉は暗くなり、通信は途切れた。


(ソフィ、背を押してくれたのか)


 クロードはボーの駆る馬車に乗って、領主館へと帰宅した。

 椰子のおいしげる街道を走り、砂浜を横切って、水堀に掛けられた跳ね橋を渡る。豪壮な門を抜けて城内に入り、城内の丘に設えられた長い階段を上る。

 いったいどれだけの時間、待たせていただろうか?

 朱鷺とき色の玄関扉の前では、懐かしい青髪の侍女が、赤い瞳に涙さえ浮かべて、彼を迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、領主さま」

「ただいま、レア」


――

――――


 クロードはひとまず湯を浴びて、レアが作ってくれた朝食を食べた。

 二人でテーブルに向き合って、こんがりと焼けたクロワッサンに、たっぷりのサラダ、ふわふわのオムレツ、じっくりと煮込まれたスープを味わう。

 クロードは久しぶりに味わうレアの料理に、頬が落ちるかと思った。

 ふと、遠雷が聞こえた。マラヤディヴァ国はもう雨季だ。窓の外の空は、瞬く間に暗雲で塗り潰されて、雨が降り始めた。


「領主さま、静かですね」

「アネッテさんとエステルちゃんも、年末で故郷に帰ってるんだっけ。テルとガルムは、国主様について貰ってるし、ボーさんにも休みを取ってもらったから……」

「はい。二人きりです」


 レアは食器を片付けながら頬をわずかに赤く染めた。クロードの心臓も高く波打つ。

 サアサアという微かな雨音が、館の中まで染み入ってくる。

 今日は喧しいエリック達も、走り回るアリスも、書を片手に唸るセイも、彼や彼女達を見守るソフィもいないのだ。


(僕とレアだけ。まるで恋人同士みたいじゃないか……)


 クロードは、沸き立つ心をなだめようとお茶をすする。

 通り雨か、あるいはスコール故か。激しい雨は、じきに前触れもなくあがった。

 厚い雲から射した木漏れ日が台所に射して、まるでスポットライトのようにレアへ光を当てた。

 好ましく思う少女が、エプロンドレスを着て食器を洗っている。

 たったそれだけのことが、無性に心を騒がせた。

 クロードは、まるで蜜に誘われるアリのようにテーブルを後にした。


(ドクンドクンって、鼓動の音がうるさい)


 仕事の邪魔をするなんて言語道断だ。

 けれど、なんとなく受け入れて貰える気がしたから――。

 クロードは、レアの背中を抱きしめた。


「領主さま?」


 レアは、嫌がってはいないようだ。

 彼女は食器を下ろして、クロードをかえりみた。ルビーのような瞳は濡れて、唇は桃色に艶めいていた。どこか甘い匂いに、頭と心が痺れた。


(ええい、ままよ。覚悟は決めただろう。直球勝負だ。〝レア、デートへいこう〟――これなら絶対間違わない!)


 クロードは、浅く息を吸ってレアを誘った。


「レア。雨もあがったみたいだし、一緒に街を見て歩かないか?」

「はい、国主様を迎える前準備ですね。領主さま、少しお待ちください。御供いたします」


 互いの息がふれる距離。

 レアは、耳元で囁くように応えてくれた。

 おおまかには、予定通りであると強弁できることだろう。


(あれ? どうしてこうなった。ひょっとして一歩目から間違えたあーっ)

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