第395話(5-33)〝二年後の〟外の世界
395
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 晩樹の月(一二月)二九日午前。
レーベンヒェルム辺境伯と筆頭侍女の二人は、お忍びのデートならぬ領内査察の為に、普段とは異なる衣装に身を包んだ。
クロードは三白眼を隠すサングラスをかけて、こざっぱりした麻のシャツと綿ズボンを身に付けた。レアもいつも着ているメイド服をやめて、ヘッドドレスの代わりに麦わら帽子を被り、ブラウスとフレアスカートに着替えている。
「レア。その服、可愛いよ」
「領主さまも、とてもお似合いです」
二人は玄関の前で互いを見るや、頬を染めてうつむいてしまう。
どうにも上手くいかなかった。レアも仕事着を脱いだせいか、いつものメイド然とした雰囲気が抜けていた。
「せっかくだから飛行自転車を使おうよ。あちこち見て回りたいからさ」
「は、はい。下準備は大切です。ちゃんと確かめておきましょう」
クロードは飛行自転車の天馬号にまたがり、レアは架台につけたシートに腰掛けた。
クロードの腰を抱くように、レアの両手が触れる。それだけでカッと熱が回り、多幸感と充足感で胸がいっぱいになった。
「レア、行こうか」
「はい。領主さま」
クロードはペダルを踏み込み、車輪とローダーが回る。
飛行自転車は、領主館から青空へと舞いあがり、景色が飛ぶように後ろへ流れていった。
(食事は済ませたばかりだし、駅前で買い物をするか、劇場や音楽館に足を運ぶか。このまま飛び続けたり、浜辺や公園を散策するのもいい。選択肢が多いのも困るなあ)
クロードは迷った。昨夜は宴会に巻き込まれたことで、詳細なデートプランを立てる時間がなかったからだ。
しかし、ここで幽霊姉弟達の
(そうか。二人で楽しむんだから、二人で決めればいいんだ。ドゥーエさんの姉弟達、ありがとう!)
クロードは、レアから伝わってくる熱に上気しながら、背後に声をかけた。
「レア、最初はどこに行きたい?」
「領主さま。国主様を案内するのなら、レーベンヒェルム領の特徴である
「……そうだね。あそこは外せないね」
残念ながら、やはり侍女には逢引ではなく仕事だと認識されているようだ。
(いいんだ。大事なのは建前じゃない。実質デートなら問題なし!)
ひとまず遺跡にほど近い空き地に着陸して、周囲を見渡した。
(ダンジョン周辺も、この二年間で賑やかになったな)
入口こそ『汝等、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と刻まれた、古い碑石が変わらず飾られているが――。
少し距離を置けば、見張り台といった軍の駐留施設が立ち並んでいる他、冒険者を相手に商いに励む
特に目立つのは、軒を並べる宿と酒場だろう。どこも呼び込みに必死で、お祭りでもあるのかと勘違いしそうになる。
「あれ? 二年前は、馬小屋が宿代わりに使われていなかったっけ?」
「はい。一時期は、ぶら下がり宿と並んで、馬小屋宿泊が持て
馬小屋宿泊とは、宿や店の馬小屋に干し藁を敷いて寝るという、安全衛生上問題の多い休息手段だった。
ぶら下がり宿に至ってはさらに悪い。壁と壁の間に綱を張って、半身をもたれさせて眠るのだ。
どちらも劣悪な環境であったが、低収入の冒険者や日雇い労働者に利用され、一時は領中に広がっていた。
「ですが、領主さまの改革以来、徐々に無くなりました。雇用と賃金が安定しましたから」
過去のレーベンヒェルム領民達が劣悪な宿泊施設を必要としたのは、非常識な低賃金で奴隷の如く外国企業で働くか、冒険者になって生命を切り売りするかの二択しかなかったことに起因する。
クロードがレーベンヒェルム領を
「そっか。案外、目に見えるものだね」
「領主さまが勝ち取った成果です。どうか胸を張ってください。私は貴方が誇らしい……」
クロードは、涙ぐむレアに手を握られて、感慨も何もかも真っ白になってしまった。
苦難の果てに、この地は外国の経済植民地から解放されて、法律も整備された。
ヘルムート・バーダーの如き非道な外国商人達はまとめて祖国の土に還り、パウル・カーンら穏健な外国商人と協調して、領の景気も劇的に向上した。
「レア達がいてくれたからだよ。僕一人だけじゃ何もできなかったさ」
「それでも、領主さまが始められたことです。貴方が戦ったからこそ、今があります」
結果、やむを得ず犯罪にはしる者もいなくなり、外国人がもたらす人身売買や薬物流通も劇的に減っていた。
「だって、あちらを見てください領主さま。あんなにも緑が広がっています」
「ああ、本当に。鍬を持ち出した頃が嘘のようだ」
特に変革の象徴とも言えるものが、かつての赤い荒野を埋め尽くすように広がる、緑の農園だ。
今はまだキャッサバやマメ類のような救荒作物が主力だが、空中栽培設備やガラスハウスが増えるにつれて、多種多様な農作物が収穫できることだろう。
クロードとレアは、自転車をつきながら並んで歩く。
最初は二人だけで始めた小さな変革は、いまや領を、そしてマラヤディヴァ国全土へと広がろうとしていた。
「……お二人さん、お幸せにな」
クロードとレアが、農園で採れた果物の販売店を覗いていると、ふと背後からそんな声が聞こえた。
(ドゥーエさん?)
しかし振り返った時には、彼の姿は何処にも無かった。
「領主さま、何かありましたか?」
「いいや何でもないよ、レア。この椰子の実ジュース、二人で飲まないか」
「はい。あちらの高台へ参りましょう。きっと風が心地良いですよ」
それは、二人がきっとずっと待ち焦がれていた、平穏で優しい一日だった。
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