第三部/第四章 悪徳貴族と神々の黄昏編
第247話(3-32)悪徳貴族と新しい家族
247
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 恵葉の月(六月)二七日。
クロードたちが住む領主館に、新しい家族が増えた。
今は亡きドクター・ビーストの娘であるショーコと、不可思議なカワウソである。
カワウソはルンダール遺跡で相対した怪物、オッテルの写し身にそっくりだったが、ショーコがクロードに耳打ちしてとりなした。
「魔力もたいして感じられないし、身体も小さいからきっと無害だわ。しばらく様子を見ましょう」
「そうだな。もう戦いは終わったんだ」
クロードたちは、アネッテ・ソーンの作った夕食でショーコ達の歓迎会を開いた後、客間でソファに座ってお茶とお菓子をつまみながらくつろいだ。
そこでアリスが、カワウソに名前をつけようと言いだしたのだ。
「可愛い名前にするたぬ。チェリーとか、ユズとかいいたぬっ」
「アリスちゃん、ベルとか、オーロラもかわいいよっ」
アリスとエステルは、代わる代わるカワウソを抱きしめながら、これもいいあれもいいと候補を挙げはじめた。
カワウソは両手に花でひっぱりだこにされて、きゅーきゅー鳴きながら御満悦そうだった。
クロードはほんの少しやっかんで、ソファから身を乗り出した。
「待ってくれ、アリス。エステル。そのカワウソはオスじゃないか。名前なら僕に任せてくれ」
クロードとしては、これみよがしに死亡を演出しておいて、ちゃっかり生き伸びていたオッテルに対する悪戯心もあった。
「よし。今日からお前は、ウッソーだ」
「きゅっ!?」
が、クロードがつけた名前を、カワウソはいたく気に入らなかったらしい。
彼はするりとエステルの腕から抜け出すと、対面のクロードに向かって
両前肢を顔の前に揃えたその姿は、まるでボクシングでいうところのビーカブースタイルだ。カワウソは客間に集まった一同が呆気にとられる中、軽やかなフットワークで一気に間合いを詰める。
「きゅ、きゅう」
「ま、まさか?」
電光一閃。クロードのガラ空きだった脇腹に、カワウソは強烈なボディブローをねじりこんだ。
その後も∞の字を描くように上半身を振りまわし、踊るように左右の連打を重ねる。フィニッシュは、ダウンした顎を狙っての強烈なアッパーカットだ。
クロードは白目をむいて天井ギリギリまで吹き飛ばされ、キリモミ回転しつつ頭からほぼ垂直にソファに落下した。客室用の高価なソファだけあって、ぶにょんという柔らかな音ですんだものの、そのまま逆立ち状態で床に崩れ落ちる。
「く、クロードくん。大丈夫?」
ソフィが慌てて杖を手に駆け寄って、レア、アリス、エステル、アネッテ、ショーコも続いた。
しかし派手なノックアウトにも関わらず、クロードには目立った怪我がなかった。
無事を察したアリスたちはため息をついて、再びカワウソを囲んで会話に花を咲かせはじめた。
「なるほど、男の子だからタロ? うーん、むずかしいたぬ」
「ニコとか、ケイトなんてどうかしら?」
「サニーっていうのもいいかも?」
「ジュゲムジュゲムっていうのはどうでしょう?」
ちょっと待ってと、グロッキー気味に起きあがったクロードは、衝撃のあまり咳き込みながら憤慨した。
きっと無害とは、いったい誰が言い出したことだろう? 魔力がなくても、身体が小さくても、たまたまかすり傷ですんだとしても。こんなパンチを放つ獣は、危険極まりないではないか。
「みんな、その反応はないんじゃないか……」
「たぬっ。変な名前をつけようとする方が悪いたぬ」
「クロードおにいちゃん、いやがることはやっちゃダメなんだよ」
「まあまあ、怪我もなかったし、怒っちゃ駄目。小動物のやることでしょう。さっきの見た? カワウソが立って歩くなんて珍しいわね」
「クロードには、芸術性が足りないわ」
残念ながら、女性陣の反応は取りつく島もなかった。
クロードは、ソフィに膝枕されて治療を受けながら、ハラハラと涙をこぼした。
一方のカワウソは、ザマを見ろとばかりにふんぞりかえったのだが――。
次の瞬間。いつの間にか気配を消していた侍女のレアが、むんずとカワウソの首を掴み取った。
「きゅ? きゅきゅ?」
「尻尾が輝いて見えるから、名前はテルにしましょう」
「みゃう!」
どうやらお気に召したらしい。カワウソはよく通る声で鳴いた。
そうして感謝とばかりに片目を瞑り、恐怖のあまり凍りついた。
レアの赤い目は笑っていなかった。むしろ憤怒のあまりぐつぐつと煮えたっていた。
「きゅ、きゅう」
「いいですか、テル。領主さまは私の主です。もしも次に手をあげようものなら、……カワウソ鍋にしますよ」
「きゅうう!?」
テルは手足をばたつかせながら、きゅんきゅん鳴いて抗議した。
「食べられないって、何を言っているのですか。私、野外料理にも慣れていますから。野に住む獣も根菜と煮込んだら美味しいんです。臭みは香辛料とハーブで消しましょう。脳みそは塩ゆでにしましょうか」
テルだけでなく、その場の誰もが理解した。
レアはやる。やると言ったらやる。これ以上彼女を怒らせたら、間違いなくテルをカワウソ鍋にしてしまう。
「みゃあ」
テルは降参とばかりに、四肢の力を抜いてレアに腹をみせた。
「ゆめ忘れぬように。テルさん」
「みゃあ、みゃぁ」
テルをしつけたレアは、なぜか輪になって平伏しているアリスたちから目を離して、クロードを診ようと歩きだした。
「?」
レアの足が唐突に止まる。
クロードは、ソフィの膝上で治癒魔法を受けながら、だらしなく鼻の下を伸ばしていた。
けれど違う。クロードではない。その時レアの目に映っていたものは、ソフィが治療に用いた一本の杖だった。
「ソフィさん、その杖は――」
「レアちゃん。これは、ルンダールの遺跡で見つけたの。みずちって言って、ササクラ先生の形見なんだ」
「そうですか……」
杖を見つめるレアの顔は、いつものポーカーフェイスが崩れて、様々な情念が入り混じった複雑なものだった。
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