第二部/最終章 意志は自ら願うに非ざれば決して滅びず

第196話(2-149)悪徳貴族と楽園使徒代表

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)三一日朝。

 楽園使徒アパスル代表であるアルフォンス・ラインマイヤーは、レーベンヒェルム領との婚姻同盟締結を控え、会場に近いブーネイ国の最高級ホテルのスイートルームに宿泊していた。

 娼婦たちを抱いて一晩中乱痴気騒ぎに興じた彼は、酒毒が回った酔いどれの頭で今日が調印の日であることを思い出し、狂喜に顔を歪ませてベッドから飛び出した。

 部屋にいるのは、今アルフォンス一人だけだ。だから彼は素っ裸のまま甲高い声で叫んだ。 


「ひゃひ、ひゃひひひっ。今日から俺が、俺サマが王だぁあっ!」


 アルフォンスは迎え酒とばかりにサイドボードに置かれた蒸留酒を瓶ごと掴み、喉へと流し込んだ。

 少しでも興奮を冷まそうと煙草をふかして一服すると、汚れ散らかした机の隅に共和国から貸し与えられた貴重な通信用魔術端末が転がっているのが見えた。

 端末には受信を告げる光が灯っていたが、彼は無視した。

 待ち望んだ栄光の日だ。部下からのつまらない報告に時間を割いてなどいられない。


「俺サマは、今日、共和国を後ろ盾にルクレ領とソーン領の支配者となる。次は緋色革命軍マラヤ・エカルラートとレーベンヒェルム領を潰し合わせて、マラヤディヴァ国を手に入れる。いずれは、西部連邦人民共和国さえもこの手の中だ!」


 アルフォンスは金色に輝く高級酒を頭から浴びて、ゲラゲラと高らかに笑う。


「複数の勢力を手玉に取る多方面外交。世界最高の知恵者たる俺サマにしか為し得ない、デンジャラスでクールな戦略じゃないか!」


 西部連邦人民共和国によって組織された楽園使徒の代表は、空になった空き瓶をテーブルに叩きつけて喝采かっさいをあげた。


「そうさ。ヤツらとは、頭の出来が違うんだっ。ダヴィッド・リードホルム、お前の腹心であるレベッカは俺サマにベタ惚れだ。クローディアス・レーベンヒェルム、貴様の新妻は俺サマが奴隷支配の焼き印を刻んである。ぐひゃははっ、知らないだろう。悔しいだろう。お前たちはじきに俺サマの靴を舐めるんだよぉおおっ!」


 客観的な事実はどうあれ、アルフォンスの目に世界はそのように映っていた。

 彼はひとしきり笑ったあと、香水を山ほど自身に振りかけて、バスローブをまとって部屋を出た。


――――

――――――


 同日、午前。

 モーニングスーツを着たクロードは、ホテルの会議室で立会人となるブーネイ国の高官と共にアルフォンスを待っていた。

 外交担当のブリギッタと、公安情報部のハサネを筆頭とするレーベンヒェルム領使節団は、楽園使徒の到着が遅れたせいか、はたまたクロードの無茶ぶりが原因か、神経をぴりぴりと尖らせていた。

 やがて楽園使徒が入室したのだが、その瞬間、北極の風が吹き付けたかのように部屋の空気が凍りついた。


「あぁん? なんか文句でもあるのかよ?」


 アルフォンスは、山のような金ぴかのアクセサリで着飾ったバスローブ姿で現れた。

 彼に付き添う部下も、大半がおよそ愚連隊ぐれんたいかチンピラかといった不似合いな服装を着た老いた荒くれ者たちだ。

 これまでレーベンヒェルム領との交渉を担当していたのだろう数名の文官だけが、ちゃんとしたスーツを着て青白い顔でうつむいていた。


「いや、会うことができて嬉しいよ。アルフォンス・ラインマイヤー、僕がクローディアス・レーベンヒェルムだ」

「はっ。辺境伯様よお。まるでもやしみたいな格好だなあ。笑っちまうぜ。なあ、みんな!」


 下品な声で大笑いする楽園使徒を見かねたか、ホストであるブーネイ国高官がいさめようとしたが、クロードが制止した。


「見ての通り、なかなか筋肉がつかなくてね。僕の弱点だ」

「おおう。身の程ってのをよくわかってるじゃん、へんきょうはくさまぁ? うひひっ」


 クロードは、アルフォンスの煽りにも動じなかった。

 なぜなら、この時彼の心は申し訳なさでいっぱいになっていたからだ。


(ごめん、レア。君の真心が、言葉ではなく心で理解できた。ヴァリン公爵、ユングヴィ大公、十賢家の会合で庇ってくれてありがとうございました)


 過去を振り返れば、クロードも大概に服装でやんちゃしている。


『やったね、ハサネさん。辺境伯様が改心しているみたいだよ!』

『ああ、我が神よ。私はモーレツに感動しています』


 ブリギッタとハサネが身ぶり手ぶりの符丁でそんなことを話していたため、思わずいらっとしたが奥歯を噛みしめて我慢する。

 クロードとアルフォンスはそれぞれの席を離れ、会議室壇上の同盟誓書が置かれた台を前に向き合った。


「エステルちゃんとアネッテさんはどこにいる? 今日は同席するという約束だったはずだ」

「そんなにがっつくなよ辺境伯様。幼児と中古女をそんなに喰いたいか? 体調不良だとよ。数日以内にはちゃんと送る」


 業腹なことに、奥歯を噛みしめていて正解だったと唇を強く結んだ。

 

「さあ、辺境伯様、署名しよう。レーベンヒェルム領は楽園使徒を認め、これまでの非礼と不当な弾圧を詫びて、西部連邦人民共和国の正義を実現する為に協力する。これで平和になるんだ」

「そうか。断る」


 クロードは、アルフォンスが署名した同盟誓書を受け取って、その場で微塵みじんに引き裂いた。

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