第30話 過去(かこ)と寡虎(かこ)
30
僕は、未だに自分の本当の名前がわからない。
これまで思い出した記憶には、当然イイモノもあれば、ワルイモノもある。
たとえば、中学三年の時、いじめにあった。
いじめられていた同級生の女の子を見逃せず、いじめっこに突っかかったのだ。
結果、あれよあれよとスクールカーストの最下層、彼女と同じいじめられっこに転落だ。
無視されるのは日常茶飯事で、私物を隠されたことも何回か、陰口を叩かれたことは数知れず。隠れて暴行を受けたことだって一度や二度じゃ無い。
(助けに入ったことはいいんだ。後悔なんてしちゃいない……)
悔いがあるのは、どうしてもっとスマートにできなかったのかだ。
力の無い僕には、その子を本当の意味で助けることはできなかった。
ただ逃げ出すために二人で頑張って勉強して、地元からそこそこ離れた場所にある進学校に入学した。
高校に入学してからは、必死で目立たないように努力した。
空気を演じる。目立たない石ころに徹する。群像の中に入り込んで、影のように溶け込む。
一緒に合格した彼女は、僕とはまるで正反対に社交家になったから、顔を合わせづらくなってそれきりだ。
(関わっちゃいけない。ひとりがいい。一人は気楽だ)
他人と顔を合わすのが辛かった。他人と話すのが億劫(おっくう)だった。他人と同じ時間を過ごすのが嫌だった。
なぜなら、他人は、腹の底で何を考えているかわからないから。
昨日まで笑ってたヤツが、明日には平気で此方を踏みつけてくるから。
嘘をつき、嘘とわかってなお同調し、後ろから殴りかかり、馬乗りになって平然とうそぶく。
ボクたちは、なにも間違ったことはしていない。
(だから、ひとりで、ずっとひとりがいいって、そう思ってたのに)
校舎一番端の便所から、上着に弁当箱を隠して出た途端、待ち伏せていた二年の先輩にトッ捕まった。
「見つけたぞ。俺にはお前が必要だ。演劇部に入ってくれ!」
ほんっとうに、あの日、あの時、あの場所で、あの部長(バカ)に出会ってしまったのが、運の尽きだった。
キツイ拒絶ものれんに腕押し、スッポンじみた部長の熱意にほだされて、部室に連れ込まれたが最後――。そこに居たのは彼女と、変人ぞろいの先輩たちだった――。
機関砲のようにボケたおす先輩たちに、ツッコミ祭りで踊り狂ったあとに、僕は気がついてしまった。
(他人と顔を合わすのが辛くても、他人と話すのが億劫(おっくう)でも、他人と同じ時間を過ごすのが嫌でも……)
空気を演じる? 目立たない石ころに徹する? 群像の中に入り込んで 、影のように溶け込む?
(心のままに振る舞う方が、ずっと楽しいって!)
こうして、新しい同類(ぶいん)が、めでたく誕生。
僕は、これまでの演技をかなぐり捨てて、いつの間にか自分に正直に生きていた。
相変わらず人と関わるのが苦手で、彼女や先輩達への劣等感にはいつだって苛まれたけれど、もう他人の目なんて気にならなかった。なぜなら……。
(僕が生きる、僕が演じる僕は、ここにいる!)
――
―――
「……ゆめ、か」
復興暦一一○九年/共和国暦一○○三年 晩樹の月(一二月)九日午後。
マラヤディヴァ国レーベンヒェルム領辺境の古代遺跡、地下四階の玄室で休息をとっていたクロードは目を覚ました。
近くには、毛布にくるまって眠るイスカと、正座したまま直立不動で寝息を立てるレアの姿があった。
「クロード様。うなされていたよ。悪い夢でも見たの?」
見張り当番のソフィが、心配そうにクロードの顔を覗き込んでいる。
「悪い夢? いいや、懐かしい夢だったよ」
過去の経験があったからこそ、自分は今ここにいる、と、クロードは素直に受け入れられた。
(そうか。僕は、やっぱりあの
仲間たちの安否はまるでわからない。
だが、クロードは信じていた。あの規格外の変人たちが、殺したって死ぬはずがない。
生きていれば、いつか必ず逢える、と。
「クロード様、出発までは、まだ時間があるよ。もう少しゆっくりしよう」
「うん 。そうだね」
ソフィが水筒から注いでくれたお茶を飲みながら、クロードは、この世界で初めて目覚めた時を思い出した。
あの時は、悪魔のようなファヴニルと二人きりだった。あれから2ヶ月間、必死で生き延びて、今、再び同じ古代遺跡を歩いている。
得たものがあった。失われたものもあった。
それでも過去は今へと続き、明日へと向かって伸びてゆく。
「ねえ、ソフィ。ソフィの薙刀は、ササクラって人に習ったんだよね。いったいどんな人だったんだ?」
ソフィは息を飲んで、ほんの少しだけ微笑むと、クロードの隣に座って話し始めた。
「ちょっとだけ、クロード様に似てたかな」
(それはないだろ。でも同じ世界、同じ祖国の日本人だし、髪や瞳の色は似てるのかな……)
「シンジロウ・ササクラ様。イシディア法王国に住んでいた人で、何十年も前にまったく別の世界からやってきたんだって」
ソフィによると、詳細は不明だが、なんらかの第三位級契約神器と契約を交わした盟約者で、カタナという独特の剣を使う凄まじい達人だったという。
(男装先輩のお祖父さんがやってた道場が、分家の分家のそのまた傍流だったっけ? あの先輩が、本家でも不世出の天才と謳われた人だって言ってたんだ。そりゃあ、強いだろう……)
クロードは、ソフィの言葉に誘われるように、いくつかの失われていた記憶を取り戻した。
佐々鞍真二郎。第二次世界大戦中に満州で戦死したとされる、佐々鞍流古武術を伝える宗家の跡取りだ。
何の因果か、自分たちと同様にこの世界に招かれた彼が、いったいどのような足跡を残したのか、知りたかった。
「クロード様にとっては敵だったと思うけど、わたしの両親は、カロリナ様と同じ、湖と龍神を祭っていた、小さな社の宮司と巫女だったんだ。でも、いつの間にか外国の人に乗っ取られて、追い出されちゃったみたい」
生きるために
そして五年前、そんな両親を頼ってこの地方を訪れたのが、ササクラだという。
「ササクラ様は、何かを探していたみたいだけど、結局見つからなかったんだって。わたしは、彼にせがんで教えてもらったんだ。薙刀の使い方とか、素手で身を守る方法とか」
なんとなく、クロードは理由がわかった気がした。
幼かったソフィは、それでも父と母を守ろうと、強くなるすべを求めていたのではないか?
佐々鞍真二郎もまた、己の余命が少ないことを自覚していたらしい。半年間、まるで生きた証を残すかのように、みっちりと佐々鞍流の薙刀術と護身術をソフィに伝え、イシディア国へと帰っていったという。
ササクラとの思い出を話すソフィは、楽しそうだった。だからクロードもまた、出発までの短い間、心安らぐ時間を過ごすことができた。
☆
同日、夕刻。地下五階到達。
クロード達は、破損した奇妙な
おそらくは千年以上前の建立物で、半ば崩れていたことから、ソフィとイスカには解読出来ず、クロードの翻訳魔術でも読解できたのはわずかに一文だけだった。
「ここに ぼうりゅうファヴニルと かじレギンをふうじる このきょうだいのねむりをさまたげることなかれ」
どういう意味かと、クロード達は頭を悩ませた。
「ここに書かれてるファヴニルは、あのファヴニルだよな」
「うん。間違いないよ」
ソフィが頷いて、レアが補足した。
「レーベンヒェルム辺境伯家は、およそ百年前にファヴニルを掘り起こし盟約を結んだ。そう、先輩のメイドから伺っています」
「じゃあ、レギンって誰だ?」
この世界が地球の北欧神話に近い伝説を受け継いでいるのは、クロードだって理解している。
(部長はアレで、オカルト大好き痴女先輩や、文学が大好きなもうひとりの三年先輩とも、話があったんだよな。各地の神話とか、マザーグースとか、普通に喋ってたし)
残念ながら、クロードはその手の話にそこまで興味がなかったため、細部になるとさすがにわからなかった。
「クロード様。レギンは、原初神話でファヴニルの弟だった人だよ。お兄さんと仲が悪くて、シグルズって英雄を唆して、倒そうとするんだ」
(シグルズ? ああ、アンドヴァリの指輪を得た英雄。
さすがに、シグルズの名前は知っている。
北欧神話で王の中の王、勇者の中の勇者と歌われて、ファヴニルを討ち果たした男の名前だ。
「レギンは、
レアが嫌悪もあらわに、レギンという鍛冶について言葉を重ねた。
「……そんな役名を名乗る輩など、ろくなものではないでしょう。領主様、どうかそのような悪しき名は、お忘れください」
「待ってくれ、レア。契約神器が名乗るのは、神話の役名だろう? 悪役を演じたから、役者も悪人に違いない。なんて、そんな無茶苦茶な話はない」
クロードが、ファヴニルを討ち倒そうとするのは、
仮に、あの
逆に言えば、どんな悪しき役名を冠しようと、その性質が善であるならば、手を取り合うことだって出来るのだ。
「こいつは大発見だぞ! もしも、この古代遺跡に、ファヴニル以外の第三位級契約神器が眠っているのなら、あいつを倒すことだって夢じゃなくなるっ」
「そうだね。会ってみたら、案外いいひとかもしれないねっ」
「――ンっ」
クロードは満面の笑みではしゃぎ、ソフィとイスカも嬉しそうに微笑んでいたが、レアは瞳を伏せて佇むだけだった。
「でも、レギンの調査はまた今度だ。今日は、あの虎をなんとしても仲間に引き入れる」
あの大型虎の、冒険者や兵士が束になっても叶わない戦闘力と、威圧感溢れる黒い毛並みは、きっとレーベンヒェルム領の心強い抑止力となってくれるだろう。
押し寄せる怪物を主にイスカが射倒しながら、クロードたちは地下五階を探索し、遂に黒虎がいると思わしきフロアを発見した。
金属扉の隙間から聞こえる小さな唸り声と、微かに漂ってくる獣の匂い。間違いは――ない。
クロードは、レア、ソフィ、イスカと目配せして、扉を押し開けた。
「たぬ?」
人工物めいた大部屋の中にたったひとり、傷だらけで伏せる黒い虎が、かつての自分と重なった。
ああ、ひょっとしたら、自信満々そうに見えた部長も、本当はいっぱいいっぱいだったのかもしれない。
そんな共感を覚えながら、クロードは握手を求めるように、右手を差し出して叫んだ。
「見つけたぞ。僕にはお前が必要だ。どうか仲間になってくれ!」
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