第31話 悪徳貴族、大虎を誘惑す

31


「見つけたぞ。僕にはお前が必要だ。どうか仲間になってくれ!」


 満身創痍の黒い虎は、出会い頭にわけのわからない事を叫ぶ猫背の少年おにくを見て、歓喜にうち震えながら全長五メルカに達する巨躯をゆっくりと持ち上げた。


「食料が自分からやってくるなんて、たぬはツイてるたぬ。飛んで火に入るカモネギたぬ」


 理由は忘れてしまったけど、虎は酷い怪我を負っていた。

 血が足りない。肉が足りない。何より、命が足りない。

 感謝の気持ちを込めて、かじりつこうとして――。


「ああ、存分に食ってくれ」


 少年が、鼻先に美味しそうなお弁当を出して来たので、空腹のあまりそちらから食べ始めてしまった。


「美味しいたぬ。絶品たぬっ。こんな旨いものがこの世にあったぬか!?」

「それは貴重な牛を使ったハンバーガーと、シメ鯖のサンドイッチだ。レアとソフィが作ってくれる手料理は、どれもこれも絶品なんだ。僕の仲間になってくれれば、食べ放題だぞ?」

「た、食べ放題たぬか?」


 黒い虎は、ジューシーなハンバーガーと蕩けそうなサンドイッチに興奮し、つぶらな目を輝かせながら頷こうとして……踏みとどまった。


「しょ、食料がなにを言っているたぬ。嫌な予感がするたぬよ。きっと油断させるつもりたぬ。人間なんて、人間なんて大嫌いっ。食料らしく、悲鳴をあげてお肉に変わるたぬ!」


 黒い虎は、右前足の肉球で撫でるように、猫背の少年を小突いた。

 人間の身体は脆い。ほんの少し力を入れただけで、ふたつにちぎれて弾けとぶことを虎は知っていた。

 案の定、少年は勢いよく吹き飛んで、ゴミの山に衝突してバウンドし、宙返りのあとに受身をもとれずに床へ叩きつけられ、蛙のような悲鳴をあげた。


「ちょろいもんたぬ。……あれ?」


 そう、少年は悲鳴をあげただけだ。真っ二つになってないし、死んでもいない。


「お前、ただの食糧じゃないたぬか?」

「クローディアス・レーベンヒェルムだ。虎よ、どうか、僕の仲間になってくれ!」

「嫌たぬっ!」



「こんな汚れた場所にいちゃ、身体にも良くない。僕が今いる屋敷は広いから、ゆっくりお湯にだって浸かれるぞ。あったかい布団で寝るのは気持ちいいぞ」

「知らないたぬっ。ハッ。さてはスケベなじいちゃんがばあちゃんを孕ませたように、寝ているところでえっちなことをするつもりたぬ? 死んじゃえ! 」

「げふっ。さ、さすが異世界、睡眠中に交尾を迫るなんて、アグレッシブな虎がいるんだな……」


 クロードに説得は任せてくれと頼まれて、扉の隙間から部屋の様子を伺っていたソフィ、レア、イスカだが、交渉は難航しているようだった。

 黒い虎は、まるで赤子や犬猫がぬいぐるみで遊ぶように、クロードを殴り、投げつけ、かじりつく。

 ファヴニルの力を身の守りに引き出して、どうにか無傷で耐えているものの、今にも鮮血を噴出して事切れてしまいそうだ。


「も、もう見てられないよ。わたしも説得に参加する」


 我慢できずに飛び出そうとしたソフィだが、レアとイスカに両手を掴まれ、阻まれてしまった。


「だめだよ、ソフィおねえちゃん。パパはいってた。ナンパはいつだって、いのちがけだって」

「イスカちゃん、それはおかしいからね。じゃなくてっ」


 ソフィはどうにか逃れようとするものの、イスカの抑える場所と力の入れ具合が絶妙で、振りほどけない。


「ソフィさん、領主様に任せましょう。私は、領主様を信じます」

「とらさんについてた、へんなほうせきはこわした。クロードおにいちゃんなら、だいじょぶ。ぱぱは、いつだってしんじてたもの」

「で、でも」


 ソフィには、ニーダル・ゲレーゲンハイトが、なぜそこまでクロードを高くかっているのかわからない。

 けれど、まるで祈るように、手のひらを固く握り締めて耐えるレアを見ると、部屋の中に割って入ることはできなかった。


「クロードくん……」


 中では、相変わらずクロードが虎にふっ飛ばされて、それでも壊れた機材やゴミの中から這い出て、懸命の説得を続けていた。


「しつこいたぬ。どうして反撃しないたぬ? 弱すぎて涙が出るたぬよ?」

「弱いのは重々承知している。だから、虎よ、僕にはお前の力が必要なんだ」

「そんなこと言って、ペットにしたいとか、調教とかいって殴るたぬ?」

「僕は、お前に仲間になって欲しいだけだ」


 クロードの言葉に、虎は黒い毛を逆立てて威嚇いかくする。


「仲間? 色んなことを忘れちゃったけど、これだけは覚えているたぬ。人間は敵だ。人間を滅ぼすために、たぬは生まれたぬ!」


 クロードは、虎のつぶらな金色の目を見た。

 怯えていた。恐れていた。憎んでいた。怒っていた。

 どんな世界から招かれたのかわからないが、きっと虎は人間と敵対していたのだろう。


「人間は殺す。何度殺されても、何度だって蘇って、殺して、殺して、食ってやるたぬ!」

「お前はそれでいいのか? 聞こえたぞ、ひとりぼっちで死にたくないって、お前外で叫んでたじゃないか?」


 右手を差し出して、クロードは再び一歩、また一歩と虎に向かって歩いてゆく。


「戦って、戦って、たったひとりで死んでゆく。そんな生き方、あまりに寂しいだろうっ」


 どんなに他人が疎ましくても、どんなに人間関係が煩わしくても、どんなに集団の中で息が詰まりそうになっても。それでも、孤独は――寂しいのだ。

 だから、クロードは手を伸ばす。今、この虎を説き伏せられる者がいるとすれば、それは自分以外にないと知っていたから。


「お前は人間だっ。たぬとは違うたぬ」

「それでも、言葉を交わすことはできる」

「言葉が通じただけで仲良くなれるなら、ばーちゃんやかあちゃんは苦しまなかったぬ!」


 そんなこと、クロードだって、痛いほどに知っている。

 言葉が通じても、わかりあえるとは限らない。手を取り合えるなんて限らない。

 人の命や心を弄ぶファヴニルとわかりあえるか? イデオロギーのために、平気で人を殺し、町や農園を焼き、女子供を売り飛ばそうとしたテロリスト達とはどうだ?


(でも、目の前の虎は違う。見知らぬ世界で、身を守るために戦っただけだ。それを責めるなんて僕にはできない)


 少なくとも、法に照らして、虎はまだこの世界でまだ誰も殺めてはいない。


「それでも、僕はお前と仲良くなりたい。殺したり殺されたりじゃない、楽しい時間を、まだ見たことのない思い出を、お前と作ってみたい」


 虎は目を逸らした。床を大きく蹴って、後方へと距離をとる。


「お話にならないたぬ」


 虎は、ゆっくりと前足を交差して、衝撃波を生み出し、同時に後ろ足を蹴って疾駆した。

 衝撃波と、虎が目指す先はわずかに開いた扉、レア達がいる場所だ――。


「よせぇええっ」


 クロードは魔術文字を綴って、扉の前に土の盾を展開、ありったけの魔力を足に注いで跳躍、虎の横っ面を思い切り殴りつけた。

 まるで制御されていない魔力が爆発し、虎は先程までのクロードのように放物線を描いて吹き飛び、ジャンク材の中へと落下した。


(駄目なのか? 戦うしかないっていうのか)


 クロードの顔が、絶望に曇った瞬間。


「ふんっ。これで、おあいこたぬ」


 黒い虎は、頬をわずかに腫らした以外はさしたるケガもなく、金属部品をまき散らして這い出てきた。


「一方的に殴っておいて仲良くなるなんて、おかしいたぬ。でも、殴り合ったなら対等たぬよ」


 その口調には、先程までの敵意は、もう宿っていなくて――。


「一回だけ信じてやる。人間、お前が裏切るその時まで、たぬは、お前の味方になってやる。他の人間は食べてもいいたぬか?」


 ちょっとだけ猟奇的な申し出にも、邪気は感じられなかった。


「それは困る。三食おやつ付きじゃ駄目か?」

「夜食もつけるたぬ」


 クロードは虎に向かって歩き、虎もまたクロードに向かって進んだ。


「心得た。メシなら腹いっぱい食べてくれ」

「期待してるたぬ」


 クロードは右手を差し出して、虎は肉球のついた大きな手の先を、ちょんとのせた。


「さあ、どこへなりと連れてけたぬ。”獣変化”(メタモルフォーゼ)解除」


 ぼふん、という気の抜けた音がして、五mはあろう巨体が、黒い霧につつまれるやいっきに縮んだ。

 サイズは中型犬と同じ五〇cmセントメルカほど、どことなく猫やたぬきに似た、黄金色のもさもさした毛並みが可愛らしい、ぬいぐるみじみた獣がそこにいた。


「えええええええっ」

「どうしたぬ?」


 虎? の問いかけにクロードは狼狽する。

 どうしたもこうしたもなかった。なんだこの可愛らしい生き物は?


「さっきの、さっきの格好に、もう一度なってくれないか?」

「嫌たぬ。疲れるたぬ。もう歩けないから、優しく背負って運ぶたぬよ?」

「背負うのは、いいんだが」


 クロードは、背中に一筋汗をかいた。

 もともと、虎を仲間に招こうとしたのは、領の抑止力を担ってもらうためだった。

 黒い虎ならいざ知らず、このぬいぐるみじゃあ、威圧感ゼロじゃないか?


「ま、まあ、いっか。僕はクローディアス・レーベンヒェルム。君の名前は?」

「忘れたぬ。人間じゃないから、どうでもいいたぬ」

「そんなことはない。名前は大切なものだ。僕から、友情の証に名前を贈ろう。君の名前は――たぬ吉げほぁっ」


 言い終わる前に、たぬ吉? は、強烈な頭突きをクロードの腹に見舞った。


「その名前だけは、絶対に嫌たぬ」

「な、なんで、すごく、にあう、のに」

「かわいくないたぬ。ずぇったいにお断りたぬ」

「そ、そんな」


 どうのこうの揉めているうちに、説得が終わったと見たのだろう、レアとソフィ、イスカが扉を開いて駆けつけてきた。


「領主様、ご無事ですか?」

「クロードくん、怪我はない?」

「あ、ああ…さ、げほっ」


 ほんの先ほどまでは無事だったが、今クロードは呼吸困難で、返事をするのも困難だった。


「ねえ、とらさん。あなたのおなまえは、アリス。アリス・ヤツフサでどうかな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます