第71話(2-29)出立準備

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 復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)二日。

 クロードは、暫定役所執務室にエリック達、レーベンヒェルム領役所の主要メンバーを招集、緋色革命軍マラヤ・エカルラートに対抗するための、抵抗軍レジスタンス組織計画を打ち明けた。

 旧エングホルム領に潜入するのは、クロードを筆頭に、謹慎を命じられたソフィ、アンセル、ヨアヒムの三名。更に、元オーニータウン守備隊員を含む選りすぐりの精鋭百名が同行し、約半年間の政治空白と引き換えに反攻のための橋頭堡きょうとうほを築くという作戦だった。

 切りそろえられたトウモロコシ色の髪の下、そばかすの浮いた頬に冷や汗をかきながら、アンセルは緑の瞳を泳がせた。


「辺境伯様。つまり、ぼくたちの謹慎というのは」

「建前だ」


 薄い胸板をそらせて、堂々と宣言するクロードに、ヨアヒムは朽葉色のソフトモヒカンをかきむしり、青錆色の瞳を両のてのひらで覆った。


「なぁんだ、心配して損した。って、余計酷いじゃないですか? 十賢家のお偉方からは、今は動くなって釘を刺されたんでしょう!」

「なにを言ってるんだ、ヨアヒム。レーベンヒェルム領軍は動かない。これはあくまでも有志による義勇軍だよ」

「辺境伯様が堂々率いて、参謀長と精鋭が同行する義勇軍って何なんすかね?」

「この世には、似た人が三人いるって話じゃないか。偶然って恐いね」

「凄い理屈だぁぁっ……!」


 クロードの知る限り、地球史上においても、日中戦争時におけるクレア・リー・シェンノートが指揮するフライング・タイガース部隊やら、朝鮮戦争における彭徳懐ポン・ドーファイが率いる中国人民志願軍やら、「そんなバレバレの義勇軍があるか」といった例は、枚挙にいとまがない。

 某国の兵器で武装した、某国の軍事訓練を受けた某国人、あるいは某国からの移民ですが、親某国派の民兵であって、某国とは関係ありません!――こういった露骨な詭弁は、恐ろしいことに二一世紀になってすら通用している。


「ヨアヒム、辺境伯様の言うことがぶっとんでるのはいつものことだろ。領警察は、エングホルム領から押し寄せてくる難民の対処で手一杯だ。原因を元から断つって言うなら、俺はこの作戦に賛成する」

「アタシもエリックに賛成よ。今のままじゃ、緋色革命政府マラヤ・エカルラートは本気で国を割るつもりでしょう。マラヤ海峡にあんな無法地帯が出来てみなさい、交通も交易もままならなくなるわよ。最悪の場合、それを口実に共和国やアメリア、ルーシアあたりが介入してくるわ。アタシは、アタシが生まれたマラヤディヴァという国が、代理戦争に巻き込まれるのなんてまっぴらごめんなの」


 黒髪黒眼の領警察隊長エリックが鍛えられた両腕を組んで賛成し、外交折衝担当官のブリギッタ・カーンも、山吹色の髪に気合をみなぎらせ、灰色の瞳に確かな決意をこめて恋人に続いた。


「緋色革命軍は、すでに共和国の支援を受けていますよ」


 そう断言したのは、短く刈った白髪と浅黒い肌が印象的な、この場における唯一の大人、ハサネ・イスマイール公安情報部長だ。


「潜入させた間諜スパイが武器の供給を確認しています。共和国の目的は、マラヤ海峡周辺の南海航路を制圧し、制海権を確立することでしょう。そのために、レーベンヒェルム領を支配下に置こうとして失敗したから、次はエングホルム領……。節操のないことです」

「ブリギッタ殿、ハサネ殿。私は政治に疎い。もしも西部連邦人民共和国が、この南海域の覇権を握ればどうなる?」


 薄墨色の髪をひとつにまとめ、総髪に結わえた領軍総司令セイが、葡萄えび色の瞳に強い炎を宿して問いかけた。


「軽いところじゃ通行料を巻き上げて、悪ければ臨検の実施や航路封鎖を行うんじゃない?」

「ブリギッタ殿の仰るとおりですね。人の交通を制限し、各種資源の輸送を管理下におさめ、輸出入すら共和国の意のままとするのが目的でしょう。聖王国をはじめとする資源輸入国家群は絶大な被害を受け、世界各国と交易を行っている浮遊大陸のアメリアだって無傷ではすまない。それ以上に、我々、大陸南部諸国の生殺与奪が共和国に握られますよ。……いっそ早めに降伏して靴を舐め、ダヴィッド・リードホルムと協調をとる、という選択肢もありますが」


 ハサネの提案に、クロードは顔をしかめて、上着のポケットにひそませた、ロジオン・ドロフェ-エフからの手紙を握り締めた。


「ハサネ所長。やつらは、多くの人の命を犠牲にした。緋色革命軍マラヤ・エカルラートとの同盟や共闘は有り得ない。やつらは倒す」


 クロードは、断固として宣言した。彼の鬼気迫る表情に、一瞬、執務室が静寂に包まれる。


「わかったぬ。たぬも一緒についてくたぬよ。共和国からも敵が来るたぬ? クロードは、女房役のたぬが守ってあげるたぬ」


 沈黙を破ったのは、今までそっぽを向いて、会議に関心があるのかも定かでなかった、もこもこした黄金色の獣、アリスだった。


「アリス。嬉しいけど、それじゃ領の防衛が――」

「棟梁殿、アリス殿の同行を認めてくれ。レーベンヒェルムの地は、私が必ず守ってみせる。相手が軍なら負けはしない。契約神器と盟約者については、これまで回収した神器を、エリック殿たちに分配すればいい。御身を守れ。棟梁殿の命が失われれば、この地方くには滅ぶぞ?」

「それは……。うん、緋色革命軍のことを教えてくれたのも、アリスだものな。わかった」


 セイに説得されて、クロードは頷いた。

 ロジオン・ドロフェーエフから届いた手紙を持ち込んだのは、アリスとイヌヴェだった。二人とも、赤い導家士どうけしの傭兵であった彼とは面識があり、緋色革命軍について書かれた手紙を、本物だろうと証言した。

 もっとも、手紙の真偽を問わず、クロードは旧エングホルム領へ自ら赴くことを決めただろうが。


『オッテルなんていない。ダヴィッド・リードホルムのちからは、ファヴニルとおなじものだ』


 根拠も由縁も不確かで、しかし、日本語で書かれた一文は、クロードを動かすのに十分だったのだから。


(ファヴニルの犠牲は食い止める。それが、僕の役目だ……!)


 今、クロードの心は、ファヴニルへの激情で占められていた。

 だからこそ、冷静であれば気づいたはずの、ある事実を見落とした。

 少なくとも二人、同じように読める可能性がある者がいることを、失念していたのだ。

 異世界からの来訪者にして領軍総司令官であるセイは、控えていた女中レアと何やら小声で打ち合わせていた。

 そして、クロードと同郷の異世界人、ササクラに師事した少女ソフィは、乱れた赤いおかっぱ髪を整えもせず、大きな黒い瞳を閉ざし、両手を豊満な胸の前で握りしめたまま、一言も発言することはなかった。

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