第70話(2-28)出陣決意
70
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)一日。
マラヤディヴァ国首都クラン議事場にて、反乱罪の疑いをかけられたアンセル、ソフィ、ヨアヒムの罪をはかる審問会の後、国主グスタフ・ユングヴィ大公の発案により、エングホルム侯爵領を制圧した
危険性を訴えるクロードの意図とは裏腹に、会議に参加した大貴族達、十賢家の反応は鈍かった。
「エングホルム侯爵夫妻は緋色革命軍によって処刑されました。反乱軍の占領下にあるエングホルム領では、今、多くの民衆が苦しんでいます。すぐに討伐軍を出すべきです。危険な先鋒は、レーベンヒェルム領が務めたって構いません」
「さすがは、好戦的なレーベンヒェルム辺境伯、言うことが違う。そんなにも流血がお望みとは。ああ、ひょっとしてそのために部下を使って反乱を起こさせたのですか?」
「ソーン侯爵。流血を止めるために僕は……」
「平和と国民を守るのが目的と言いますが、ほとんどの惨劇はそういう口実で起きるということを忘れないで欲しいですね」
「惨劇なら起きているだろうっ。今、目と鼻の先でっ」
「そうやってレッテルを貼りつけて、表現の自由を抑圧し、情報をコントロールしようとするわけですか。批判する力すら奪おうとは、さすがはレーベンヒェルム辺境伯。私などとは器が違う」
レッテルを貼り付けているのは、批判する力を奪おうとしているのは、いったいどちらなのか?
ソーン侯爵はのらりくらりと詭弁を繰り返し、クロードは彼の牙城を崩せなかった。
恥も外聞も無い
結局会議では、国主グスタフ・ユングヴィとヴァリン公爵が理解を示してくれたものの、「反乱軍など、放置しておけばいずれ立ち行かなくなる」という消極的な態度が大半を占め、鎮圧軍を主張するクロードが逆に戒められるという無残な結果に終わった。
閉会の後、中庭へ出たクロードはベンチに座り、震える手でコップの水を飲み干した。
「エングホルム侯爵は、殺されたんだぞ。いいひとだったのにっ。なのに、どうしてっ……?」
クロードがエングホルム侯爵夫妻と出会ったのは、レベッカ・エングホルムとの見合いの席、ただ一度きりだ。
それでも、彼らの人のよさは伝わってきたし、過ごした時間はとても安らいだものだった。
三白眼を血走らせ、ひび割れたような声で嘆くクロードの隣で、象牙色の髪と、ライオンのように豊かな口ひげとあごひげを蓄えた恰幅のいい老紳士、ヴァリン公爵が、同じようにベンチに腰掛けて煙草を吸っていた。
「レーベンヒェルム辺境伯は、理性的に見えて、その実、感情的だな。お主の言い分は正論だとも。だが、それだけでは人は動かない。特に――貴族というものは」
「それはっ」
「ソーン侯爵は、民草を同じ人間などと思っておらぬよ。上から目線で自分が正しい、導いてやろう。己が思うとおりに動けば良き領民、動かねば劣等民だ。他者の意見を聞く気もなければ、現実を見る気もない。そういう手合いを相手に、話し合いだけで解決できるなら、そもそも此度の蜂起だって起こってはいまい?」
クロードは、ヴァリン公爵に諭されて、ぐうの音もでなかった。
「そして、ナンド侯爵、ルクレ侯爵、ユーツ侯爵。彼らの家は、十賢家の中でも領地が狭く経済力も小さい。他領を見捨てても、領民を守ろうとする決断を責める事もできまい」
「はい」
「最後に、グェンロック方伯は、お主を警戒している。部下を守ろうとするパフォーマンスだったのだろうが、拘束服を着て出頭したのは、さすがに跳ね返りが過ぎたな」
クロードが拘束服を着て議事場に出頭したことは、いわれの無い冤罪をかぶせて処刑しようとするソーン侯爵らに、自身の蛮行を客観視させるという意味では、効果があったのだろう。
同時に、クローディアス・レーベンヒェルムは、いざとなれば何をやらかすかわからない、と、十賢家当主たちの警戒心を刺激してしまった。
「グェンロック方伯の跡継ぎ息子は、ひどくヤンチャでな。察してやれ」
ヴァリン公爵は、煙草を陶器の携帯灰皿に仕舞い、クロードに向かって笑いかけた。
「辺境伯。……お主が治めるレーベンヒェルム領は、強くなりすぎた。テロリスト”赤い
「わかりました」
一礼して重い足取りで中庭を後にするクロードは、しかし背筋をピンと伸ばし、涙で赤く染まった黒い瞳には決意の光があった。
見送ったヴァリン公爵は、自分よりはるかに若く、青臭い辺境伯の未来に思いを馳せた。
「往くのか。時代を変えるために」
ヴァリン公爵は、中庭で待っていた。
彼にとっての長年の政敵であり、共にマラヤディヴァを支え続けた盟友を。
枯れた枝を連想させる禿頭の男が、杖をつきながら中庭へとやってきた。かつては、マラヤディヴァ国にそのひとありと謳われた大貴族、メーレンブルク公爵だ。
「ヴァリン公。随分とあの非常識な子供に入れ込んでいるな」
「メーレンブルク公。お主とてわかったはずだ。いかな十賢家といえ、好き勝手に法を曲げる時代は終わったのだ。あれほど善良だったエングホルム侯ですら討たれたのだ。国政を担う要として、近代化を進めねばならぬ」
「それが、国主様の、ユングヴィ大公の望みか。その為に改革派のマティアス・オクセンシュルナを引き立て、此度はレーベンヒェルムのガキを呼び寄せて我らを煽る。時代の変化を見せつけるために」
深い皺に苦悩をにじませて、メーレンブルク公爵は、立ち上がったヴァリン公爵をにらみつけた。
「わしは老いたよ。なぜ変わろうとする? なぜそのままではいられないのだ。この国を支えてきたのは、わしらなのだぞ」
「そうだ。我らを含む、ひとりひとりの民草がマラヤディヴァという国を繋いできた」
「ヴァリン公。結局、わかりあえなかったな」
「メーレンブルク公。我々はわかりあった。ただ、望む未来が違うだけだ」
「そうだな」
メーレンブルク公爵とヴァリン公爵は、まるで示し合わせたかのごとくすれ違った。
領復興に奔走していたクロードには、預かり知らぬことであったが、マラヤディヴァ国十賢家もまた一枚岩ではなく、政争に明け暮れていた。
マラヤディヴァ国の自立と近代化を進めようとする、ユングヴィ家、ヴァリン家、エングホルム家を中心とした開明派。
西部連邦人民共和国と癒着して封建的な貴族制度の維持強化を望む、メーレンブルク家、ソーン家、グェンロック家を中心とした旧弊派。
そして、中庸と言えば聞こえがいいが、どっちつかずで日和見的な、ナンド家、ルクレ家、ユーツ家を中心とする中立派。
最後にレーベンヒェルム家は、事実上の旧弊派と見られていたのだが、……よりにもよって、当主クローディアスが共和国の影響から自領を解放してしまった。
エングホルム侯爵が、養女レベッカとクロードの見合いを進めたのは、あわよくばレーベンヒェルム家を開明派に取り込みたいという意図もあったのだろう。
しかし、ダヴィッド・リードホルムの反乱によって、エングホルム侯爵は殺害されて、領は緋色革命軍によって制圧されてしまった。
ぎりぎりの均衡を保っていたマラヤディヴァ国の勢力図は崩れ、いまや混沌とした状況にあった。
ヴァリン公爵が議事場内に戻ると、グスタフ大公が好物の珈琲を飲みながら、ペンを手に地図を開いていた。
「ヴァリン公。レーベンヒェルム辺境伯の様子はどうだったかな?」
「釘は刺しました。しかし、あれは止まらないでしょう。賊徒からエングホルム領を解放するための軍備を敷くはずです。我々の望みどおりに……」
グスタフ大公が地図に書き込んでいたのは、緋色革命軍による予想侵攻路だった。マラヤディヴァ国の半ばが黒く斜線を引かれている。
「私は残酷なことをしている。西部連邦人民共和国が領土的野心をあらわにした今、国がまとまらなければ対抗できない。十の大貴族による藩閥政治は、もはや時代遅れなのだ」
「王や貴族は象徴であれば良い。澱みは押し流すべきだ。大公閣下が見出したマティアス・オクセンシュルナは、世が世ならば……大逆人ですな」
「だからこそ、メーレンブルク公は、緋色革命軍以上に私たちを、そして、レーベンヒェルム辺境伯を敵視しているのだろう。ダヴィッド・リードホルムでは別の独裁者が立つだけだ。私たちが必要としているのは、マラヤディヴァの民と共に歩み、国を守る指導者だ」
グスタフ・ユングヴィは、珈琲を飲み干して、陶磁器のカップを置いた。
「レーベンヒェルム辺境伯には、囮となってもらう。貴族政治の幕は私が引こう。叶うならば、その後で彼には報いてやりたいものだ」
グスタフ・ユングヴィの願いは、半ば叶い、半ば叶うことは無かった。
ダヴィッド・リードホルムの反乱後、国主の輪番制という形式は残ったものの、マラヤディヴァ国は立憲民主国家として近代化の道を歩み始める。
首相となったマティアス・オクセンシュルナは、長期政権を築き上げ、卓越したリーダーシップにより、マラヤディヴァ国に飛躍的な繁栄をもたらすこととなる。
クローディアス・レーベンヒェルムは、この後、三年を経ることなく死亡した。それが、正史に刻まれた事実である。
☆
レーベンヒェルム領に戻ったクロードは、アンセル、ソフィ、ヨアヒムが罪に問われなかったことを告げ、かねての打ち合わせどおり、自主的な謹慎を命じた。
「レア、ハサネ公安情報部長を呼んで、共和国の状況を探ってくれ。アンセルたちの代行は、リストアップできているな?」
「はい。領主様、やはり行かれるのですね」
レアは、知っていた。ファヴニルにとって、クロードが特別であるように、クロードにとってもファヴニルの存在が強大無比であることを。だから、彼女は危険と知ってなお、止めることが出来なかった。
「レーベンヒェルム領軍は出せない。だったら直接乗り込んで、
クロードの手のひらには、幾度となく読み返されて手垢のついた手紙が握られていた。
ロジオン・ドロフェーエフが生命を賭けて得た情報――。
『オッテルなんていない。ダヴィッド・リードホルムのちからは、ファヴニルとおなじものだ』
それは、クロードの背を突き動かし、マラヤディヴァ国の未来にすら影響を与えることとなる。
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