第五部/第五章 黄昏に降る雪

第402話(5ー40)そして、雪が降る

402


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 晩樹の月(一二月)三一日。

 クロードとレアが結ばれた翌日、マラヤデイヴァ史に残る激動の一日が始まった。


 夜雨があがり、太陽が東の空に昇る頃―― 。

 グスタフ・ユングヴィ大公は、街道に集まった群衆の歓声に手を振って応えながら、仮住まいであったヴァリン領の離宮を出た。

 彼が目指すのは中央駅。これから、特別に仕立てられた専用列車に乗って、レーベンヒェルム領へ向かうのだ。

 国主であるグスタフの護衛には、大同盟から選りすぐられた数百人の精兵部隊が付き従っている。

 その上で万が一に備え、クロードが派遣した喋るカワウソと、白銀色の犬が同行していた。


「もうすぐレーベンヒェルム領だ。テルくん、ガルムちゃん。今日までご苦労だったね」


 グスタフは個室のソファに腰かけると、労るように二匹の背を撫でさすった。


「きゅう」

「ばう」


 威風堂々とした英明なる君主。いつも朗らかで人々に慕われる国父。

 誰が知るだろう。彼もまた、血の通ったひとりの人間であることを。


「……実はね、父と母から寝付け話に聞かされたことがあるんだ」


 国主たる男は、懐かしむように語り始めた。

 彼の先祖であるマーヤ・ユングヴィは、心を通じ合わせた白い犬と黒いカワウソを連れて、よく山奥の湖に出かけたのだという。


「今は、レーベンヒェルム領のグリタヘイズ湖と呼ばれる場所だ。蛍が舞う夜はまるで星空のように美しかったそうだよ」


 ガルムは、撫でられるがままに沈黙を守った。残念ながら、その白い犬は彼女ではなかったからだ。


「だから、かな。君たちには、まるで他人ではないような気やすさを感じていたよ」


 しかし、テルは違う。

 遠い記憶の果て。もはや顔もあやふやだが、国主が語る光景を覚えている。

 マーヤの隣には、彼女の妹であるメア、神剣の勇者と呼ばれた悪友や、自ら監視役を買って出たレギンがいた。

 短くも、幸せな時間だった。しかし。


「閣下、一千年も前だゼ。もう誰も生きちゃアいない」


 グスタフの祖先マーヤも、愛らしかったメアも、懐いてくれた犬も、もはや歴史の彼方へと去ってしまった。

 契約神器であるオッテルとレギンだけが、一千年後の現在まで取り残されている。


「でも、もしもそのカワウソが生きていたら……。命知らずな勇者とド根性女が契った血筋から、よくもこンな君子が生まれたものダと、閣下を誇りに思うはずサ」

「だったら、嬉しいね」


 国主グスタフは、感極まったかのようにテルとガルムを抱きしめた。


「すまないね。ずっと命の危険に晒されていたからか、最近は涙脆くなってしまった」

「閣下。もうすぐ、クロオドが戦を終わらせル。ネオジェネシスのトップとやらも、まだ話の通じる相手のようダ。閣下は、大船に乗ったつもりで待つといい」

「バウバウっ」


 テルはガルムと共にグスタフを励まして、ふと嫌な予感に襲われた。


『もう戦うのはこりごりだ。新天地で慎ましく暮らそう』


 一千年前。神剣の勇者はヴァルノー島の争いに介入するのを避けて、マーヤ達と共にマラヤ半島へ渡ろうとした。

 結果、予想もしなかった形でファヴニルの奇襲を受け、船は沈められた。

 クロードも、ブロルも、両陣営のトップは戦争の拡大を望んでいない。けれど、組織は頂点の意思だけで動くわけではないのだ。

 テルは励ましの言葉とは裏腹に、いい知れない嫌な予感をひしひしと感じていた。

 

 太陽が南天に達する頃――。

 国主到着と同時に、領都レーフォンでは一大式典が催された。

 レーベンヒェルム領が主導する大同盟は、緋色革命軍マラヤ・エカルラートを打倒し、ネオジェネシスにも連戦連勝を続けている。


「皆、よくここまで頑張ってくれた」

「後少しだけ力を貸してくれ。共に平和なマラヤディヴァ国を勝ち取ろう」


 国の代表たるグスタフと、英雄となったクロードが並び立つのを見て、群衆は天も裂けよとばかりに大きな喝采をあげた。

 そんな歓喜の声を、海を隔てたマラヤ半島で盗聴している者がいた。


「さしもの辺境伯も騙されてくれたか。負け続けてみせたのは、すべてこの日のためよ」


 ゴルト・トイフェルは凄絶に笑う。

 戦争とは、たとえ百戦百敗しようと、最後に決定的な一勝を得たものが勝者なのだ。

 ましてやネオジェネシスは人間と違って、死の概念が希薄で、替えの身体を容易く用意できる。

 つまり、どれだけ戦死者を積み重ねようと、実は敗北ですらない。

 ゴルトからすれば、これまでの連戦連敗は、あくまで実戦経験を積みつつ、大同盟を罠へと誘い込む布石のひとつに過ぎなかった。


「デルタよ、すべてが予定通りなのになぜ震えている?」


 金鬼は鍛えた肉体を愉快そうに笑っていたが、眼鏡をかけた細身の青年は青白い顔で盗聴に専念していた。


「……ベータが生き返ったあと、変わってしまったんです。物憂げな顔で遠くを見ている兄は、以前と何かが違うんだ。僕は、取り返しのつかないことを命じてしまった」


 ゴルトはデルタの胸ぐらを掴み、立ち上がらせた。


「ならばこそ、笑え。お前が抱えている感情こそ、策士の醍醐味よ。共に地獄を行こうじゃないか」


 ゴルトは、豪快に笑う。

 彼の笑顔は、生命力に満ちている。

 一方、デルタが辛うじて浮かべた笑みは、まるで死人のようだった。

 彼はようやく知ったのだ。選んだ道が、どれほど非道なものであったかを。


 太陽が、南の空から西へと傾き始めた頃――。

 ブロル・ハリアンは地下牢に降りて、檻ごしに捕虜と差し向かいで酒を煽っていた。


「あの悪魔と取引したことに悔いはない。だが、ままならないね」


 ブロルは、杯になみなみと注いだ酒を喉に流し込んだ。

 高価なはずの酒は、なぜか酷く不味かった。


 そして、太陽が西の稜線にかかる黄昏時――。

 ファヴニルは、雲の上を飛翔する空中要塞から、不穏な顔で地上を見下ろしていた。


「ねえ、レギン。僕は寛大だよ。たいていのことは許してきたとも。過去に人間の味方をしたことだって水に流したし、虫どもをこそこそ逃すのだって見ない振りをした。今のクローディアスと同衾どうきんすることだって構わないと言った。けれど……」


 ファヴニルの赤い瞳が血走って、憎悪の炎に燃える。


「やってくれたな、泥棒猫。二重契約はさすがに見過ごせないね。お前は、僕とクローディアスの絆に泥を塗ったんだ」


 式典は滞りなく終わり、クロードとグスタフ達は、領主館へと移動を始めた。

 不意に青空が黒く染まって、暗雲が立ち込めた。

 マラヤディヴァ国は雨季ゆえに、最初は気にする者などいなかった。

 しかし、すぐに群衆は動揺することになる。

 常夏の国で、真っ白な雪が降り始めたからだ。


――――――


部長「なあファヴニル。お前は甘めに表現しても、ストーカーでDV男で、黒幕で仇敵で、恋愛の障害なんだぞ。どの口で絆とか言ってるの?」

邪竜「それだけ重なるってことは、運命の相手ってことじゃないか!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る