第401話(5ー39)雨音を聴きながら

401


「帰ろうか。僕達の家へ」

「はい。クロードさま」


 クロードとレアは、しばしの間湖を見つめた後、領都レーフォンの屋敷へ転移魔法で帰宅した。

 グリタヘイズ村の人々は宿泊を勧めてくれたが、明日は国主グスタフ・ユングヴィを迎えての年末祭である。

 念のため、屋敷に詰めておきたかったのだ。


「レア、眠った?」

「いいえ、どうしてでしょう。目が冴えてしまって」

「僕もだよ」


 二人は、湯を浴びて夜着に着替え、同じベッドで背中合わせになって、雨季のスコール音を聴いていた。

 サアサアとザアザアと、降り注ぐ雨が大地を湿らせてゆく。けれど、しっかりと繋いだ手が温かくて、胸の中は燃えるように熱かった。


「まるで夢の中にいるようです。契約をかわして良かったんでしょうか。私はファヴニルの妹なのに……」

「いいんだよ。ぐだぐだいう奴がいたら、僕がガツンと言ってやる」


 クロードも、レアが出自を隠し続けていた理由はわかる。

 彼女が契約神器というだけで、色眼鏡で見る者もいるかも知れない。

 なによりも彼女レギンの兄であるファヴニルは、マラヤディヴァ国に存在する脅威であり、レーベンヒェルム領を深く傷つけた邪竜に他ならない。

 だが、そうだとしても、クロードは誰にも彼女を責めさせるつもりはなかった。


「僕は、レアがずっと支えてくれたことを覚えてる。だいたい兄妹分というのなら、テルだってそうじゃないか。アイツは、ルンダール遺跡で、僕をこんがりステーキに焼き上げるところだったんだぜ」


 クロードは笑い話にするつもりで、オッテルを例に挙げたが、レアの瞳は座っていた。


「……やはり、あのダメ兄は鍋の具にしておくべきでした」

「あ、あれ? 冗談だよね?」

「クロードさまに許していただけるなら、あのカワウソは、明日にでも包丁の錆に変えましょう」

「レア。も、もうちょっと穏便にさ……」


 残念ながら、末妹レア長兄オッテルに対するあたりは、ことのほか強かった。

 敵対するファヴニルを〝兄さま〟と呼ぶのに対し、自陣営のオッテルは〝ダメ兄〟扱いなあたり、怨みの深さが窺い知れる。


(テルにも事情はあったんだけど、レアからすれば複雑だよね)


 レアとファヴニルの兄妹から見た長兄オッテルは――。

 天下分け目の決戦直前に負傷で離脱するわ、戦後に再会したら狂気に陥って襲ってくるわ、正気を取り戻したら仇たる神器の勇者を本拠地グリタヘイズへ連れてくるわと、……完全に厄病神だろう。


「クロードさまは庇われますが、何度いい雰囲気を壊されたことか。イエス・イエス枕とかわざとやってるんですよ、あのダメ兄!」

「あ、うん」


 クロードは、レアがほおずきのように頬を赤く染めて膨れっ面をするのを見て、思わず笑ってしまった。


「レアは、溜め込むところあるから、そうやって顔に出した方が可愛いよ」

「もう、クロードさまっ」


 レアがぽかぽかと胸を叩くが、それすらも愛らしい。


「僕は、てっきりファヴニルがテルを襲うんじゃないかって、警戒していたんだけどな」


 あにはからんや、長兄の命を狙ったのは危険な次兄ではなく、むしろ甘い時間を邪魔された末妹の方だった。


「…… 兄さまは、いえファヴニルは、私にクロードさまを監視するよう命じました。ですが、それ以後は何も命令することはありませんでした」

「そっか。だよなあ」


 ファヴニルは、約束の日まで互いへの直接攻撃を避けるとの取り決め通り、クロードの身内に対して直接的な手段に出ることは、これまで一切なかった。

 かわりに、マラヤディヴァ国を大戦乱に巻き込んで、今も憎悪やら恐怖やら絶望やらといった負の感情や信仰を大いに貪っているのだが……。

 あの邪竜はまだ腹ごしらえの段階で、本気になってはいない。

 けれど、約束の日が来たが最後、小細工など弄さずとも、あらゆる障害を容易く粉砕することだろう

 もしも例外があるとするなら、対邪竜決戦の準備を整えてきたレーベンヒェルム領ら大同盟。

 そして、第三位級契約神器レギンと契約を交わしたクロードだけだ。

 だから――。


「きっとあの腹黒竜にとっては、〝レアを監視役に命じた〟というだけで充分だったんだろう。レアは罪悪感に縛られるし、暴露すれば僕の心だって折れる。僕とレアが契約に至らなければ、アイツの勝利は揺るがない。大方そんな目論見だったんじゃないか?」

「そう、かも知れません……」


 ファヴニルが仕掛けた、一番最初にして最大の悪意こそ、クロードとレアの間に穿ったクサビだった。


「もっとも、さすがにあいつの策略も尽きただろう。僕はネオジェネシスを討って、ブロルさんを説得して、ファヴニルに挑むよ」


 かつては、絶対に届かない存在だった。

 けれど、今は違う。クロードはただ竜を討ちはたす為に強くなったのだ。

 

「僕は、君をアイツから解放したい。共に乗り越えたい。この世界は残酷で、それでも美しいと思うから」


 クロードは想う。

 赤い導家士どうけし緋色革命軍マラヤ・エカルラート楽園使徒アパスル……。

 妄執という、人間が知り得ないものの内臓ハラワタを、現実の大地せかい以上に尊ぶ冒涜者達。

 そして彼らを手駒として、人の命を踏みにじり続けた怪物モンスターをこのままにしてはおけない。


(他の誰でもない、僕が選んだことだ。邪竜ファヴニルを討ち果たす)


 その選択は、その使命は、もうすぐ果たされる。


「レア。好きだよ。これからも傍にいて欲しい。戦争が終わったら、旅に出よう。君と一緒に色んなものを見たいんだ」


 クロードがレアと繋いだ手に力がこもった。目の前で赤い瞳が涙で濡れている。


「ソフィさんや、アリスちゃん、セイさんも一緒に、ですか?」

「……うん」


 クロードは、嘘はつけなかった。


「いいですよ。本当はよくないですけど、きっと私達には、貴方が必要だから。でも、今は、今夜は、私だけを見てください」


 クロードとレアは唇を重ねた。

 二つの影が重なって、優しい夜が過ぎていった。

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