第400話(5ー38)真なる契約

400


 接吻キスを交わした後……。

 青髪の侍女は、幼子が駄々でもこねるようにクロードの胸を叩いた。


「いけません、領主さま。私は、邪悪な鍛治師レギンの名をいただく契約神器です」


 今のレアには、普段の毅然きぜんとした気配はまるでない。

 近づかないで、でも遠くへ行かないでとばかりに、両手でクロードを掴んで離さない。


「レア。前にも言っただろう? 舞台の上で悪役に割り振られたからって、本人の善悪には関係ない」


 クロードはレアを見つめたまま、あやすように、噛み砕くようにゆっくりと告げた。

 ファヴニルを討つと決めたのは、悪役の役名を名乗っているからではなく、彼の行動がどうしようもなく非道で邪悪だからだ。


(もしも別の世界で、別の選択を経たならば、万に一つ、和解する可能性があったかも知れないけど……)


 赤い導家士どうけしに始まり、緋色革命軍マラヤ・エカルラート楽園使徒アパスル、ネオジェネシスと、かの邪竜はあまりに多くの災禍を引き起こした。

 クロードも、レーベンヒェルム領も、マラヤディヴァ国も、もはやファヴニルを打倒しなければ一歩も前に進めない。


「レアの優しさも、善良さも、僕はよく知っているよ」

「でも、私はニンゲンじゃない。貴方に好かれる資格なんてないんです」

「そんなの関係ない。僕は君が好きだよ、レア」


 クロードは、これが証だと言わんばかりにレアを抱き寄せた。

 けれど彼女は俯いて、瞳から溢れる涙は止まらない。


「私は、信じません。他の誰かが同じことを口にしても、絶対に信じない。だって、ニンゲンは裏切るから」


 血を吐くように絞り出された悲嘆に、口を挟めなかった。

 やはり、一千年前のグリタヘイズ村で何かがあったのだ。


「……だから、兄さまだって、あのように変わり果ててしまった」


 クロードは、ファヴニルとレアの兄たるオッテルから、ある程度の事情を聞き出していた。

 ファヴニルは世界終焉ラグナロクの後、龍神としてグリタヘイズ村に迎え入れられて、ヴォルノー島に住む人々を守護していた。

 しかし、グリタヘイズ村は外国の干渉もあって、新旧住民間の対立が深まり、神剣の勇者が来訪らいほうしたことをきっかけに、一触即発の危機的状況に陥る。

 勇者は争いを嫌って島を去ろうとしたが、ファヴニルは追いすがって彼の船を沈め、結果としてレギンもろともに遺跡へ封印された。


(ここがオカシイんだよ。どう考えても、追う必要がない)


 ファヴニルが……。

 去ってゆく厄介者を追って、わざわざ交戦した理由は何だ?

 愛して育んだ村人に、封印されてしまった由縁は何だ?

 善良さをかなぐり捨てて、悪逆非道を尽くす邪竜へ変貌した経緯いきさつとは何だ?


「領主さま。貴方だけは信じられる。貴方は時々目が節穴で、根っからのお人好しですが、ずっとそこだけは変わらなかった」


 レアの喘ぐような言葉に、クロードは苦笑いする。否定したいが、否定できない。


「私も貴方のことが好きです。でも、でも、ずっとずっと貴方が怖かった!」


 クロードは泣き叫ぶレアを抱きしめて、彼女の背中を撫でさすった。


「貴方の親愛が憎悪に変わる日が、微笑みが敵意に変わる日が、おそろしくてたまらなかった」

「そんな日は、来ないよ。何度だって言う僕は、レアのことが好きだ」


 クロードは宥めるが、レアの震えは止まらない。


「貴方に打ち明けたかった。許して欲しかった。けれど、変わってしまった兄さまが恐ろしくて、貴方が殺されてしまうんじゃないかって怯えて。なのに、貴方はちっとも逃げようとしなかった!」


 クロードは思い返した。

 そう言えば、レアはずっと彼を逃がそうとしていた。でも、なんだかんだで最後には力を貸してくれたのだ。


「……領主さま、本当に私を奪ってくれますか? 変わり果ててしまった兄さまを止められますか?」

「うん。僕の本当の名前、小鳥遊たかなし蔵人くろうどにかけて誓う。レア、必ず君を連れ出すよ。ファヴニルは、僕が倒す」


 クロードは力強く、愛しい女性を抱きしめた。星の瞬きと蛍の輝きに包まれて、二つの影がもう一度、一つに重なった。


「クロードさま。第三位級契約神器レギンの名において、契約を結びます。私は、レアは、小鳥遊蔵人を愛しています。私の心は貴方と共に」


 クロードが、右手の人差し指にはめた虜囚の指輪。

 血のように赤く濁った宝石に、仄かな炎が灯る。

 ここに、真の契約は結ばれた。

 

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