第285話(4-14)悪徳貴族とユーツ領の悲劇

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 山のドームが映し出す満天の星空の下、川のせせらぎに包まれて舟は下流へと進む。

 静かな夜だった。クロードは、ドクンという心臓の音がひどく大きく聞こえた。


「ユーツ領が、壊れ始めた?」

「ええ。私が言うのもなんだけど、ユーツ領は平穏だった。貴族同士の争いも激しくなかったし、アルテアン卿やマクシミリアンのように身分に囚われない政治参加も進んでいた」


 ローズマリーの返答に、クロードは納得した。

 高山都市アクリアの雰囲気や、ヴィルマル・ユーホルト伯爵と兵士たちの接し方、命懸けでマルグリット・シェルクヴィストを逃がした関所守備隊の奮戦。

 これらを見ればおのずとわかる。ユーツ領は牧歌的というか、家族的で仲間意識が強いのだ。


「だから、誰も何も変えようとしなかった。たとえ景況が低迷しても、満ち足りていたから。うちの領が抱えた問題点、もうクロードならわかっているでしょう?」

「……交通網の未整備だ」


 領の大半を山岳地帯が占めて、道も細く、村や町が断絶している。

 距離だけを見ればユングヴィ領の大都市、首都クランに近いのに、いくつもの山に阻まれてまるで立地を活かせないのだ。

 クロードたちは、逆手に取って解放作戦を実行したわけだが、平時であれば真っ先に取り組むべき課題に他ならない。


「道や橋が無ければ商業は育たないし、災害時の救助もままならない。レーベンヒェルム領も同じ問題を抱えていたよ」

「貴方の仕事ぶりは見て来たわ。私達は、ユーツ領は出来なかった。不況が誰の目にも明らかになった時、より危険な災厄を呼びこんだの。マクシミリアンが招いたエカルト・ベックは、港町ツェアを改修して貨物コンテナ埠頭を備えた大規模港湾施設の建設を提案したわ」

「ん? ん?」


 クロードは首を傾げた。この世界における貨物輸送には、一定の規格に従った木造容器が使われている。輸送船で貨物を陸まで運び、陸で馬車や人形鉄道に乗せ換えて目的地まで運ぶのだ。

 マラヤディヴァ国は、海上輸送に関しては屈指の立地条件に恵まれている。だから、有りといえば有りなのだろうが……、ユーツ領の場合、陸の交通網が悪過ぎて役割を果たせないだろう。

 ユングヴィ領の首都クランなど、他の大規模港湾都市との競争だってある。提案は無謀に思われたが……。


「ベックの提案は、西部連邦人民共和国から融資を受けて、西部連邦人民共和国の建設企業が工事を請け負い、西部連邦人民共和国の資材を使って完成させるものだった。そのためにユーツ領で家や土地などの不動産を購入した共和国人に、ユーツ領の市民権を与えようとしたの」

「ちょ、ま、なあっ」


 クロードは、絶句した。この条件は酷いってものじゃない。事実上の乗っ取りだ。


「たぬ? 不況の時は、公共事業で良い方向に刺激できるんじゃなかったぬ?」


 クロードの声で目を醒ましてしまったのか、アリスが伸びをしながら尋ねた。


「すまない。アリス、起こしちゃったか?」

「よく寝たぬ。クロード、教えて欲しいたぬ」


 アリスは、オーニータウンで鉄道工事に触れてから勉強熱心になっていた。

 クロードは己自身の中でも整理する為に、ベックによる提案の問題点に触れ始めた。


「ええっと、そうだね。”需要と供給、支出と生産、買うお金と売るお金の量は一致する”ことは教えたよな」

「たぬっ。大丈夫たぬ」

「市場のメカニズムが正常に働かずに、お金のやり取りが小さく小さくなってゆくのが不況だ。対策手段として、領が支出=買うお金を増やして、生産=売るお金を大きくするのが公共事業だ」

「たぬっ。港を大きくするために、作業員を雇ったり、材料を買ったりすれば、市場が活性化するたぬ」


 そう、ここまでは正しい。悪辣あくらつなのは、その前提だ。


「じゃあ、作業員を外国人だけがやって、材料も外国からのみ購入したらどうなる?」

「もちろん外国だけが儲かるたぬ。た、たぬ? それじゃあ、ぜんぜん意味がないたぬ!?」

「そういうことだ。しかも工事の名目で市民権を許可して、ユーツ領に大量の外国人が住みついてしまったら?」

「ユーツ領の人より外国人の方が多くなっちゃうたぬ。もうめちゃくちゃたぬ!」


 クロードとアリスは、寄りそったまま頭を抱えた。

 マクシミリアン・ローグもマグヌス・バンデッドも、本当にろくなことをしない。


「聞きつけたユングヴィ領のオクセンシュルナ議員が血相けっそうを変えて駆けこんで来たわ。この計画はマラヤディヴァ国にとって一銭の儲けにもならない。我が国は植民地ではないって」

「良かった。本当に良かった……。元手も西部連邦人民共和国からの融資だろう? 無茶な計画で返済が滞ったら差し押さえる気満々じゃないか。話していて何だが、うち……レーベンヒェルム領が散々やられた手口だな。情けなくて涙が出そうだ」


 懊悩おうのうするクロードは気づいていなかったが、ラーシュはそんな彼を見て先代ほんもののクローディアス・レーベンヒェルムとは別人であると確信してしまった。


「リーダー。引っかかっているのはうちだけじゃないっす。共和国では最近一部の指導者が『王道楽路おうどうらくろ』計画と銘打って、各国との社会資本の整備と貿易を促進、共存共栄の世界経済圏を確立すると発言しています」


 ヨアヒムが補足してクロードは頷いた。アリスはついてこれなくなったのか、目をぐるんぐるん回している。


「理念だけなら、僕も賛成したいね」

「ですが。現在の実態は、高金利で無理な融資計画をでっちあげ、共和国だけが事業を独占して潤い、治安維持の名目で軍隊を駐留させて、最終的には巨大な債務を負わせて土地とインフラを奪う侵略手段っす。すでにいくつもの小国が被害にあってます」

「……今は目立たないけど、いずれ共和国はアメリアあたりと衝突するな」


 クロードは、知恵熱を出して倒れたアリスを胸元に抱き上げた。


「たぬう」

「よしよし。無理はしなくていい。ローズマリーさん、話を横道にそらしてしまって、すまない。港町ツェアの改修計画は、いったいどうなったんだ?」

「ユーツ侯爵家はもちろん、ユーホルト伯爵家やルンドクヴィスト男爵家といった貴族が反対したわ。けれど、シェルクヴィスト男爵家を含むツェアに近い貴族はマクシミリアンに同調した。……愚かなことだけど、何も知らなかった当時の私は、マクシミリアンを応援していたの。”新しい”という言葉は、それだけで魅力的に感じられたから」


 クロードは、アリスの背をさすりながら首を横に振った。

 経験したからこそわかることがある。何も失敗しない人生なんて、そんなものきっと有りはしない。


「エカルト・ベックは、マグヌス・バンデッドと共和国の代理人だった。彼は多くの賄賂をばら撒いてユーツ領を二分したわ。半年後に緋色革命軍マラヤ・エカルラートが蜂起して、クロード、貴方が討伐を主張した時には、とても軍を編成できる状況じゃなかった」


 クロードは、天使のように愛らしい少年と燃えるように紅い髪の少女が、嘲るような笑みを浮かべる様子を脳裏に描いた。

 緋色革命軍の躍進を考えれば、彼らが無関係とは思えない。発火の原因はともかく、二人もまた裏で火に油を注いでいたことだろう。


「マクシミリアンはユーツ家を裏切って緋色革命軍に合流した。彼に協力した貴族たちも、なし崩し的に緋色革命軍に旗を変えたわ。その筆頭となったのが、”まるで人が変わった”ようなバーツ・シェルクヴィスト男爵だった」


 ローズマリーの相貌そうぼうは、悲痛に満ちていた。

 彼女の口ぶりと顔色から、クロードとチョーカー、そしてアリスは察してしまった。

 バーツ男爵が豹変ひょうへんした理由は、ひょっとするとドクター・ビーストの……。


「た、たぬっ」

「バーツ様は、まるで狂ったように戦に出て血にまみれました。父のイーサクを殺めたのも、あの方です。だからオレは、オレはあのひとを――討ちました」


 それが、ラーシュ・ルンドクヴィストとマルグリット・シェルクヴィストの恋の果て。

 幸いだった記憶は、緋色の惨劇によって塗りつぶされた。

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