第118話(2-72)餓鬼

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 開戦から一週間が経った。

 セイが指揮するレーベンヒェルム領軍の波状攻撃によって、マグヌス率いるソーン領軍は目に見えて疲弊ひへいしていた。


 ――まず、食糧補給の問題があった。

 重労働に従事する成人男性の場合、一日に必要な摂取カロリーはおよそ三〇〇〇kcal。米に換算すると一キログラム、約六合分だ。

 この要領で計算すると、ソーン領軍五万人の兵士が一日に消費する米はなんと五〇トン。一ヶ月で一五〇〇トンにものぼる。六トントラック相当の大型荷馬車で運んでなお、二五〇台が必要になる。

 大量の食糧を軍隊に随伴して運ぶのは困難で、ソーン領から荷馬車を使ってピストン輸送をするのだが、これを各地に潜むレーベンヒェルム領軍が見逃さなかった。

 食糧や武器を積んだ補給部隊は、山道や細道から中隊による奇襲を受けて、片端から焼き払われた。

 そうなってしまえば、ソーン領軍が打てる手はたったひとつだ。古今東西の軍隊がとる常套じょうとう手段、現地調達、すなわち略奪である。

 しかし、赤茶けた死の大地が広がるレーベンヒェルム領辺境では、満足な食べ物を奪うことができなかった。

 折しもマラヤディヴァ国は、乾季から雨季に入ったばかり。乾いた畑が潤沢じゅんたくな雨を浴びて糧を実らせるには、もう少しの時間が必要になる。

 末端の兵士すら気づいていた。自分たちの食料が、次の収穫を待たずに尽きることを。


 ――次に、士気の低下が著しかった。

 食糧の不足は、ソーン領軍兵士たちの不安や不満を増加させる。

 それに留まらず、レーベンヒェルム領軍は、夜討ち朝駆け当たり前と昼夜を問わず襲撃をしかけた。

 矢を射合った後、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。罠や狙撃もあったが、損害は微少だ。時には姿を見せるだけで逃亡する敵さえいた。

 けれど、戦うたびに、少しずつ着実に、ソーン領軍は見えない傷をつけられてゆく。

 最初こそ「勝利! 勝利! 大勝利!!」と悦に入っていたマグヌス・ソーン侯爵も、気の休まる暇もなく攻撃を受け続ければ、やがて無言になった。

 ましてや、常に命の危険にさらされる兵士たちの負った重圧と恐怖は、尋常なものではない。

 外国人傭兵たちは、民兵たちを痛めつけることで憂さをはらし、勝っているはずなのに怪我人ばかりが増えてゆく。

 ソーン領軍参謀を務める宿将アーロン・ヴェンナシュは、騎馬隊を率いて追撃を試みたものの、マグヌス・ソーンの叱責を受けて取りやめた。

 土地勘のないソーン領軍では、追撃後の合流に失敗するか、あるいは、おびきだされて各個撃破される可能性もあったからである。


 レーベンヒェルム領に侵攻して五日が経ったころ、ついにアーロンは主君に撤退するべきだと申し出た。これだけ勝利を重ねたのだから、交渉して有利な条件で和平を引き出すべきだと。

 しかし、マグヌスは進軍を続けた。彼は、侵攻作戦の為に、多くの借金を重ね、多くの権益を手放していた。具体的な報酬をなにも得られなかったでは、侵攻した意味がなかった。

 そして、もしも明確な戦果をあげずに撤退すれば、用済みと判断されて、西部連邦人民共和国や緋色革命軍マラヤ・エカルラートに処断されるのではないか、そんな恐怖が彼を駆り立てていた。


 木枯の月(一一月)一九日。マグヌス・ソーンの、運命を決める日がやってきた。

 正午から降り始めた雨が上がり、午後の太陽光が雲の切れ間から射す。ソーン領軍は、ドーネ河近郊で、ついに探し求めたレーベンヒェルム領軍総司令官セイを見つけた。

 薄墨色の髪と葡萄色の瞳が目立つ少女は、千騎ほどの騎兵大隊を率いて待ち受けていた。


「マグヌス・ソーン侯爵とお見受けする。我が名はセイ。レーベンヒェルム辺境伯より兵権を預かる者だ。いざ尋常に勝負しよう」

「うひゃ、あひゃ、あひひひ。お前たち、あの女を私の元まで引きずってこい。褒美は思いのままだぞっ。突撃――!」


 これまでの鬱屈うっくつを晴らすかのように、五万の兵士は地を踏みならして突撃した。

 美しい獲物を狩ろうと、第五位級契約神器が操る巨人の軍勢が咆哮をあげ、騎兵や武装馬車が畜生の群れが如く追いすがり、槍や剣を手にした雑兵たちが餓鬼のように後に続く。


「やれやれ、まるで百鬼夜行だ。でも、夜は必ず日の出と共に明けるんだ。そして、星は見えずとも――あのひとに寄り添い続ける」

「我が無敵の軍団よ。永遠に語り継がれる悠久の勝利をここに!」

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