第117話(2-71)マグヌス・ソーンの侵略

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 ソーン領先代領主夫人の実弟に、マグヌス・バンデッドという野心家がいた。

 彼は、時を遡ることおよそ一年前、復興暦一一〇八年/共和国暦一〇〇二年の夏に、義兄の跡を継いでマグヌス・ソーン侯爵となった。

 侯爵家の血を一滴も引いていないマグヌスは、西部連邦人民共和国の後ろ盾を得るや、有力な当主候補であった先代領主の甥、アネッテ・ソーンの父を襲撃して抹殺し、当主の座を簒奪さんだつしたのだ。

 アネッテだけは、従者にして後の夫であるリヌス、そして冒険者ニーダル・ゲレーゲンハイトの手を借りて逃亡したものの、彼女を除く侯爵家一族は例外なく粛清しゅくせいされた。

 マグヌス・ソーンは、力ずくで領主の座を奪ったが故に政治基盤せいじきばんもろく、西部連邦人民共和国やナロール国といった海外国家の力を借りて、領内を強引に統治していた。

 かつては精強を謳われたソーン領騎士団も、反乱を起こすのではないかと警戒されたことから、ある者は処刑され、ある者は自ら野に下って、見る影もなく弱体化してしまった。


 復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年晩秋。マグヌス・ソーンがレーベンヒェルム領に侵攻した際、彼が率いるソーン領軍五万余は、騎士とは名ばかりの賄賂で地位を買った金満家の素人百余人と、無理やり徴発された民兵三万人、共和国出身者を中心とする外国人傭兵二万人によって構成されていた。

 こういった理由から、マグヌス・ソーンは、共和国人やナロール人たちを過剰に優遇した。ソーン領では、外国人傭兵による民間人への暴力事件が絶えることなく、しかし報道や抗議は『外国人への偏見を招くため違法である』と弾圧された。時には、目前で略奪や暴行が行われてなお、官憲が止めようともしないばかりか、加害者側に味方せざるを得なかったというのだから末期である。

 マグヌス・ソーン侯爵は、憤怒ふんど怨嗟えんさの声がうずまくソーン領の惨状にも関わらず、西部連邦人民共和国やナロール国に”屈指の名君、理想の領主”と持ちあげられて、意気揚々と”有徳の長者、隣人愛の君主”を自称した。

 彼が、同盟を結んだトビアス・ルクレ侯爵、緋色革命軍マラヤ・エカルラート代表ダヴィッド・リードホルムに宛てた手紙には、自己陶酔気味の筆致で以下の様に綴られていた。


「栄光ある我が騎士団が威風堂々、革新と正義の旗をかかげて進軍すれば、民衆の歓喜と賊徒の悲鳴が木霊し、前途には勝利以外のなにものも存在しないだろう」

 

 マグヌス・ソーンは、出兵前の議事録や書簡を確認する限り、レーベンヒェルム領侵攻においても、悪徳貴族から解放すれば、民衆は諸手を挙げて己の支配を受け入れると信じていたふしがある。

 マグヌスと海外国家企業によって好き放題されたソーン領は困窮し、五万人の兵士を養う兵糧を用意できなかったが、緋色革命軍に一カ月分の戦闘糧食を無心して出兵は強行された。

 緋色革命軍司令官ゴルト・トイフェルがソーン領軍の必敗を予想し、彼らを囮にした奇襲作戦をたてたのも無理はなかった。

 しかし、ソーン領軍は、木枯の月(一一月)一一日の夜、領境界に近いストラス村でレーベンヒェルム領軍と会敵して一蹴、初戦を勝利で飾る。


「敵兵、退却しました。我が軍の勝利です!」

「偉大なる私の勝利だ。解放のかがり火として、この村を焼けい!」


 ストラス村周辺を護る守備隊は、領主クロードの死亡という噂に惑乱わくらんされ、総司令官セイも人事不省に陥っていたことから動揺を隠せなかった。

 そのため守備隊は、住民を避難させたのち威力偵察のみを目的に戦闘を行い、一当てするや一目散に離脱した。

 マグヌス・ソーンは、初陣の勝利に高揚し、部下たちに家財の略奪を許可して居住区に火をかけた。死亡者こそ出なかったものの、アヅノ、キツァ、セユタとソーン領軍の進軍先にある町村が同様に犠牲となり、レーベンヒェルム領民の感情は一気に悪化する。これは、戦後に対立を招く一因となる。


「私たちが目指すのは、領都レーフォンだ。悪徳貴族の暴政に苦しむ哀れな民を救出し、我が至尊の名を諸国に知らしめるのだ」

「侯爵様。我が軍は、レーベンヒェルム領軍の二倍以上です。進軍に若干の遅れが見られますし、軍を二つに分けてはいかがでしょうか?」

「馬鹿か、貴様は。もしも分散して各個撃破されたらどうする。戦力は集中して運用するものだ。それでも古参の参謀か、無能な豚め。歩兵たちを急がせろ」


 マグヌス・ソーンは、病的なほどに兵力を一点集中させ、手元に置くことに拘った。

 彼の配下である兵士の四割が外国人傭兵で、六割が民兵である。彼なりに裏切りや逃散を恐れたのかもしれない。しかしながら、集団は数が多ければ多いほどに、比例して移動速度が遅くなる。

 ましてやソーン領軍の場合、騎馬兵も、歩兵も、弓兵も、補給員も、契約神器を保有する盟約者も一緒くたに長蛇の列で歩いたため、行軍は遅々として進まなかった。

 翌一二日の夕刻。攻めるソーン領側が貴重な時間を浪費していた間に、守るレーベンヒェルム領はクロードの生存が確認され、領軍総司令セイも復帰した。

 セイは他の幹部たちと協力し、作成途上だった作戦計画を徹夜で完成させた。


「狙うのは撹乱かくらんだ。危うければ姿を見せるだけでいい。中隊規模で連続した波状攻撃をかけるぞ」


 領都レーフォンに五千の兵を残し、残る一万五千の兵を、一〇〇人程度の部隊一五〇組に分けて、迎撃のため各町村と要所に配置した。

 領軍幹部の一人で、元オーニータウン守備隊の一員であったイヌヴェは、立案された防衛作戦に懐かしい痛みを思い出した。


「セイ司令。ひょっとしてこの作戦は――」

「イヌヴェ、気づいたか。これは私達がオーニータウンで手を焼かされた、ゴルトの戦術を翻案したものだ。あの時は私達が補給を絶って、棟梁殿が支援勢力を切り崩して無力化した。しかし、遠征軍を率いるマグヌス・ソーンには、この手は使えない!」


 ゴルト率いる山賊部隊は、周辺の地形を利用して神出鬼没の用兵を見せた。

 セイが釣りだすまで、一度として彼の影を捉えることができなかったのだ。

 サムエルもまた苦笑いしながら、部隊の人員割り振りをチェックしていた。


「お見事です。しかし、改めて見ると、五千の兵は残しすぎかもしれません」

「サムエル、あのゴルト・トイフェルが好機を逃すはずがない。緋色革命軍は、きっと奇襲をかけてくる。西部連邦人民共和国が支配する十竜港への備えも必要だ」

「今度こそ、あの男には勝ちたいですな」


 しかし、セイの警戒にも関わらず、ゴルト・トイフェルは動かなかった。否、ダヴィッド・リードホルムによって、行動を阻害された。

 もしもレーベンヒェルム領が混乱していた一一日から一二日にかけて、緋色革命軍が十竜港を経由、領都レーフォンを奇襲していれば、被害は甚大なものとなったかもしれない。あるいは逆に、セイたちがゴルトを討ちとって、内戦終結を早めた可能性もあっただろう。

 いずれにせよ、歴史にもしもはなく、木枯の月(一一月)一三日の明け方から、レーベンヒェルム領の反撃が始まった。

 レーベンヒェルム領の中隊は、時に合流し、時には分散しながら、連携してソーン領軍に攻撃を加えた。雨季のスコールを利用して忍び寄り、待ち伏せして狙撃し、見通しの悪い要所で罠をしかけ、即座に馬や加速呪文を使って離脱する。これをひたすらに繰り返した。

 この一撃離脱戦法には、ヨアヒムたち先遣隊がマラヤ半島から少数持ち帰り、修理と改装を施した一輪鬼ナイトゴーン改め、四輪機オボログルマが八面六臂はちめんろっぴの活躍を見せた。

 オボログルマは、転倒防止のために補助輪として前輪を一つ、後輪を二つ。更に重心を安定させる荷台を設置したことで、特色である三次元機動は難しくなったものの、兵員輸送車としては破格の速度と利便性を発揮した。


 マグヌス・ソーンは、鎧袖一触とばかりに逃げ散るレーベンヒェルム領軍に高笑いした。


「ふはは。戦力の逐次投入を行うなど愚策も愚策。所詮は小娘よ、戦を知らん!」


 セイは、ソーン領軍を巧みに決戦の地へ誘導しながら、指揮を執り続けた。


「間断なく攻撃を続けるんだ。損害は与えずともいい。決して主導権を敵に渡すな。どれほどの大軍も、いつまでも戦い続けることはできない」


 両者はかくして決戦の地、ドーネ河に至る。

 時に、復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 木枯の月(一一月)一九日。

 レーベンヒェルム領とソーン領の雌雄を決する戦が始まった。

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