第116話(2-70)生還
116
復興歴一一一〇年/共和国歴一〇〇四年 木枯の月(一一月)一二日夕刻。
クロードを乗せたヴァリン領艦隊の駆逐艦が、領都レーフォンに近い中規模港ディダへと入港した。
ソーン領軍への対応を放置したまま医務室で壁を眺めていたセイは、生存の情報が入るや化粧もせずに馬に飛びのって走り出し、レアもまた病み上がりを押して領主館から駆けつけた。
エリックが選りすぐった警備隊員と、黒虎姿のアリスが警戒する中、ソフィに支えられてクロードが船から桟橋へ降りてくる。
「棟梁殿っ」
「領主様!」
セイは駆け寄ろうとして硬直し、レアはクロードにすがりついて膝をついた。――彼は、両の腕が無かった。
「ソフィ・”ファフナー”! 貴女は、いったいなにをしていたのです?」
「レア、僕の勝手が招いたことだ。責める相手が違う」
「そうじゃないたぬ。クロードはたぬを庇って怪我したぬ。たぬが悪かったぬ」
レアは、クロードを傍らで支えるソフィの襟首を掴み、赤い瞳からポロポロと涙を流した。
ソフィは、唇を動かそうとして動かせず、沈黙を続ける。黒い瞳から一筋の雫がこぼれた。
アリスは、その光景を見て、レア、ソフィ、クロードの三人を包みこむように丸くなった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。領主様、私は肝心な時にお役に立てなかった」
「レア、何を言ってるんだよ。なんかよくわからないけど、助けてくれただろう?」
アリスの身体に抱かれながら、レアはソフィとクロードを抱いて号泣していた。
「……馬鹿は、私だ」
セイの胸に炎が灯る。不甲斐ない己への怒りが、熱となって血潮を全身に押し流す。
ソフィは、アリスは、クロードを生還させた。レアも、きっと何かを――倒れるほどの何かを行っていた。顧みて、彼女自身はどうなのか?
「棟梁殿」
「セイ、皆になんとか言ってやってくれ。セイが止めたのに、僕が馬鹿を――むっ」
セイは、なだめようと右往左往するクロードの唇を奪うように、キスをした。
甘く、溶けて、焼けつくような、熱を味わう。
「せ、セイ。し、舌、いま、したが」
「棟梁殿。……クロード、愛しているよ」
「セ、セイ? 何を言って」
「すぐに戻る。連中に目に物みせてやる」
セイは再び馬に飛び乗って、領軍司令部を目指した。
会議室にはもう誰もいない。サムエルが、ロロンが、イヌヴェが慌ただしく指示を飛ばす練兵場へと走って、兵士たちの前で深々と頭を下げる。
「勝手をしてすまなかった。私は、役目を放棄した。司令官失格だ!」
レーベンヒェルム領の誰もが、未曾有(みぞう)の混乱の中で、己が責務を果たそうともがいていた。にも関わらず、セイだけが愛する男に託された役目から目をそむけて逃避した。
「私の大好きな男が重傷を負わされた。だから、仇を討ちたい。どうか皆の知恵と力を貸して欲しい」
セイの耳に笑い声が聞こえた。
恐怖が刃となって、彼女の心を切り裂いた。メッキがはげたのだ。皆に称えられる姫将様なんて、どこにも居やしない。ここにいるのは、負けて生き延びてしまった敗残者だ。ただのちっぽけな女の子だ。
きっと罵倒されるだろう。蔑まれるだろう。それでも、彼女はどうしてもやりたいことができたのだ。
しかし、彼女が顔をあげた時、笑い声にかけらも悪意など宿ってはいなかった。
「セイ司令、何を言ってるんですか」
「貴女のお帰りを待ってました」
「一緒に侵略者どもを叩きだしましょうや」
「あ、ありがとう!」
かくして、ただの恋する女の子は、再びレーベンヒェルム領の軍事を束ねる座へと戻る。
それは、レーベンヒェルム領史に残る大逆転劇、ドーネ河の戦いが起きる一週間前のことだった。
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