第99話(2-53)侍女と暗殺人形

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「イスカって、誰のことだ? ……あ、アリス殿の親友か!?」


 セイが予想もしなかった名乗りに気を取られた瞬間、三番と名乗った少女はマスケット銃を撃ちはなち、駆け寄ろうとしたレーベンヒェルム領兵士二人の脚をわずか一弾で穿ちぬいた。

 彼女は、袖から放った鋼糸をトビアス・ルクレにからみつかせて死地から引きずりだすと、背負ったマスケット銃を次々と使い捨てながら撃ち放つ。

 まるで花が咲くように白いマズルフラッシュが焚かれ、木々の葉が舞うごとく黒の煙が甲板を覆ってゆく。轟音が響くたび、レーベンヒェルム領兵は手足を撃ち抜かれて転倒する。

 少女の乱入によって、極めて限定的ながらも甲板のわずか一区画に限っては、攻守が完全に逆転したのだ。


「セイ様、さがってください。彼女は、危険です!」


 見えないはずの煙の中を、レアは的確に突っ切って、三番の少女へと挑みかかった。


「あちち、やるねえ。侯爵のおっさん、早く転移魔術の巻物で逃げちまえよ」

「さっきからやっておる。術者に妨害されてるんじゃ!」


 レアははたきで打ちかかるも、三番目の少女は弾切れになったマスケット銃を投げ捨て、ナイフを引き抜いて応戦する。


「降伏してください。イスカちゃんのお姉さんと言いましたね。こちらは貴方達の命まで取るつもりはありません」

「こわいこわい。レアさん、イスカはアンタを褒めてたよ。優しくて、なんでもできるステキなひとだってさ」

「そのイスカちゃんのお姉さんがどうしてルクレ領に味方するのですか?」


 少女のナイフが円を描いてレアの鼻先をかすめ、レアは布つき棒で凶器をいなしながら少女の胸元を狙う。

 二人の奇妙な剣戟は煙を裂いて続き、火花を散らしながら舞い踊った。


「事情があるんだ。そっちもそうだろう? アンタ、いったい何者なんだ?」

「領主さまに仕えるメイドです」

「嘘だね……! 情報ってのは、その気にならなきゃ得られないものでね。無邪気なイスカにとって、アンタは素敵なおねえさんだ」

「嬉しい言葉です」

「けどね。こうして薬物と魔術で強化されたあたしと互角に斬り結び、いまじゃ珍しい鋳造魔術の使い手で、十人分の事務作業をひとりでこなして、ダンジョンから掘りだした資材から育苗機を組み上げる手腕の持ち主。ねえ、おねえさん、ただのメイドと言うには、いくらなんでも万能すぎやしないかい? いったいアンタは何者なのさ?」


 レアは、少女の問いかけに答えられない。


「アンタは強すぎるのさ。まるでニン……」

「レア殿、合わせてくれ」


 問答の途中、海風によって煙がわずかに晴れて、セイが太刀を手に突っ込んできた。

 二人が十字に重ねた攻撃に、少女はかろうじてナイフで捌いたものの、太刀とはたきを受け止めきれずに得物を落として体勢を崩す。


「レア殿の強さが不思議か? ならば、人生の先達として教えよう。女の子は恋をすることで強くなる!」

「こ、コイだって!?」


 予想外の言葉に少女は動揺する。周囲を見渡せばルクレ領の兵士たちは皆拘束されてしまっている。

 残されたのは、茫然自失といった風のルクレ侯爵と、桃色髪の少女だけだ。そろそろ潮時かと彼女は覚悟を決めた。


「イスカ殿の姉君。貴殿の名前は何と言う?」

「あいにく名前を許されない身分でね。三番目ドライでも、オニンギョウでも、好きに呼ぶといい」


 少女の返答に、セイは青に染まりつつある濃紫の空を見上げた。星はすでに見えず、しかし薄い三日月がいまだ天に座している。 


「月は、貴殿にははかなげで似合わないな。ミヅキ、……ミズキ。よし、今後私は貴殿をミズキ殿と呼ぼう。白い花を満面に咲かせる美しい木の名前だ」

「……。ありがとう。もらっておくよ。そして、ごめん」


 謝罪は、誰に向けたものだったのか。

 少女、ミズキは、水夫服の胸ポケットから掴みだした魔符を噛み破った。

 瞬間、巡洋艦の船内数か所で火の手があがり、彼女はルクレ侯爵の襟首を掴み、爆音に乗じて海へと身を躍らせる。


「ミズキ殿、命を粗末にするな!」

「セイさん、薄幸の美少女だと思った? 残念、あたしって諦め悪いんだよ。レアさん、また闘おうね。今度は勝ってみせるから」


 ミズキが落下したのは、接舷したレーベンヒェルム領のダウ船だ。船体から伸びた一本マストを蹴って、巡洋艦を包囲する他の船へと飛び移ること数回、遂には転移魔術妨害の範囲内から脱して、ルクレ侯爵と共に蒼穹へと消えて行った。


「……ミズキ殿。自ら美少女を称するとは、なんて残念な娘だ」

「そして、恐ろしい娘でした。ですが、セイ様、彼女に命を奪われた兵は一人もいません。それだけは、助かりました」

「機密であった銃の流出、ルクレ侯爵の捕縛失敗、ミズキ殿――。いくつかの懸念はあるが、巡洋艦は無事奪取した。皆の者、勝ち鬨をあげよっ。我々の勝利だ!」


 昇陽が照らし出すボルガ湾に、雷鳴もかくやという歓声が響き渡った。


 ボルガ湾海戦は、レーベンヒェルム領艦隊が商船三隻が沈没し、流れ弾を受けた多数の商船、海賊船が小破、中破したものの、ルクレ領艦隊の旗艦である巡洋艦”海将丸”を拿捕だほ、駆逐艦、戦闘艇、武装商船合わせて七隻を轟沈させるという大勝利に終わった。

 ミズキの爆破によって、”海将丸”は一か月程度の修理が必要となったが、航行には辛うじて問題なく、無事領都レーフォン近くの港に繋がれた。

 領都レーフォンは、セイの勝利に沸いて喝采が木霊した。セイも、ロロン提督も、サムエルも心地よい眠りに就くことができた。この日までは……。


 翌日、木枯の月(一一月)一一日午前。

 領境界を偵察中のイヌヴェ隊から、ソーン領の騎士団が侵攻中との急報が入る。その数、なんと五万人。続けて役所に入った急報が、レーベンヒェルム領軍を震撼させることになる。


「グェンロック領と相対中の緋色革命軍マラヤ・エカルラートですが、一部が反転して南進、マラヤ半島の先遣隊との連絡が途絶しました」

「棟梁殿に救援を送る。船の準備を急げ」

「大型船の飛車丸、角行丸は沈没。中型以上の商船はいずれも中破しています。小型船のピストン輸送では、どれだけの時間がかかるかわかりません。セイ司令、そもそもうちの領軍は二万です。五万の敵を相手に軍を分ける余裕はあるのですか?」

「ゴルト・トイフェル。これが、本当の狙いだったのか」


 破滅の音は止まらない。宿命の輪は廻り続ける。ただひたすらに。

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