第十章 決戦! 魔術塔”野ちしゃ”
第180話(2-133)悪徳貴族と処刑人の来訪
180
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)二○日。
レジスタンスがアルブ島を制圧し、囚われていた政治犯たちを救出したことは、ルクレ領とソーン領に大きなうねりをもたらした。
作戦成功をきっかけに、
楽園使徒とは、レーベンヒェルム領との戦で弱りきった二領を外国人が
反発を強める二領の民衆に対し、楽園使徒は思想警察と軍を兼ねた特殊部隊、
一度火が点いたレジスタンスの勢いは留まるところを知らず、海岸沿いの町や村を次々と奪還して辺境に一大勢力を築き始めた。
風雲急を告げる情勢下で、楽園使徒代表であるアルフォンス・ラインマイヤーが何をやっていたかというと……。
ソーン領南部にある標高二〇〇〇メートルの断崖絶壁に建つ魔術塔の一室で、優雅に酒を飲んでいた。
「懲罰天使の豚共も、つまらない報告を聞かせてくれるよ。名前も覚えていない街や村が奪われたところでどうだっていうんだ」
アルフォンスは右手で弄んでいたワイングラスをテーブルに置いて、金色に染めた前髪をかきあげた。じゃりんと金属のこすれる音が鳴る。彼の左手からは二本の鎖が伸びており、四つばいになった幼い少女と妙齢の女性がつけられた首輪に繋がっていた。
「どうせ月末にはレーベンヒェルム領との婚姻同盟が成立する。そうしたら、おバカな悪徳貴族の軍を利用して一網打尽にしてやるさ。お前たちのおかげで、ね」
アルフォンスが靴の爪先で、幼い少女のあごを持ち上げた。彼女のふわふわとした鳶色の長い髪が揺れて、藍色の瞳から涙がこぼれおちる。
しかし、彼女の傍に寄り添う栗色の髪の女がそっと抱きしめて、アルフォンスの悪意から庇った。
「俺サマがいつエステルを愛でるのを邪魔しろと言った。ああっ、アネッテ!?」
「貴方がやっていることは虐待です。こんな幼子に、恥を知りなさい」
「劣等民族がっ。俺サマの温情で生かしてやっているのを調子にのりやがって。お前こそ身の程を知れ」
アルフォンスは壁から乗馬鞭を掴み取り、アネッテをさんざんに打ちすえた。
彼女が着た薄い絹のドレスはたちまちのうちに裂けて、白い生地が血で赤く染まった。
アネッテは苦痛に顔を歪ませつつも、濃灰色の瞳をアルフォンスから逸らさなかった。
「やめ…てぇ。アネッテに、ひどいことしないで」
エステルが必死にすがりつこうとするも、アルフォンスによって容赦なく蹴り飛ばされる。
ひとしきり二人に暴力をぶつけ、どれだけ時間が経っただろうか?
台風の如く荒れ狂っていたアルフォンスも息をきらして水を飲み、椅子にどっかと腰をおろした。
「お前たちの飼い主が誰なのか。もう一度教えてやらなきゃいけないようだな」
アルフォンスは肉とパンを下品に頬張り、ぐちゃぐちゃと音を立てて噛み砕き、ペッと皿の上へ吐き出した。彼は
「さあ食えよ。エステル、アネッテ。お前たちの今日の飯はコレだ」
エステルとアネッテは沈黙を守ったが、それがいっそうアルフォンスの神経を逆なでした。
「さっさと食えって。でなきゃ、お前たちの大事な使用人の首をひとりずつ斬り落としてやるぞ!」
アルフォンスが金切り声をあげた時、不意にノックの音が響いた。施錠されていたはずのドアがゆっくりと開く。
「貴様、何をしている」
「だ、誰だお前は?」
部屋へ入ってきたのは、灰色の髪をオールバックになでつけ、西部連邦人民共和国の軍服を着た年齢不詳の男だった。
おそらくはまだ中年に達してはいないだろう。しかし頬に深い裂傷を負い、まるで死人のように青白い肌をした彼は実年齢以上に老けて見えた。
「パラディース教団粛清部隊所属、元”処刑人”――オズバルト・ダールマンだ」
「うひ、ひひっ。共和国から先生のおこしですか。俺はアルフォンス・ラインマイヤー。栄光ある楽園使徒の代表です」
「知っている。私は、今、何をしているのかと貴様に聞いたのだ」
オズバルトの威容に押されて、アルフォンスはうわずった声で答えた。
「こいつらイヌコロの癖に貴族なんてぬかして、我々選民に対して差別的な態度をとったんです。だから、曲がった性根をまっすぐ躾けていたところです。そうだ、先生も見ますか? 今その二人にエサをやろうとしていたんです」
アルフォンスが指さした皿上の汚物を見て、オズバルトの黒い濁った瞳が
「ゲスが」
鋳造。という短い言葉を唱えると同時に、オズバルトは何処からか右手に現れた棍棒でアルフォンスの顔面を殴打した。
「ぎゃひっ。お、おい。俺サマを誰だと思っているんだ? 偉大なる西部連邦人民共和国の血を継ぎ、パラディース教団の意向を受けた楽園使徒の代表――」
「知らなかったのか。西部連邦人民共和国において、教団員以外の人間はゴミだ」
オズバルトは泣きわめくアルフォンスの耳障りな言葉をさえぎるように、胴へと重い一撃を突きこむ。
「ごぱっ」
「ゆえに今から私は、ゴミを処分する」
切り裂くようなオズバルトの剣幕に、アルフォンスは失禁していた。彼にはまるで現実感が感じられなかった。ただ激情と虚栄の赴くままに叫びをあげる。
「来い。第六位級契約神器ルーングラブ。俺サマを助けろぉおっ」
アルフォンスの求めに応え、彼の両手に金で縁どられた革の手袋がはめられる。その契約神器が光を放つと、オズバルトが握っていた棍棒は彼の掌中へと移っていた。
「ひひっ。ルーングラブの能力は相手の武器を奪うもの。先生、あんたの契約神器はこのとおり、もう俺サマのもんだぁ」
「敵と戦った経験もないのだな? 鋳造」
「ひぇっ」
アルフォンスが掴んだ棍棒が消えて、オズバルトの手に今度は鉄鞭が現れた。
悲鳴混じりにアルフォンスが鉄鞭の一打から逃れ、部屋に飾られた鏡や装飾品をエステルとアネッテに向けて投じるも、オズバルトの手から今度は大きな盾が生じた。
アルフォンスの心は真っ二つに折れて、脱兎の如き勢いで部屋から飛び出した。
「ひいいいいっ。こんなのインチキだ。反則だあ」
逃げ出したアルフォンスが階下で見た光景は、まるで
その間に、ピエロはまるで童話の死神が持っていそうな大鎌を振るい、懲罰天使たちの頭を次々と刈り落とした。まるでトマトをぶちまけたように、生首がゴロゴロと柔らかな絨毯の上を転がってゆく。
「おおっ。あんたがアルボンヌちゃん? あ、違ったかな。
アルフォンスは涙と鼻水と尿を垂れ流しながら走り去った。彼の栄光の象徴だったはずの魔術塔は、あっさりとオズバルト一党の手に落ちた。
「貴婦人方の前で無礼な振る舞いを見せたことをお詫びする。以後、お二人がクローディアス・レ―ベンヒェルムの元へ赴かれるまで私と部下がお守りしよう」
「ありがとうございます」
「あ、ありあとう。おいちゃん」
「レディ。申し訳ないが、礼には及ばない。私と部下が本国から受けた命令は、偽者のニーダル・ゲレーゲンハイトの抹殺だ。貴女達は彼奴を招き寄せる為の餌になってもらうのだから」
「それでも、私とエステルちゃんを助けてくださって、ありがとうございます」
オズバルトはエステルに上着をかけると、アネッテに医者を呼ぶと告げて部屋を出た。
ピエロ服を着た青年が血塗られた大鎌をふりふり、陽気に鼻歌を歌いながら何名かの共和国軍人を引き連れて階段を上ってきた。
オズバルトは兵士たちにエステルとアネッテの二人を託すと、階段近くの一室に大鎌をもった青年を招き入れた。
「ライナー、掃除は終わったようだな」
「へいへい。楽勝でしたよ。なにが難攻不落の魔術塔だ。レジスタンスの連中ものろのろせずに、さっさと攻め落とせば良かったんだ」
「そう言うな。友軍として一本道を散歩してくるのと、敵として矢雨の中を近づくのでは難易度が違う。それに、レジスタンスはどうやら私のマラヤディヴァ上陸を阻止しようとしていたからな」
「ああっ。だから来る時に珍しく囮なんて立てたんですかい?」
ライナーの問いかけに、オズバルトは頷く。
次の瞬間、彼は身体を”く”の字に折って、ハンカチで顔を覆いせき込み始めた。発作じみた咳が治まるまでに、数分の時間がかかった。
「待たせたなライナー」
「いいえ、御頭、身体をいたわってください」
「偽者のニーダルを討ち果たしたら、休暇でも貰うさ。作戦会議を始めようか」
オズバルトが折りたたんだハンカチは、真っ赤な血で濡れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます