第379話(5-17)首都の日々

379


 ダヴィッド・リードホルムと緋色革命軍残党の苛烈な圧政下に置かれていた首都クランの民衆は、諸手を振って大同盟を迎えた。町は荒れ果て、そこかしこに略奪や惨劇の生々しい痕跡こんせきが残っていた。しかし――。


「クローディアス・レーベンヒェルム万歳!」

「ヴァリン公爵閣下、よくぞ駆けつけて下さいました」

「あれが会戦の英雄、マルク・ナンド侯爵……」


 クロードが鮮やかに人質を救出したことと、同盟軍による華麗な制圧劇が、塗炭とたんの苦しみにあえいでいた民衆を熱狂させた。

 とはいえ、喜ぶ者ばかりではなく、軍隊の占領に怯える者や略奪を怖れる者も居たのだが……。


「ようし、ロビン君、ラーシュ君。炊き出し行くぞっ」

「は、はい。ご一緒します」

「マル姉直伝の蕎麦なら、ちょっと自信があります」


 悪名高いクローディアス・レーベンヒェルムが率先して炊き出しを行ったことから、怯えていた群衆も次第に慣れ親しんでゆくこととなる。


「あ、あなたは、以前来られた変わった服のお客様じゃないか。そうか、貴方が辺境伯様」

「まさか、あ、あの時、店を訪ねてくれた新婚さんか?」

 

 また民衆の中に、かつてクロードと縁のあった人々がいたことも、良い影響を与えただろう。


「すごい。やっぱり辺境伯様のおしゃれは違いますね」

「お、大人だなあ」


 クロードが当時着ていた服が、世紀末モヒカンファッション、あるいは山賊そのいちのような突飛な服装であったことは内緒である。


「うん、忍んでいてもわかる男らしさ、参っちゃうね。明日も、また来てね!」


 強引に話を切り替えて、クロードはなんとか威厳を保つことが出来た。

 最初は粥やスープといった単純なものから始めた配給メニューだが、算盤をはじく女性陣の勧めもあって、レーベンヒェルム領名物の野菜料理、ソーン領名物の酒料理、ユーツ領名物の蕎麦と独自のカラーが強くなっていった。

 配給による食事の印象は強く、やがて首都クランが復興した後には一大ブームを引き起こすことになる。

 そうやってクロード達が民衆を慰撫いぶしていた頃、マルグリット・シェルクヴィストが率いる部隊は、町の各地に看板を立てて、広報と治安の維持に努めていた。


「皆さん、テロリストの思想教育や奴隷制、強制移住といった悪法はすべて撤廃します。大公様が帰還されるまでは、――〝人を殺す者、人を傷つける者、盗みを働いた者を処罰する〟仮の法を敷きます」


 ここで重要なのは、従来の法律に戻すのではなく、仮の法を敷いたことだろう。

 国主ユングヴィ大公が主導した施策であり、首都の混乱を防ぐ臨時措置であったが、……同時に重要な意味が隠されていた。

 即ち、従来の法律との決別。

 言い換えるならば、十賢家という古い社会制度の解体を意味していた。


「バッツ兄さん、改革派の皆。私達の願いが叶おうとしているよ……」


――

――――


 首都駐留軍の仕事は多岐に及んだ。

 町の維持や民衆との折衝せっしょうも勿論だが、緋色革命軍マラヤ・エカルラートに奪われていた戸籍や地図、その他膨大な資料の確保もそのひとつだろう。

 出納長アンセル・リードホルムは、第六位級契約神器ルーンボウ〝光芒〟の機能と一〇〇人もの魔術師を動員して、機密書類を片端から書き写していた。

 かなりの無茶を続けているのか、トウモロコシ色の髪はつやを失い、緑色の瞳も真っ赤に血走って、頬のこけた顔は幽鬼のようだ。

 資料の運搬を担当する参謀長ヨアヒムは、寝食を忘れて仕事に没頭するアンセルに軽食を差し出した。


「アンセル、ちょっと休むっす。ちゃんと食わないと身体を壊すっすよ」

「ヨアヒムか、助かるよ。……って何これ!?」

「栄養たっぷりのゼリー料理っす」


 ヨアヒムが青錆色の瞳を悪戯っぽく細めて差し出した皿の中には、徹夜の眠気が吹き飛ぶほどに生臭いウナギのゼリーよせが入っていた。


「ゲテモノ食いの参謀長、お前の料理の趣味はさっぱりわからない。他の料理はないのか!?」

「なんならこの鞄の中には、セイ司令が作った乾パンがあるっすよ」

「やめて死んじゃう。それ食べられるのは辺境伯様だけだから」


 割と酷い言い分である。


「で、グルメ好きの出納長殿は、大好きな炊き出しにも参加せずに、何やってるんですか?」

「見ればわかるだろう。国主様の依頼だ。必要な書類を確保している」

「おれっちが聞きたいのは、持ち出すのではなく、わざわざ写しを作っていることっす。……本音は?」


 アンセルは気まずそうに視線を逸らした。


「戦後の優位に立つためだ。ここからは国力による主導権の取り合いになる。参考資料として確保しておきたい」

「ちゃっかりしちゃってまあ。今急がずとも、ヴァリン公爵が後で公開するって言っていたじゃないすか」

「ヴァリン公爵には大変世話になったけど、あの人もあれでタヌキだぞ。現にこの内戦で、ヴァリン領は一度も焼かれていないんだ」


 艦隊や兵士こそ失ったが、もっとも傷を負うことなく戦禍を乗り越えたのはヴァリン領だろう。

 穿ってみれば、ヴァリン公爵はレーベンヒェルム領の後ろ盾となることで、都合良く戦況をコントロールしたという見方も出来るのだ。


「さすがに、悪くとらえすぎ、考えすぎじゃないっすか?」

「なあ、ヨアヒム、ぼくは昔、悪徳貴族さえ除けば幸福な結末があると信じていた。それじゃ駄目だったんだ。どんな可能性も考えてみるべきだろう」


 アンセルとヨアヒムにとって、否、レーベンヒェルム領で働く者達にとって苦い思い出だ。

 領をとりまく事情は、そんなに容易いものではなかった。

 領役所職員は、領軍の兵士達は、経済植民地だった領を自らの手に取り戻すために、憎んでいたはずのクロードと手を取り合って共に歩き続けたのだから。


「リーダーが荒れ果てていた領を立て直したら、次は国が滅ぶまで秒読み状態っすもんね。まったく世の中は面倒くさいっす」

「うん。きっと兄さんは、そんな面倒くさい現実から目を背けて、お花畑の夢に溺れたからああなった」


 アンセルは、物事を単純化して都合の良い妄執を至上のものと尊んだ兄、ダヴィッドのことを、まだ心中で整理できていない。


「ぼくは、今クローディアス・レーベンヒェルムを名乗っている主君をちゃんと送り出したいんだ。何があったか知らないけど、最近は死相も消えたし、笑ってお別れを言いたいんだ」


 そのために、できることをしたいのだと、アンセルは微笑んだ。


「そういうことなら手伝うっすよ。あれ?」

「なんだ、これ?」


 アンセルとヨアヒムの顔に緊張が走る。

 ごちゃまぜになった資料の束には、マラヤディヴァ国のものだけでなく、緋色革命軍の軍事機密書類も多く含まれていた。

 そのひとつである、物資の移動記録に奇妙な痕跡があった。


「緋色革命軍、いやネオジェネシスから複数の第三国を経由して、レーベンヒェルム領に大量の物資が渡っている?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る