第278話(4-7)悪徳貴族の瞳

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)一五日。

 高山都市アクリアは歓喜の声に包まれた。

 緋色革命軍マラヤ・エカルラートによる公開処刑から一転、侯爵令嬢ローズマリー・ユーツが帰還して街を解放したのだ。

 町民たちは、広場の処刑設備を粉々に砕いて火にくべ、焚き火を囲んで歌を唄い、手に手を取って踊り始めた。

 歌も踊りも、素直な感情の表現すらも、緋色革命軍によって革命的でないと禁止されたものだった。彼らはようやく自由を取り戻したのだ。

 ローズマリー・ユーツは感極まった領民たちからもみくちゃにされて、代官を倒したクロードもまた町中の女の子から抱擁やキス、花束などを受け取った。


「たぁあぬうっ!」

「待てアリス。話せばわかる。落ち着いて」

「バウッ(不埒死すべし慈悲は無い)」

「ってそっちもぉ!」


 クロードは上機嫌に鼻を伸ばしたところを、ぬいぐるみじみた格好のアリスにしがみつかれて身動きが取れなくなり、続いて銀色の犬ガルムに容赦なく太ももへ噛み付かれて悲鳴をあげた。

 その一方、颯爽と逃げ出したテルは、そしらぬ顔で街の女子たちに甘えて可愛がられていた。


「かわうそだぁ。こっちへおいで」

「可愛いね。鳴いてるよぉ」

「キュキュキュー♪」

「おにょれテル、お前は今夜の鍋にしてやるぞぉ、ギャー!」


 そうこうしている内に、ラーシュ・ルンドクヴィスト男爵らユーツ領軍と、アンドルー・チョーカー率いる別働隊が到着した。


「ローズマリー様、おれです。ラーシュです! ご帰還おめでとうございます。よくぞご無事で」


 先頭を走る馬から飛び降りたのは、栗色の髪をオールバックにして紐で結わえた利発そうな少年だった。

 ローズマリーの記憶が確かなら、彼はクロードよりひとつふたつ下の、ソーン領のロビンやドリスと同年代のはずだ。

 そのような年若い少年が、緋色革命軍の粛清を潜り抜けて生き延びていた。


「ラーシュ? イーサク・ルンドクヴィスト男爵の長子、ラーシュじゃない。生きていたのね!」

「はい。ヴィルマル・ユーホルト伯爵様が助けてくださったんです。ローズマリー様とまたお会いできるなんて夢みたいです!」


 知己であったローズマリーとラーシュは、再会を喜び合い――。


「コトリアソビ、無事かっ?」

「チョーカー隊長か。た、助けてくれ」

「お、おまっ、キスマークに花束だとぉ。なにしてやがるこの悪徳貴族!」

「な、なんで、敵が増えたぁ?」


 クロードはガルムに噛まれたばかりか、なぜか救援に来たはずのチョーカー隊一同にもボコスカと殴られた。 


「ハハっ。皆の笑顔など久しぶりに見たよ。こうして生き恥を晒した甲斐があったというものだ」


 騒がしい街の様子を見渡しながら、馬車で運ばれてきた中年の男が穏やかに笑った。

 ミーナに支えられて広場に降りた男の体には、むごたらしい拷問の傷跡がそこかしこに刻まれており、右足もあらぬ方向に歪んでいた。


「ここにいるのは、貴方が守った人間たちですよ……」


 ミーナは、彼が負った傷の痛みを少しでも抑えようと皮袋から流れ出る酒精を当てた。

 酒造所を改装した収容所。

 その最奥には、緋色革命軍に対抗したイーサク・ルンドクヴィスト男爵の死後、親友の後を継いでユーツ領軍の精神的支柱となった人物、ヴィルマル・ユーホルト伯爵が幽閉されていた。

 彼の到着に気づいたローズマリーが、ラーシュと共に駆け寄った。


「ユーホルトのおじさま……。こんなに酷い傷を負って」

「いいえ、この程度の傷どうということはありません。ローズマリー様、よくぞこの地に戻られました」

「ええ、ええ。帰って来たわ。このユーツの地をの元に取り戻すために」

「辛い苦難を乗り越えられたのでしょう。大きくなられた」


 ユーホルト伯爵が知る過去のローズマリーであれば、ユーツ家の元に、か、マクシミリアンの手に、と繋げたことだろう。

 かつて家と婚約者に依存していた少女は、わずかな年月の間に見違えるほどに成長していた。


「大同盟から援軍が来たという話は、チョーカーなる男から聞いています。クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯は今どちらに?」


 ヴィルマル・ユーホルト伯爵はそう尋ねながらも、ラーシュ・ルンドクヴィスト男爵と共に固唾かたずを飲んで身構えた。

 クローディアス・レーベンヒェルムが犯した過去の悪行は、マラヤディヴァ国全土に広まっている。その上、緋色革命軍の制圧下にあったユーツ領では、より誇張されて報じられていた。

 二人は、辺境伯が酒を飲みながら女を侍らせ、さながら酒池肉林のような戦勝の宴を催しているに違いないと確信していた。


「ええ、辺境伯さまならそちらにいるわ。ちょっと、大丈夫かしら?」

「む、無念」


 だから、もやしに似た体格の青年がぬいぐるみのような獣を頭に乗せたまま、ボロ雑巾が如き様相で倒れているのを見てポカンと口を開けた。


「げ、激戦だったんですね」


 先ほどまで味方にリンチされていたような気がしたが、ラーシュ少年は気を使ってそう発言した。


「ち、違うぞ。これはフレンドリーファイアだ。おいこらチョーカー、お前いったいどういうつもりだ?」

「はあ? コトリアソビこそどういうつもりだ? 小生たちがせっかく心配していたというのに、肝心の貴様は女子と花に囲まれて上機嫌か? 仕事が終わったら、早くこちらを助けに来ないか」

「兵員の九割を連れて行ってなにを言うんだ。こっちは捕虜の見張りと周囲の警戒で手一杯だよ」


 クロードが率いた高山都市アクリア担当部隊には、もともと最小限の人員しか割り振られていない。

 またクロードが代官を討ち果たした時点で、チョーカー隊が担当する捕虜収容所にユーツ家の旗が掲げられていたため、クロードは隊員たちを領民の慰撫いぶに専念させていた。


「フハハ。正論を言っている様だが、今回は動じないぞ。やいやいコトリアソビよ、そのキスマークは何だ?」

「そういうこともある! チョーカーだってわかるだろう」

「おうよっ。わかるとも」


 クロードとチョーカーは互いの手をぐっと握り、テルもまた親指をあげて賛同した。

 しかし、アリスとミーナとローズマリーは、深海の水温もかくやという冷え冷えとした視線で三人をねめつけた。

 そして、ユーホルト伯爵とラーシュは呆れていた。


「ユーホルト伯爵。おれが以前聞いていた話とぜんぜん違うみたいです」

「……そうだな。今の彼・・・は、悪人ではなさそうだ」


 ヴィルマル・ユーホルト伯爵は、傍系ながらユーツ家の血を引き、侯爵の信頼も厚かった。

 そのため、ユーツ侯爵に同席する形で、過去に一度だけクローディアス・レーベンヒェルムと会ったことがあった。

 ゆえに、クロードが彼の知る残虐無道の悪徳貴族でないことにすぐさま勘付いたが、この場は口を濁した。

 高山都市アクリアと捕虜収容所が解放されたという知らせは、遠からず緋色革命軍に伝わるだろう。

 伯爵は領軍をまとめる最後の貴族として、迎撃の準備に取り掛からねばならない。


「ローズマリー様、このアクリアには非常用の食料庫と広い牧場があり、険しい山岳に守られた天然の要害です。我らが旗下のユーツ領兵三〇〇に、大同盟からの援軍二〇〇が加わった。これだけの兵数があれば、この地に篭もることも容易いでしょう。御身は必ず私達がお守りします」

「おれ、わ、私もローズマリー様に剣を捧げます」


 ユーホルト伯爵の提案は、常識的だった。

 捕虜収容所から解放された兵士たちは、一人の例外もなく重軽傷を負っている。

 つまり、万全の状態で動かせる戦力はまるで増えていないのだ。

 いかにヴォルノー島から選りすぐりの精鋭が集まっているとしても、この寡兵では街の防備を固めた上での篭城がもっとも懸命な選択だろう。

 しかし、クロードは甘えるアリスを胸に抱いて起き上がり、栗毛の少年と傷痍軍人の前に立ってこう告げた。


「ユーツ領軍の方か。悪いが、篭城は出来ない。ユーツ領には、貴方たちの同胞が多く囚われている。彼らが処刑される前に助けたいんだ」


 ユーホルト伯爵もまた、クロードと同じ気持ちだった。

 だが、彼の双肩には死んでいった親友とその部下達の遺志、いま生きている友の遺児と領民たちの命がかかっている。


「私とて戦友たちを救いたい。しかし、我々が選択を誤れば、その時このアクリアの街はどうなる? 今は防衛に専念すべきだ」

「そうです。もしもローズマリー様を失ったら、今度こそユーツ領再興の望みがなくなってしまいます」


 クロードもまた、ユーホルト伯爵とラーシュの言い分が正しいことはわかっていた。

 だが、それでは遅いのだ。今日は未遂で終わった公開処刑は、緋色革命軍の占領下にあるどこかの町で明日また行われるのだから。


「駄目だ。この兵数じゃ守っていても負ける。緋色革命軍の戦力が南北に割かれてユーツ領が空白地帯になっている今こそ、動かなきゃ意味が無いんだ。僕たちは一ヶ月で領都ユテスを解放する」

「ユーホルト伯爵、ラーシュ。お願い聞いて欲しいの。私は、このアクリアだけではなく、私の故郷であるユーツ領を、皆の手に取り戻すために帰って来たの」

「ローズマリー様。残念ながら無謀です。ユーツ領は険峻けんしゅんな地形ゆえに守るに易く攻めるに難しい。東方のユテスへ出るためには、オトライド渓谷を川沿いに進まなければならない。あそこに築かれた関所が封鎖された時点で、我々には打つ手がなくなる」

「ならば、僕たちが陥落させて見せよう」

「へ、辺境伯様」


 自信満々で言い放ったクロードに、年若いラーシュは完全に飲まれてしまった。

 ユーホルト伯爵は、辺境伯を騙る眼前の男を見つめた。

 細い体躯の、冴えない青年だ。しかし、彼の語る夢想のような言葉には、奇妙な熱と力があった。

 取りこぼしてしまうはずの命を救いたい。そんな魔法のような祈りには、すがりつきたいほどの魅力があった。

 だからこそ、伯爵は己の感情に恐怖した。


「クローディアス・レーベンヒェルム辺境伯。貴殿は――」


 そう。ヴィルマル・ユーホルト伯爵は、過去にクローディアス・レーベンヒェルムと面識があった。ゆえに彼は、悪徳貴族の傍で嗤う、一体の契約神器を目にしていた。

 己が手で掬える命をすべて救おうとするクロードの瞳の輝きは、己が手で掴める財宝をすべて抱きしめようとした邪悪なる竜ファヴニルの禍々しい光と、どこか似ていたのだ。

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