第279話(4-8)悪徳貴族とユーツ領の支配者たち

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 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 涼風の月(九月)一七日。

 高山都市アクリアを巡る異常が、遂に領都ユテスに伝わった。

 アクリアの町役場と第八捕虜収容所から届くはずの定時連絡が、一五日を最後にぷっつりと途絶えたからである。

 緋色革命軍から領役所を預かる地区委員長、オットー・アルテアンは部下からの報告を受けるや、長身痩躯の肉体を座椅子に預けて紙タバコを一服した。


「やれやれ、最近はタバコの味もおちたもんだ」


 緋色革命軍の占拠以来、ユーツ領では正常な商取引が不可能になった。

 一の同志ことダヴィッド・リードホルムが差配する産業委員会が、生産の指示と配給を命じる統制経済へと変わったからである。

 無理な制度変更はすぐさま流通に歪みとなって現れ、日用品や嗜好品の供給と品質が一気に悪化した。

 オットーは愛用する紙タバコを咥えながら無精ひげの浮いた口元を歪め、寝癖の残る褐色の髪の下、黒い瞳を天井に向けてたちのぼる紫煙を見つめた。


「百姓一揆でも起こったのかい? いいや、親衛隊は素人が戦える相手じゃない」


 高山都市アクリアと捕虜収容所に駐屯する親衛部隊には、”理性の鎧パワードスーツ”と呼ばれる最新の魔導鎧を配備されていた。たとえ数倍の敵と戦っても容易く殲滅せんめつできる、というのが、軍事委員会の発表だった。

 オットーは、捏造だらけの緋色革命軍広報も、多額の賄賂と引き換えに太鼓もちをする一部外国報道機関も信じてはいなかった。

 だが彼自身が元は武門の出身であり、かつては騎士として一軍を率いた経験もあったため、訓練を受けた兵士と民間人の差を体験で知っていた。


「海の向こうの大同盟がちょっかいをかけて来た? まさかっ。麗しの姫将軍セイと荒くれ者の大海賊ロロンは、我らがむくつけきゴルト司令や暑苦しいヨハンネス提督と海上で小競り合いの真っ最中だ。エングホルム領を突破した上で険しい山脈を乗り越え、高山都市アクリアを陥落させる……そんな無謀で馬鹿な真似をする指揮官なんているものか」


 オットーは己の想像を鼻で笑い、短くなったタバコを唇から離そうとして、不意にポロリと取りこぼした。


「アンドルー・チョーカー」


 それはマラヤディヴァいち非常識な男……と、敵味方から畏れられる、緋色革命軍の裏切り者の名前である。

 オットー・アルテアンは、かつてエングホルム領の士官学校に臨時講師として招かれ、生徒であったアンドルー・チョーカーの面倒をみたことがあった。

 難物だった。名将と呼ばれた父親にはまるで似ず、紙上に兵を談ずと言わんばかりの軽率な発言が目立った。


「たしか口癖が、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する、だったっけ。ボードゲームじゃないんだ。大軍は思い通りになんて動かない」


 アンドルー・チョーカーは、図上演習においてもルール違反というべき想定外の戦術を用いて教官を呆れさせたり、執拗に補給線ばかりを狙って同期の学生たちから嫌われたりしていた。


「ぼくも……そう思っていたんだけどね」


 なるほどチョーカーは理想の騎士には程遠く、模範的な士官としても落第だろう。

 しかし、彼は実戦において貪欲にあらゆる手段を尽くした。緋色革命軍においてはベナクレー丘と領都レーフォンの二度にわたって悪徳貴族を追い詰め、大同盟に鞍替えした後は、ソーン領の解放や魔術塔”野ちしゃ”の攻略などで軍功をたてている。

 アンドルー・チョーカーは、中小規模の特殊部隊を率いるならば、両勢力を見渡しても屈指の奇才といえた。


「並の大将ならば、あの男は扱えないだろう。けれど、レーベンヒェルム辺境伯も、姫将セイも並々ならぬ傑物だ」


 オットー・アルテアンは、緋色革命軍の中で最も早く、事態の危険性に感づいた。


「まずいな。いいやむしろ好都合なのか。高山都市アクリアは天険の地だ。周辺の村落を抑えられて、オトライド渓谷の関所を落とされれば、こちらは攻めるに攻められなくなる」


 しかし、彼の英明な知性を持ってさえ、クロードたちの半ば非常識な戦略を誤認した。このボタンの掛け違いは、後に重大な意味を生じることになる。

 オットーは、勘違いに気づかぬままに呼び鈴を鳴らして部下を呼んだ。


女男爵バロネスを――、参謀部のマルグリット・シェルクヴィストを呼んでくれ」


 しばらくして、参謀部のマルグリット・シェルクヴィストが執務室へと参じた。

 美しい女だった。蜜柑色のショートヘアはよく手入れされていて、リムレス型の眼鏡の奥、灰色の瞳が強い理性の光を感じさせる。きっちりと着込んだ軍服や飾り気の無い化粧は、故にこそ彼女が隠した柔らかさを想起させた。

 年齢は二十代前半。もしも彼女に婚約者がいなければ、きっとオットーは口説いていたことだろう。


「と、こういった事情だ。でも、ぼくはきっと通信機器の異常だと思うんだよね。最近は、こういうの多いからさ」


 オットーは、とぼけたように毒を吐いた。

 緋色革命軍は、自分たちに従わない知識人や技術者を徹底的に弾圧した。

 結果、通信施設を含む産業基盤インフラストラクチャに劇的な損耗が生じていたのである。

 だが、そのような危機的情勢にも拘わらず、緋色革命軍の自称エリートたちは、そんな仕事は誰にでも出来ると放言し、自分たちの過ちを認めることはなかった。


「でも、場所が場所だ。第八収容所には傍系とはいえユーツ家の血を引くヴィルマル・ユーホルト伯爵と、亡きイーサク・ルンドクヴィスト男爵の嫡子がいる。ああ、キミはぼく以上に詳しかったっけ」


 マルグリット・シェルクヴィストは、緋色革命軍内で影ながら女男爵バロネスと呼ばれていた。

 それは、元々彼女がユーツ領内で支領をいただく男爵位にあったからだ。


「何も無ければそれでいい。もしも反乱が起こっていたなら、生殺与奪せいさつよだつは君に一任するよ。ヘルバル砦へ転移して軍を率い、オトライド渓谷の関所を抑えて欲しい。すまないが、ブロル行政長官への許可申請も頼むよ。ぼかぁ、彼に嫌われているからさ」


 オットー・アルテアンは、緋色革命軍司令ゴルト・トイフェルによって見出された。彼の主観においては、むしろ貧乏くじを引かされた。

 そういった縁からオットーは、本人の意に関わらずゴルト閥の一員とみなされて、ダヴィッド・リードホルムに心酔する親衛隊や、幹部の一人であるブロル・ハリアン行政局長からにらまれていたのだ。


「わかりました。地区委員長殿」


 マルグリットは一礼すると、執務室を出て行った。


「やれやれ、彼女の私情を利用するようで悪いけど、これで勝っても負けても最悪の事態は避けられるかな」


 オットーはそう呟いて、新しいタバコに火をつけた。

 彼はその日のうちにユーツ領内の親衛隊を除く部隊に伝令を出し、己の持ち場を徹底的に堅守するよう命じた。

 それは、これ以上の反乱を抑止すると共に、緋色革命軍の大半が分散したまま、各町村に縫い付けられることを意味していた。


「……くん」


 オットーの思惑を知ることも無く、マルグリットは何者かの名前を小さな声で呟くと、今やブロル行政長官の屋敷となった元ユーツ侯爵邸へと向かった。

 馬車を降りて正門に向かう彼女の足運びに迷い無く、整った姿勢は気品すら感じさせた。

 しかし、見るものが見ればわかるだろう。

 軍服に包まれた彼女の恵まれた肢体が、恐怖で緊張していることに。


「ぎゃああああっ」

「たすけ、たすけてえええ」


 マルグリットが使用人に案内された広大な薔薇園には、場違いに巨大なプールのような設備が作られて、血しぶきがあがっていた。

 振る舞いが反革命的であると逮捕された領民たちが、男も女も老いも若きも平等に、ひしめき合うグロテスクな肉塊にむさぼられ、食い散らかされている。

 でっぷりと太った壮年の男、ブロル・ハリアンは病的なほどに憑かれた顔でプールサイドに立ち、楽しげに惨劇を鑑賞していた。


「おや、マルグリット君じゃないですか。君も私の研究を見に来てくれたのですか?」


 プールの底では何百匹という芋虫のような怪物が与えられたエサにかぶり付き、分裂し融合し、時に奇怪な顔や四肢を形作り、溶けては肉塊となって犠牲者を弄んだ。

 おそらくこの怪物は個にして群れ、複数でありながら単一という特徴を持った怪物なのだろう。


「愛らしいでしょう。ドクター・ビーストは素晴らしい。亡くなられた彼の研究成果が暴徒の襲撃で失われたことは残念ですが、残されたわずかな知識だけでも、私の探求心を満たして余りある。彼は、自ら生み出した最高の生物を”娘”と呼んで可愛がっていたようです。ふふっ、最初は驚きましたが、今では私も博士の気持ちがわかります」


 もしもクロードやショーコ、アリスが聞いたなら、否、ドクター・ビースト自身さえも堪忍袋の尾をぶっち切るに違いない暴言を吐きながら、ブロルは恍惚こうこつとした表情で天を仰いだ。


「さあ、よく食べてよく育ちなさい。私の愛おしい娘……」

「行政長官。地区委員長より命を受けて、ユーツ領西部へ向かうことになりました。どうか御許可を」

「親子の語らいを邪魔するとは、オットーくんは相変わらず常識のない男ですね。好きになさい。でも、存じていますね。私が任されたユーツ領には、一切の問題は生じない」


 問題の種となる存在は、ブロルの育てる生物兵器によって喰われて無かったこととなる。


「マルグリット君。君や君の婚約者がいなくなってしまったら、私はとても悲しい。わかりますね?」

「はい」


 マルグリットは心を奮い立たせ、ブロルの血走った瞳を真っ向から見つめ返した。


「よろしい。仔細は任せます。もうすぐ呪われしメーレンブルクの首を落とし、ヴォルノー島攻略の準備が整います。そうなれば、子供を盾に取られて非業の死を遂げたというマクシミリアン君の仇を討ち、かの悪徳貴族の慰み者となっているローズマリー令嬢を救う機会もあるでしょう。奮起なさい」


 クロードたちヴォルノー島の領民たちが聞いたなら呆れるか、いっそ憐れみすら感じるだろう嘘を堂々と吐いて、ブロルはマルグリットを激励して送り出した。

 あるいは嘘ではなく、本当にそう信じ込んでいるのかもしれない。なぜなら、緋色革命軍の支配下では真実よりも妄執の方が優先されるからだ。

 マルグリットは馬車に乗って宿舎へ戻ると、化粧室に入ってげーげーと胃の中のものを吐き出した。

 狂っていた。いまのユーツ領は何もかもが狂気に歪んでいた。それでも、彼女は立ち上がって旅の準備を整えた。

 彼女は、懐に忍ばせた婚約者の念写真を抱きしめて、祈るように呟く。


「ラーシュくん。絶対に絶対に、あなただけはわたしが守るから」

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