第162話(2-116)悪徳貴族と新年マラソン

162


 復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)二日。

 昨年末に内乱が終結したレーベンヒェルム領は、領内の融和と懇親をはかるため、一月二日にマラソン大会を実施した。

 参加賞として餅を配ったり、観客も楽しめるようチェックポイントには簡単なトラップを仕掛けたりと、工夫を凝らしたのだが――目玉はなんといっても、優勝者に与えられる副賞だろう。

 なんと、セイと一緒にご飯を食べられる御食事券。彼女自身は、こういった偶像化こそが内乱を呼んだのだとおおいに渋ったものの、参謀本部に押し切られて了承せざるを得なくなった。

 とはいえ、セイも黙って受け入れたわけではない。条件としてアリス・ヤツフサの大会参加を認めさせたのだ。


「追いかけっこなら負けないたぬー」

「我が策なれり!」


 こうして二人の企み通り、アリスは人型であっても猛然たる速度で後続の参加者を引き離して、第一チェックポイントに到達した。

 案内人は、水差しを渡しつつ、黒板とチョークをアリスに手渡した。


「アリス様。お待ちしていました。それでは第一問、カルス村の特産品は何でしょうか?」

「た、たぬー? な、なんで問題が出てくるたぬ!?」

「セイ様から、兵士つわものたるもの文武両道は当然。足の速さや持久力だけでなく、知識も競うべきだと勧められました。地理が苦手なら、他に数学、科学、古典など様々な分野のクイズを用意しています」

「セイちゃんのアホたぬー!」


 その頃、セイはスタッフ待合所で天を仰ぎながら『策士策に溺れるとはこのことか』と絶叫していたが、もはや後の祭りである。


「クロードから聞いた、おいしいカレーの作り方を教えるから、見逃すたぬ!」

「それはいけません。また申し上げにくいのですが、カレーに納豆や梅干しを入れるのは、キワモノのたぐいかと思われます」

「クロードのバカたぬー!」


 十箇所のチェックポイントには、クイズ出題所以外にも、ロッククライミング、丸太渡り、揚げパン早食いなどといったアリスが得意とする分野も用意されていたのだが、半数はある程度の知識が要求された。正解するまで問題はチェンジできるものの、貴重な時間は刻一刻と過ぎてゆく。

 結局、アリスはクイズを解くために大幅に時間を浪費してしまい、健闘こそしたものの四位に終わってしまった。


「いじわるたぬー。あんまりたぬー」

「アリスはよく頑張ったよ。ほら、僕からプレゼント」


 そう言って、クロードが手渡したのが、大会の待ち時間中に布の切れはしや金属片を使ってつくりあげた造花の冠だった。

 めそめそと泣いていたアリスは、まるで嵐が去った後の青空のように朗らかに笑って、冠を受け取った。


「クロード大好きたぬぅ!」


 そして、優勝者は、――驚くべきことに負傷を押して大会に参加したイヌヴェだった。


「わ、わが忠義の証として、この食事チケットを我が女神たるセイ司令に捧げます。どうか想い人と一緒に良き時間をお過ごしください」


 涙をボロボロ流しながら勝ち取った御食事券を渡すイヌヴェに、セイは微笑んだ。


「そうだな。私が共に食事をしたいのは、イヌヴェ、お前とサムエルと、先の戦いで負傷したすべての者だ」

「セイ様!」


 同席していたレアが止めようとするが、わずかに遅かった。


「このチケットは確かに受け取った。皆で食事を取るとしよう」


 言うまでもないが、先の内戦で負傷した者は、千人や二千人ですまないのだ。あれよあれよと話が大きくなって、いつの間にやらコンサートにまで話が拡大していた。


「なんでだー!?」

「セイって軍事以外はわりとノリでやらかすよね……」



 昨日は、そんなことがあったのだ。

 セイが今日、部屋に引きこもっているのは、案外不貞寝しているからかもしれない。


「領主さま。もうすぐ出立のお時間です。ソフィさんがお待ちです」

「神事への参加だっけ。わかった、場所は――」

「ドーネ河近郊の、グリタヘイズの湖を見下ろす高台の神殿です」

「湖……。あ、うん、そうだった」


 クロードは湖という単語にいくらかの戸惑いを覚えたものの、そういえばソフィは”湖と竜を奉る”祖霊信仰の巫女だったと思い直して、外出の準備を始めた。

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